NHK大河ドラマと共に歩む人生
今年は「新選組!」といっしょ

俺は、自分の人生の、節目ふしめの出来事を思い出すとき、その年放送の、NHK大河ドラマを、同時に思い出す。自分が経験した、印象深い出来事と、その年見ていた、或いは、見ていなかった大河とを、並行して想起する癖がついている。

「聖戦士ダンバイン」本放送の、昭和58年、大河は、三大英傑ものの金字塔、「徳川家康」だった。この年、中学生だった俺は、土曜の夕方、ダンバインを見て、翌日、日曜の夜8時からは、滝田栄演じる、家康を見ていた。両作品とも、大好きで、釘付けだったことは、言うまでもない。この年は、ダンバインによって同人誌界に足を踏み入れた、記念的な、充実した年だった。

同人誌即売会デビューした、自分の思い出と、その年の大河の、信長役で鮮烈なデビューを飾った役所広司の思い出とが、脳裏にオーバーラップする。

その後、高校受験〜入学の、多忙な年を迎えると、幸いなことに、大河は、ひどくつまらなくなった。なにが幸いって、大河がつまらなければ、勉強の方に、集中するしか、ないからだ。

前項の年表の、昭和59年から61年にかけて、大河は、なにをトチ狂ったのか、時代劇をやめてしまい、寒い、さっむい、近現代劇路線に走った。

高校受験のころ、大河を見た記憶が、ちもっとしかないのは、第二次大戦中の在米日系人を描いた「山河燃ゆ」と、明治・大正期の女優、川上貞奴が主人公の「春の波涛」だったからか。

両方とも、背筋にドライアイスが走る寒さ だったよなぁ。

あんなのは、朝の連ドラ向けだっつーの。なんで、せっかくの大河枠で、ちゃちなセットで、近現代なんか、やるんだよ。大戦ものなら、戦場シーンが克明でなければ意味ないのに、それが、極めて中途半端で、正視に耐えなくて、すぐ見るのをやめたんだった。

と、後年思い出しても、見ていなかった事実に納得がいく。そして、勉強、勉強でつまらなかったなぁ、と、その時期の生活を、思い出す。

つまり、大河を見るか、見ないかは、俺にとって、その年が、楽しい年だったか、そうでないかを表す、重要な指標なのである。

大河が、つまらないと、その年そのものが、つまらなくなるのである。

俺のような、大河人間は、

正月=大河の始まり
年末=大河の終わり

という認識で、ゆく年くる年を感じている。
そして、新年が明け、待ちわびた、新作の第1話の放送日になると、うもぉ、死ぬほど、ワクワクドッキドキする。

「今年度の大河は、どうだろう?面白いといいな!」

と、期待に胸躍らせ、第1話を見る。それが、

「つ…つまんない…ガッカリ…」

だと、もぉ、

「今年一年、ずっとつまんない…」

と、ハゲシク落ち込んでしまう。これは、けっして誇張でもなんでもない。

正月の第1話の、出来如何によって、その年の、俺の運勢が左右されると言っても過言ではないのだ。だから、第1話を視聴するときの俺は、細木数子しぇんせいの御前に座らされたよぉな気持ちでいるのである。

平成10年の正月、「徳川慶喜」第1話を見た時の、俺の落胆を、どう表現したら、読者さんに伝わるだろうか。

番組中、正視に耐えなくなって目を伏せたら、そのまま気絶したと言うか、
岸田今日子が、少年よしのぶに歌って聞かせた子守り歌で俺も寝ちまったと言うか、
目が覚めた時には、平成10年の暮れだったと言うか…

ただ、「徳川慶喜」、途中で、西周(にしあまね)が出たシーンだけは、シャキーンと起きたけどね。「ぉおーッ、あれが、極悪人と後世に名高い、西周か!」ってね。なんでかと言うとね、西周は、「philosophy」を「哲学」と訳した張本人でね。「知を愛しましょう」という、本来、わかりやすい意味が、こいつのせいで、わかりにくくなった、こいつのせいで日本の哲学教育が遅れたと、評されることが多い奴でね。…そのワンシーンだけだったね、慶喜は…

宍戸錠、案の定、平成10年、「徳川慶喜」の低迷と並行して、俺の運勢も低迷した。
四緑木星が暗黒星雲に入り、おひつじ座がガミラス星人に襲われ、AB型が大政奉還して二律はいはん置県するような、そんな運気に見舞われた。

ようするに、大河が当たりでない年は、毎週日曜に、楽しみがない。週に一回、楽しみな日が来ないと、仕事もはかどらず、勤務日も休日も、心より楽しめない。だから、大河が面白くないと、生活すべてが面白くなくなるのだ。

だ・か・ら。そんな、俺にとって。

今年度は、素晴らしく、楽しい一年間だったのだ。

「新選組!」が、素晴らしく、楽しい番組だったからだ!

ハイ、ここで主題歌。

♪パンパラタタ タタタ タタタ タン!

(タイトルお習字どーん)新選組!

ドンドコドコドコドコ…

ラーイラーイラーイ ララララーイ ラーラーラー ラララー (中略)
ラーラーラー ラララ ラーラーラー ララララー んら っラァーーーーーーッ!

愛しきぃー 友はいずこにぃー
この身はー 露と消えてもぉーおーおぅ
忘れはぁーせぬっ 熱きおーもい
誠のぉおお
おお 名に集いしぃー 遠いぃー日をー
あの旗ぁーあーあーにたくしたー 夢ーをぉお
おお

ちゃーららららだだだだんっ♪

◆西暦2004年、平成16年、この一年間、毎週、毎週、この主題歌を歌ってきた。

オーケストラだけがほとんどの、大河の主題曲において、非常に珍しい、歌詞つきの、文字通り「主題歌」だった。

これが、たいへんよかった。あンあー、ものっそいよかった。

過去大河で、歌詞つき主題曲は、なかったわけではないが、俺が思い出せないほどの歌詞ならば、無かったも同然である。(緒形直人の「信長」とかな。あれ、歌詞があったよ、と言われて、そう言われてみればあったかな、ぐらいであるから。え?「琉球の風」?…あの歌は頼むからなかったことにゴホッゴホン)

TVの前で、みんなが、番組の始まりに興奮して、歌を歌う。これは、昔のアニメや特撮番組と、同じ現象を起こす。わあ!新選組が、始まったよ、と、ワクワクし、日曜以外の日、通勤通学路でも、くちずさんでしまう。さらに、番組途中から、字幕スーパーまで出るようになった。無敵だ。

このサイトを読んで下さっている皆さんならば、2ちゃんねるの、新選組!実況板で、主題歌斉唱だけで、毎回、数百のレス、時には1000(1スレッド)が消化された現象を、ご存知かと思う。「合唱隊、前へ!」には笑ったなあ。

これほど、日本国中が、「歌った」大河は、かつて無かった。

大河を歌うのは、アニメや特撮の歌より、老若男女が皆、遠慮無く歌えるから、この歌は、未来へと歌い継がれる名曲になるだろう。

少なくとも、俺は、何十年経っても、この歌を歌うだろう。俺が、若い頃、流行った歌なんだぞ、と、孫に聞かせるだろう。その頃には、大河で、藤原竜也が、剃髪の平清盛役あたりを、演じていると、いいな。

◆俺は、実は、去年の年末頃、平成16年度の大河には、さほど期待してなかった。三谷幸喜脚本と、出演者の顔ぶれを見て、こう思っていた。

「とうとう、NHKが、正統派大河の、視聴率の低迷に困り果てて、近年、トチ狂ってきた路線を、より狂わせちゃえって、開き直ったのか。キワモノ路線を、とことん極める腹をくくったのか。

三谷さんのドラマは、どれも好きだけど、主演が香取クンか…うーん…

これは、大バクチだな。

大河の歴史に疎い若年層にだけ、うけて、ウチの親父のような、大河古参層には、総スカン食う確率が高い。

かく言う俺も、大河中間古参層だからな。「利家とまつ」の時みたいな、あまりにもトレンディドラマなキャストだと、萎えた層だからな、俺は。

若い俳優使って、近年、成功したのは、「元禄繚乱」だった。
あれは、大石や吉良に、重鎮俳優を使い、脇に、比較的若い俳優を使ったから、視聴者のどの層にも、受け入れやすいキャスティングだった。

しかし、この「新選組」は…いや、あれ、「新選組」のうしろに、「!」がついてるのか…アヤヤオヨヨ。メインキャストぜんぶ、三谷組だ。それはいいけど、主役級が、藤原竜也はともかく、香取に山本耕史とは…ううむ、問題のすべては、香取だな心配だ…」


俺の香取への心配と時を同じくして、三谷氏は、こう語っていた。

「皆さん、近藤勇が、香取慎吾だなんて、と、さぞかしご心配されているでしょうね。でも、来年の今頃、最終回を見た後には、香取以外に、近藤勇は考えられないって、思わせてみせますよ!」

そして、最終回。その通りになったじゃあ、あーりませんか…

◆総じて、「新選組!」の成功は、三谷幸喜氏の脚本の力によると言えよう。

実験的キャスティングを、生かすも殺すも、脚本次第なのだと、「新選組!」につくづく教えられた、中間古参層の俺である。奇をてらって、ジャニーズを使ったんだろ、と、小馬鹿にしていた俺は、まんまと、三谷氏にしてやられた。それが、ひどく嬉しい。

大河未経験な新人を、主役級に起用した例なら、「新選組!」以前に、いくらもあった。
前述の「利家とまつ」も、そういう意味なら実験的であった。
しかし、「利家とまつ」の脚本が、若手の良さを、生かしきれなかった。
時代劇自体が、不得手な、松嶋菜々子や唐沢寿明や反町隆史に、歴代大河のものまねをさせたからだ。これでは、せっかく若手を起用した、意味が、まるでない。

而して、三谷氏は、自分の持ち味を自分で損なうことをしなかった。
これぞ三谷!な、独特の脚本を、NHKの予算で堂々と書き、
由緒ある大河に、媚びることを、けしてしなかった。

そう、三谷氏は、芸術的な「由緒」とは、果敢な挑戦によってこそ、生み出されるものだという当たり前の事実を、よく知っていた。知っていただけでなく、多々あったであろうNHK的「由緒」の圧力に屈しなかった。
圧力に屈しない、それはそのまま、香取慎吾の近藤勇の姿勢だった。

◆俺は、子供の時から、大河を見て育ち、大人になった。だから、21世紀を生きる子供たちにも、大河を、喜んで見てほしいと、切に願っている。

三谷氏も、同じように考えておられた。
「僕が小学生のとき、夢中で大河を見たように、小学生に見てほしくて、これを書いている」と、常々発言されていた。俺は、三谷氏のこの考え方に、涙して喜んだ。

こういう意識の脚本家の方が、少なかったのではないか?仰々しい「大河」、どうだNHKだぞな、大御所だぞな、尊大な「大河」が、「大河」らしさだ。と考える製作者だった年度の「大河」は、ことごとく不成功だったではないか。

三谷氏は、かっこいい主題歌を、みんなが歌う、新しい大河を作ってくれた。
等身大の青年群像を、生き生きと描いてくれた。
役の、実年齢そのままの役者が、もろ現代若者言葉をくっちゃべってくれた。

近藤勇が「ふわふわたまご」と言ったり、
沖田総司が「そのまんまじゃないですか」「ムカつくんだよな」と言ったり、
土方歳三が、いきなり田中邦衛のものまねを始めたり。

…かつての大河では、考えられないことばっか、してくれやがった。

◆番組開始の頃、そんな、ムチャクチャする「新選組!」に対し、大河古参層からの批判も多かった。

身近な例は、ウチの親父だ。

のっけから、佐久間象山んちに、近藤と土方が遊びに行き、桂小五郎アデランスや、坂本龍馬髪の毛多すぎと友達になったりするのを見て、

父「んなわけねーだろうがよ!」

と、毎度、突っ込んでいた。

俺といえば、幕末ものは、あまり好きでなかった。こと幕末については、基本的知識が希薄なまま、この年になったという、自称大河人間のくせに、実のところ、大河ファンの風上にも置けないカタワ者なので、

俺「え?これ、うそなの?」

と発言しては、古参父に、叱られていた始末だ。

しかし、そんな古参父も、次第に、この稀有な番組に、魅せられていったようだ。

ウチの父は、近藤勇が、幕府おかかえの剣術道場(正式名称が思い出せない俺はカタワ者)に仕官しようとして、百姓だからと、侮蔑されるシーンに、いたく感じ入ったらしい。

追い出された近藤は、衛兵を振り払い、役人に詰め寄り、叫ぶ。

勇「そりゃ、確かにわたしは、多摩の百姓です!」

でも懸命に、剣術を学んでいるのです。武士の精神を持とうと、本物の武士よりも頑張っているです、と訴える近藤。それを「ふん」と一蹴するお役人。身分差別、階級格差と闘おうとする青年。これが、全共闘世代の親父のハートをゲッチュしたらしい。

父「うん、だんだん、この作者の言いたいことが、わかってきた。話しに一本、筋が通っているところが良いな。」

話しに、一本、筋が通っている。
これ以上に、物語りに大事なものはないのである。
「新選組!」は、第1話から最終回まで、一本筋を貫き通した。

近藤勇が、「武士になろうとした」という筋である。

これについては、次項で述べたいと思う。

◆俺んちでは、家族揃って、18時からの、BShifiで「新選組!」を見て、感想を述べ合う。その後、20時からの本放送を、2ちゃんねるの実況板と並行して見る、という習慣が、今年は、ずっと続いた。

このように、近年の、俺の大河視聴のお供に、インターネットがあるようになったことは、特筆に価する。2ちゃんねる実況板に代表される、生の国民の意見を、リアルタイムで読むことにより、

俺んちで感じていることは、みんなも、同じように感じている

と、いうことが、よくわかり、すごく嬉しかった。
俺の感想、古参父の感想と、同様の意見を、2ちゃんねるで見かけた。

インターネットで盛んに議論される番組ほど、国民のハートをゲッチュしているとも、言えよう。視聴率なんかより、2ちゃんの鯖が飛ぶ回数で、評判の高低を計った方がいいんじゃないかね。と、つくづく思わされた、「新選組!」の一年だった。

◆こうして、「新選組!」は、大河ドラマの、新境地を開拓した。

主役級キャストが、大河素人でも、全然オッケー。
むしろその方が、新鮮で良いと思わせる脚本。
史実を無視しても、ストーリーの中で自然に納得させられる。
意味ある史実無視なら、どんどんやったらエエがな、という路線の確立。

「北条時宗」の史実無視は、無視しすぎ、
(なにしろ史実で死んだ人物が赤マフラー姿で実は生きてました、だもんよ)
ストーリー的整合性無さすぎで、俺はじめ国民を発狂させたが、

「新選組!」は、NHK大河だからと、萎縮して、中途半端にすることは、なかった。むしろ、意図してムチャクチャをやった。シリアス一本やりだった大河で、コメディをやった。

「北条時宗」は、シリアスぶって史実無視をしたから、いただけなかったが、
「新選組!」は、コメディという形式で、ムチャクチャやりつつ、笑わせつつ、押さえるべき「筋」は、絶対、はずさない。

…ドラマの「理想」と呼ばれる、あらゆる「理想」を叶えたのだ…

大河で、創作時代劇をやっちゃって、成功したか。こういう路線が大河でも、子供たちが、喜んで見てくれるんなら、大河好き、歴史好きになってくれるなら、すごく良いことだよ。

…おや?そう考えてみたら。

俺が子供のとき、はまって見ていた「黄金の日日」だって、創作時代劇だったじゃないか。事実無根だらけだったじゃないか…

そうか。と、ハタと気がついた。

大河自体が、そもそも、実験的番組だったんだ、と。

昭和38年、「花の生涯」が始まったとき。映画や歌舞伎の、新旧の大スターが勢ぞろいして、一年間の長丁場、本格派時代劇を、テレビで放送する。こんな例は、かつてなかったと、騒がれたと、記録本で読んだ。

俺が、子供の時、熱狂した「黄金の日日」も、今になって考えてみれば、史実ばかりに、縛られてはいなかった。おもしろ創作劇だ。

なんだぁ…アハハ、そうか。

俺自身が、NHK的「由緒」な、先入観で、大河を見ていただけだったんだ。
大河は、始まったときから、現在まで、なにも変わっちゃいないんだ。


歴史劇って、面白いなぁーって思いながら、
毎週、日曜日を、楽しみに過ごす一年間をくれるもの。


それが、NHK大河ドラマの真骨頂なのだね。


…これを、俺にわからせてくれたことが、今年の大河の、最大の収穫だったと思う。

今年というトシ。西暦2004年、平成16年度は、忘れがたいトシになった。「新選組!」があるおかげで、毎週が、毎日が、楽しかった。

苦しい時には、「今度の日曜まで、頑張ろう」と思った。嫌なことがあっても、「俺には大河ドラマがあるから」と耐えることが出来た。

…こんな大河をこそ、待っていたんだ…

ありがとう。本当にありがとう、「新選組!」。
俺は、これからも、きっと一生、大河ドラマを見ていくよ。

大河を見ない年も、あるだろうけど、来年の「義経」はそんなことにならんよう頼むぜ!

大河と共に歩む、俺の人生は、まさに「花の生涯」だ。

04/12/14

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