前編へ← 聖戦士ダンバイン第1話 聖戦士たち(後編)ガラリアさん出現

1983年2月5日、土曜日、夕方の5時30分。奇跡が起きた。

バイストン・ウェルに落下したショウ・ザマは、ほの暗い中庭で、檻に入れられた女性、シルキー・マウに目をとめた。そして、筆者は、その檻の手前で、しゃがんでいる女性の、後ろ姿に 目をとめた あ

青いろの、ショートヘアの

  ピンクいろの服の

   おんなのひとが

     いたの

      そこにいたの

        彼女の声が 聞こ えた の

「だめなのかッ?」←バーンが遠くでなんかゆってますけど

「どうも…」

「そんな、バカなッ!」←ゼット・ライトが、えらそうなんですけど

「どうしたか?」←ドレイクさん、威厳ある君主を一言で表現

「ハッ、それが。」←バーンの役職と性格の悪さを一言で表現

「シルキーがくるしそうです!」

なに?これは、なに?!何が起こったのだ?「わたし」に。中学一年生のわたしに。わたしは、衝撃を受けると同時に、一瞬にして悟った。

わたしは、この青い髪の女の人を、これからずっと追い続けるだろう。ひとめで、それが分かったのだ。だって、彼女はね、しるきぃが苦しそうだと言いながら…

苦しそうなのは、あなたじゃないか…!って、分かったんだ、わたしには!

これを運命と呼ばずして、なんであるか。

わたしという人間は、この時ガラリアさんに、「出会った」。だが、ガラリアさんは、1983年2月5日に、テレビ画面に登場したときに、この世界に「生まれた」わけでは、ない。

時間も空間も、現実も絵空事も、自己と他者をも、すべてを超えて、ガラリア・ニャムヒーという人間は、彼女以外の誰でもない、いのちを持って、バイストン・ウェルに「既にいた」のだ。

わたしが、彼女に出会うことは、ひょっとしたら、わたしの前世で、決められていたのかも、しれない。そして、わたしがこの世から去ったら、即ちバイストン・ウェルに帰ったら!今度は、ガラリアさんが、わたしを見つけて、喜んでくれるかも、しれない。(この思いをこめて、ガラマニは、小説「月下の花」 のオリジナルキャラ、ガラリアの親友女性、ユリア・オストークを描いている。)わたしとガラリアさんは、共に生き、そして共に死にゆく。人の生命は、限りがあるからこそ、尊い。わたしは、この短くてはかない人生が、なんであるのかという命題を、ガラリアさんと共に歩みながら、探求していく者である。

日本一のガラリア・マニアは、彼女を恋人として見やる男ではなくて、彼女を友人として愛でる女ではなくて、彼女の物まねをしようとするファンではなくて、彼女に迎合しようとする、たいこもちではない。

ガラリア・ニャムヒーのいのちとは、わたしガラマニのいのちだ。

とまれ、アニメキャラとしての彼女は、比類無い「個性」を持っていた。個性とは、なにか?

おい、いいか。耳の穴かっぽじってよく聞け。凡百あるアニメキャラの、いったいどれほどのキャラが、「個性」を持っておるか?髪型と服と色を変えたら、ハイ別のキャラですぅーな作画をゴマンと見るぞ。「キャピキャピしてたらカワイイ系キャラ、キリッとしてたらおねえさんキャラ」な女性の描き方しか出来ない、お人形さん絵なんかと、ダンバインを、比べるでない。

おい、いいか。目ぇこらしてよく見ろ。ガラリアさんは、美人か?

ちがう。彼女は、明らかに、不美人なのだ!!これが、ガラリアさんが奇跡のキャラたる、ゆえんなのである!

恒常的にイラストやマンガを描いている人ならば、お分かりになるだろう。人物画において、「美人」を描くのと、「不美人」を描くのと、どちらが難しいか。

しかも、ただのドブスを描くのではない。スタイルが良く、服の着こなしも上手く、自信を持って色っぽいポーズをとる、群集の中にあって光り輝くほど「美しい」、そんな「不美人」を、描ける者が、おるかッ?!

こんなキャラクターデザインが出来る画家は、湖川友謙氏のほかには、おらぬ!天才とは、彼の名を称えるためにある言葉である。

第1話は、展開が早い。ものすごく、早い。にも関わらず、分かりやすい。人物画と、緻密な背景画と、オーラ・マシンの実在感と、音楽と、そして声優さん方の演技力によって、登場人物全員の「個性」が、巧みに表現されており、見始めてから見終わるまで、息をもつかせず、バイストン・ウェルの世界に、「聖戦士ダンバイン」の世界に、視聴者を惹き込んでしまう。

特筆すべきは、声優さんである。「聖戦士ダンバイン」で、富野由悠季監督は、意図して、声優未経験、或いはアテレコ慣れしていない新人を、多く起用した。ドレイク・ルフト役の大木正司氏も、演劇界ではベテランだが、声優は初めてであった。メインキャラ全員の「声」を、我々視聴者は、聞き慣れておらず、而して、バイストン・ウェルという異世界が、「新鮮」に感じられた。ガラリアさんも、ショット・ウェポンも、バーン・バニングスも、「既にそこにいた人」のリアリティを持ち、我々は「あぁ、あなたに会うのは、今日が初めてだね。」と、この、奇跡の出会いにときめいたのだ。

「シルきぃまウは、たいしたちからはぁもってぁいないんだ。あんたがイヤだといっても、すきにちじょうにハかえれないよ。ファッ ハハ ハ」

…もう、なんて表現したらいいのか、わからん。1983年の、西城美希さんでなければ、こんな喋り方は、不可能だ。不世出だ。鈴を転がすようなソプラノ。ひばりのさえずりのような可愛らしさ。おっぱいでっかい大人なのに、4歳児みたいなタドタドしさ。ベロがまるっきし回っていないのに、一生懸命、会話に入ってこようとする子供みたいな。あたちおぱなちちゅるのぅみたいな。文末の「笑いながらショウに背を向ける」が、ぜんぜん嫌味になってないというか、なんでキミがそこで笑うのかとか、バーン・バニングスに、ひしと寄り添う姿が痛々しいというか、腰に手をあてるポーズが、色っぽいというよりはわざとらしいというか、笑顔のキュートさが、10代のあどけなさと20代の精練さの絶妙な中間地点にある、21歳という年齢を、これ以上でもこれ以下でもないという時間の貴重さを表現しているというか。

さて、このガラリアさんをはじめとし、奇跡の演技陣の中で、特出した存在感を、かもし出していた人物は、

トッド・ギネスである。演ずるは、逢坂秀実氏。

アメリカ軍人で、日本語をくっちゃべる(バイストン・ウェルではすべての言語が脳内翻訳され、自分の母国語になって聞こえるという設定のため)、トッド・ギネスの役作りにあたり、逢坂氏は、意識して、「洋画の吹き替え風に」演技しているとお見受けした。日本人少年、ショウ・ザマの耳に、バイストン・ウェルが、奇妙な現実として聞こえるためには、アメリカじんが、民放の洋画劇場みたいに喋るのが、的確な表現であり、極めて斬新である。しかもだ。日本のアニメで、「洋画の吹き替え風に」演じようとして、演じきった役者は、逢坂氏以前にも、以後にも、いなかったのである。

シ「これは夢かも、しんないし…」

ボカッ ショウを殴るトッド

ト「これが夢かよぅ。えッ?ジャップぅ!」

見事だ。英語風の巻き舌なのか、ただ単にロレツが回っていないのか、びっみょうぉ〜なギリギリの線でマシンガントークするトッドが、視聴者をぐいぐい引っ張っていく。同時に、ラース・ワウにおいて、オドオドしている主人公ショウを、ぐいぐい引っ張っていく引率役も、トッドである。(同じ引率役であるバーン・バニングスと、トッド・ギネスが、初対面から既に「張り合ってる」ことが、絶妙な間合いで表現されている。両名とも、この後、ショウ・ザマと敵対してゆくが、同軍における最大の敵同士とは、バーン・バニングスとトッド・ギネスである。この対立構造なくして、ドレイク陣営は語れない。)日本人ショウの黒髪と、対照的なトッドの、けぶるようなプラチナ・ブロンドが、画面に映える。そして、地球上にはフツーない、ブルーやむらさき色の髪の毛なのが、バイストン・ウェルじん。セル絵の具の、配色バランスも素晴らしい。

もう一人の地上人、トカマク・ロブスキーは、ひとめで「こいつ、第4話ぐらいで死ぬな。」と分かる顔をしている。声が沓田さんと同じ、戸谷公次氏だし。そんな彼が、こう言った。

ト「あのシルキーっとかていうフェラリーの力がなきゃ、地上に帰れないのかなぁ。」

シ「フェラリーじゃない。連中は、フェラリオって言ってた。」

「フェリー」ってゆってたと思っていたが、DVDで聞き直したら、フェラリーだった。

フェラリー。ふぇらりー。フェラですってよ奥さん。

新型オーラ・バトラー、ダンバイン×三機のうち、一機に、トカマクが上機嫌で乗りこむ。

ト「いくよッ、いくよッ」

…あんた…富野アニメで、そんな顔で、そんな浮かれたセリフゆうとね…死ぬるんだよ…

ガラリアさん率いる、オーラ・ボム、ドロ隊と、三機のダンバイン、初飛行。

「まっすぐにギぶンのりょうちにぇはいる。イヌチャン・マウンテンだ。」

ギブンの領地「に」なのか、ギブンの領地「へ」なのかが、何回聞き返しても、聞き取れねー!!すごすぎるんだよ、ガラリアさんの舌っ足らずはさあ!

しかも、いぬちゃんまうんてんって、あーた。エエのう、そのテケトーな地名がよー。なにがテケトーって、「犬ちゃん」の方じゃなくって、「マウンテン」の方よ。なんでそこだけ英語なのよ。マーベルの自己紹介「ダーナ・オシーのマーベル・フローズンだ。」といい、無意味なカタカナ使い、世界初出の固有名詞を連打。これぞ富野節、だぁね〜。

そして、宍戸錠、案の定、トカマクの乗ったダンバイン、撃墜さる。早ッ!即死顔だとは思ったけど、まさか、第1話内で死ぬるとは思わなんだ。早ッ!

帰還したショウたちに、バーンが、

バ「が、トカマクどのを失うことはなかった。」

と、残念そうに言っていたところへ、彼女が。ガラリアさんが、問い掛けてきた。おや…?彼女の喋り方が、おかしいぞ。おかしいのは最初っからだが、なおいっそーおかしいぞ。ガラリアさんは、どちたのかな?

「ばぁん。これで、ろむんぎぶんに、はんぎゃぁくのいしがあることはぁあきゃらかだ。こんや。ろむんのやかてゃ、かじこうじょうの、こうげきを、したい。」

バ「それはドレイク様の判断されることだ。」

進言を一蹴し、行ってしまうバーンを、なおも追う彼女。

「…どろをにきも、うしなった。」

バ「未熟だからだよ。」

と、去り行くバーン・バニングスを、見送るガラリアさんの顔が、アップになった。眉をひそめ、モスグリーンの瞳に、哀しみをたたえて…そうだ、第1話で、彼女がアップになったのは、2回目だ。1回目も、バーン・バニングスと二人きりで、話していたときだった。そしてこんども、バーンを独りで見つめるときだけ、ガラリアさんは、ひどく哀しそうな顔をする。ひどく熱心に、見つめる。彼に、出撃したいとゆったのに、相手にしてもらえなかった。悔しい。彼に、未熟だと、ゆわれた。悔しい。なぜ?

なぜか。ガラリアさんが、出世欲に燃えているからか?「女戦士ガラリアは、バーンをライバル視している」と書かれた記事はたくさんあるが、なぜ、彼女がことさら、彼だけを目のカタキにするのかについて書かれた記事は、あまりない。あっても、「バーンが騎士団長だから」とかなんとか。どこに目ぇつけてんだい。ガラリアさんはね、聖戦士トッド・ギネスや、機械の館のあるじ、ゼット・ライトとは、仲良くやってたでしょ。(後に仲良くなりすぎた事は、ここでは置いとく。)ミュージィや他の戦士たちなど、彼女は歯牙にもかけていない。ライバルというならば、彼ら全員、ガラリアさんのライバル足りえるのに、バーンにだけは、いつまでも、しつこぅく、食ってかかり、敵視し続ける。なぜか。

俺は、中一のとき、第1話を初見で、わかったぞ。

ガラリアさん、あなたは…

バーン・バニングスのことを、世界でいちばん、愛しているのだね。

彼女が彼の名を呼ぶとき。「ばぁん。」って言うとき。「ばぁん。」って声が、ふるえている。

本当は、甘えたいんだ ね。…彼に…

さあ、どうなる、聖戦士ダンバイン。どうなる、ガラリア・ニャムヒーさん!第1話を初めて見た日。あれから23年後の今日。俺はね、ガラリアさん、あなたが「どうなるのか」、まだ、知らずにいるのだよ。お楽しみは、これからだ!

06/2/5(日)筆

(第1話「聖戦士たち」終わり)

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