月下の花

第63章 バニングス卿の秘密


バーン・バニングスの実家、通称バニングス邸の火災を、近くの森林から、見守っている者がいた。牧草地の中心に建築した、自分の家を焼かれて、悔し涙をのみこんでいる、バニングス卿、そのひとである。

60代なかばになる、バーンの父は、咳きこむ妻、ハリエット・バニングスを抱きかかえ、牧草地の北側に茂る、森のなかを、よろよろと歩いていた。夫妻の顔面は青ざめ、病身のハリエットは、息をするのがやっとであった。夫のバニングス卿は、青色の長いあごひげを、汗だくにし、妻を座らせるための、朽ち木を見つけた。

バーン・バニングス卿は、ゼラーナ隊が、ドレイク・ルフトの居城、ラース・ワウの攻撃をはじめた時点で、妻を連れて、森に避難していたのだった。じいやとばあやにも、ついてくるよう命じたが、バニングス卿よりも年上の執事は、かたくなに動かず、

「おやかた様は、奥方様とごいっしょに、いつもの森に、お行きになってくだされ。わしらは、お屋敷をお守りいたします。」

ハリエットとならび、朽ち木に腰かけたバニングス卿は、バーン・バニングス・ジュニアに、顔も髪型もそっくりで、相違しているのは、年老いている点と、あごひげがある点だけである。アの国では、最も広大な領土を治め、新興領主のドレイク・ルフトよりも、ずっと古い家柄であるバニングス家の、隠居したおやかた様は、自分の判断の甘さを、悔やんでも、悔やみきれなかった。まさか自分の家が、空爆対象になるとは、思ってもみなかったのである。夫婦が、この森に避難するのは、自国が攻撃されたときの、毎度の訓練どおりの行動だった。

いぜん、ルフト領の南方にある、円形競技場が、ゼラーナに攻撃された日 も、バニングス卿は、ハリエットを連れて、この森に避難したのだった。

「だが今回は、ドレイク殿の本丸が、攻撃されたのじゃ。ギブンの小せがれめ、ご領主の留守居に、女子供と、老人しか残っておらんところへ、しかけよった。そして、わしの家まで、焼き討ちにするとは!」

ゴホゴホと咳をしている、彼の10歳年下の妻、ハリエット・バニングスが、涙声でしゃべった。

「じいや、ばあやは…。あの燃えかたでは、助かりますまい。人も、馬も、爆弾の前には、等しいのう。あのように、焼けて、死んで。おおう、なんという、むごい!」

その時、はたち前の少年だということが、聞けばすぐにわかる、特徴のあるテノールの声が、森のかげ、しげみの中から、指すように、夫妻の耳に入った。

「おやかた様、僕です。ご無事ですか!」

「むう、セザルか!」

18歳の美少年、セザル・ズロムは、薄茶色の軍服に、薄茶色のヘルメットをかぶり、草地にひざまずき、左手を地につけ、右手を心臓にあて、頭を深く、下げていた。その態度は、彼が、今まで、ほかの誰にも見せたことのない、心の底からの、絶対服従の姿勢であった。バーン・バニングスの父親は、セザルを見下ろし、威厳のある声音で、言った。

「ふむ、さきほどの、森の中への着地音は、やはり、そちのオーラ・バトラーのものであったのだな。うむ、わしらは、無傷じゃ。」

バニングス卿の、言いかたは、長きにわたって、慣れ親しんだ、部下にたいする、もの言いであった。そして卿は、18歳のセザルにむかって、きつく、しかりつけた。

「ううぬ、わしらのことなど、どうでもよいのじゃ、セザル・ズロム!そちは、このようなときに、このような場所で、いったい何をしておるか!」

ガラリアたちの前で、おどけている、いつものセザル・ズロムの姿は、今はまったくなかった。また、彼の父親、ミズル・ズロムに対して、パパ、パパと、甘えている、子供っぽいそぶりも、まったくなかった。バニングス卿の怒声に、本気でちぢみあがり、青い瞳を、うるませているセザル・ズロムが、そこにいたのだ。行動を責められ、かしこまったセザルは、おどおど、言い訳をした。

「もうしわけありません、バニングス卿!お屋敷が燃えているのが見えたので、僕は、おやかた様が心配で…。」

あの天才肌のセザルが、うろたえている。

「僕は、おやかた様と、奥方様が、どうされたかと、たまらず!いつも避難訓練のときには、この森にいらっしゃるので、ご無事を確かめようと思い、まかりこしました。大丈夫です。ドラムロが着地したのは、誰にも見られていません。」

いじましいセザルの釈明を、バニングス卿は、まったく許さなかった。

「ばかもの!そちの任務は、わしらを守ること、などではない!今すぐ、わしが命じた、本来の仕事にもどれい!」

即座に、セザルは答えた。

「はっ。御免!」

脱兎がごとく走り、セザル・ズロムは、森の中に置いた、赤いドラムロまでゆきつき、すぐに発進させた。ちょうどその時である。空を見上げていたハリエットが、

「おや、あなた、空を見やれ。青いオーラ・バトラーですわ。あの子ですよ。バーンが、来てくれましたわ!」

笑顔をほころばせた母親とは反対に、父親のバニングス卿は、にがにがしい顔つきで、森の奥をふりかえり、セザル・ズロムの機体が、飛び立って、きちんと戦線にもどっていることを、目視した。セザルの赤いドラムロが、ゼラーナを剣で斬りつけたのは、この直後であった。

それを見て安堵し、バニングス卿は、自分の息子、バーン・バニングス・ジュニアが乗っているビランビーに目をやり、息子が、ダーナ・オシーにつかみかかっている光景を見た。ハラハラして、心臓がとまりそうだった。バニングス卿は、遠くにいる息子を、叱りつけるように言った。

「バーンの、大バカものが。なんじゃ、あの無鉄砲な攻撃は。敵機に、接近しすぎじゃて。」

母親も、息子が心配で、自分の寿命をちぢめて見ていたが、セザル・ズロムの赤いドラムロが、ビランビーの援護態勢に入るのを見て、

「大丈夫、大丈夫ですよ、バーン。ああ、セザル、おねがい、あの子を助けて。」

バーン・バニングスの、父と母は、戦闘が終わり、ゼラーナが空から消えてなくなるまで、森から出なかった。そして、まだ燃え続けている邸宅に、息子のバーンと、セザルが下り立ち、続けて、ガラリアたちがやってくるのを、遠目に、見ていた。

バニングス卿は、喉がかくれる長さのあごひげをなでつけ、ふうと息をつきながら、誰に言うでもなく、いつもの説教ぐせで、話した。

「あれほど有能な男でも、まちがいを起こすものじゃて。」

「セザル・ズロムのことですの、あなた。」

ハリエット・バニングスと、バニングス卿夫妻は、森の木陰に、もうずっと腰かけて、息子たちの前に出て行くタイミングを、はかっているだけだった。夫妻は、自分たちの子供が、無事に帰還したので、すっかり元気をとりもどしていた。

「うむ。わしらの安否が心配で、駆けつけるとは、本末転倒よ。セザルめ、なんのために、わしが長年、手塩にかけて育ててやったと思うておるか。大金を出して、旅をさせ、勉強させてやったというに。」

ムスっとして、不平をくちにした夫に、妻は笑いかけた。

「あなた様を、セザルは慕っているのですよ。だからこそ、辛い役目を、はたしてくれているんじゃありませんか。今日の空爆へかけつけたのも、セザルが、1等賞。わたしたちの息子、バーンは、残念ながら、2等賞。戦い方も雑で、目もあてられなかったですわ、バーンは。ひきかえ、セザルの攻撃の、正確無比なこと、見事でしたわ。セザル・ズロムは、さすがは、あなた様、バニングス卿の、直弟子です。」

妻ハリエットと、セザル・ズロムと、自分だけの、ぜったい秘密の話しを、終わらせるため、バニングス卿は、腰が痛い、腰が痛いと言いながら、立ち上がって、こう言った。

「出来の悪い子ほど、親には、かわいいものじゃて。ひきかえ、ミズル・ズロム殿は、ご子息が利口で、まったく、うらやましいわい!わしは、セザルの才能を、早くから見つけ出し、わしの部下として育て、バーンのそばに置いた。

セザル・ズロムが、わし、バニングス卿から受けている密命とは、わしの間諜として、各国の、ありとあらゆる情報を収集しつつ、わしの息子、バーン・バニングスの、命を守ることなのだ!」

間諜(かんちょう)とは、スパイのことである。そう、セザル・ズロムの、謎めいた行動は、すべて、この目的のためだったのである。第19章 で、セザル・ズロムは、バーン・バニングスの弱みをにぎり、脅迫した。セザルの私的な行動にたいして、いっさい、口出し、手出しをするなと、バーンに約束させた。そして2人のこの協定は、ぜったいに誰にも秘密だと。セザル・ズロムの目的のためには、バーン・バニングス・ジュニア本人との間に、一定の距離を保つ必要性があったからだ。

セザル・ズロムは、士官学校在学中に、バニングス卿と出会い、直弟子になった。武術や学問を、厳しく仕込まれた。バニングス卿に路銀をもらって、諸国をまわり、情報収集し、その経験を通して、武人として成長した。ルフト領にもどってから現在までも、セザルの活動資金は、バニングス卿から出されており、彼の間諜行動のすべては、バニングス卿へ報告されていた。ドレイク・ルフト本人をふくむすべてが、セザルの父親、ミズル・ズロムでさえも、バニングス卿の偵察対象であった。

海千山千の老騎士、バーン・バニングス卿は、自身は隠居し、表舞台に出ることを拒みながら、ひとり息子バーンの立身出世を、かげながら助けているのだった。そのために、最強の部下セザルを、ドレイク軍に入りこませていたのだった。

特に、バーン・バニングス・ジュニア本人には、完全に内密にしたまま、セザル・ズロムは、恩師の息子の命を、守らなければならなかったのだ。セザルは、つぶやいたものだ。たいへんなお役目だけど、せざるをえないのさ、と。この観点で、これまでセザル・ズロムがとってきた行動を思い出せば、つじつまが合うことを、賢明なる読者諸兄には、おわかりいただけるかと思う。

バニングス夫妻は、自分たちが、焼死したとばかり思い込んでいるであろう、息子のいる場所へと、ゆっくり歩き出した。

第63章更新後書き

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