月下の花

第57章 キロン城の虜


ミの国の王城、キロン城。大きな湖の湖畔にそびえたつ、大きな城だ。小高い丘の上に建てられたキロン城は、石塀が円形に、城塞を囲んでいる。石塀は高くのび、円錐形のキロン城の土台だけで、7階建ての高さをなし、内部には、兵器庫や軍属の住居などが、ひしめきあっている。ちょうど丘のいただきにくる、キロン城の屋上は、見晴らしのよい広場になっており、飛行場があり、オーラ・シップ、ナムワンの格納庫があり、ダーナ・オシーなどのオーラ・マシンがたちならび、いつでも発進可能になっている。国王の住居は、質素なもので、ピネガン・ハンム王専用ダーナ・オシーのとなりに、たった3階建ての、天守閣が建っており、1階あたり、2部屋ずつしかない。そこに国王は、妻子とともに暮らしていた。

レッド・バーの砦をひきあげ、キロン城の頂上飛行場に、ナムワンを到着させた王、ピネガンは、まっすぐに家族が待つ、3階建ての塔に歩んだ。

王妃パットフット・ハンムが、夫を出むかえた。

「あなた様、おかえりなさいまし。」

抱き合う夫婦は、仲むつまじく、そして夫も妻も、ひじょうに質素ななりをしている。王妃は、藍色のロングドレスはまとっているものの、装飾品のひとつとてない。化粧っ気がなく、口紅のひとすじすら、ひいてはいない。髪は短髪で、手入れに手間のかからぬように、しているふうだ。

その素肌なる唇に、接吻した夫は、

「パットフット、エレはどこにおる?父の出むかえはせぬのか、あの変わりものの娘は。」

笑いながら問いかけた。ことし14歳になるエレ・ハンムは、国王夫妻のひとり娘であった。誰からも愛されて、すくすく育ったエレであったが、幼いころから、いっぷう変わった少女として、家臣たちにも、その奇行は知れわたっていた。

エレ本人にいわせると、じぶんには、予知能力があるらしい。ゆうべ見た夢に、今朝、パンにぬって食べた、紫色のジャムが出てきた。そのジャムは、いつも食べていた、赤い野いちごのものではなくて、めずらしい外国産の、紫の実のジャムだった。それは母の実家、ミの国より北辺にある、ラウの国から贈られてきた品物だった。エレは、そのジャムを、今朝、はじめて食べた。だから、きのうの夢に、紫色のジャムが出てきたのは、予知能力だと、そう言うのである。父と母は、ハハハと笑った。

その変わった性格の王女、エレ・ハンムは、いまどこにいたかというと、

「なんとなく、ここで待っていたら、すてきなことに出会えるような、気がするの。」

そんなことを考えて、エレ・ハンムは、キロン城の、来賓室に出入りする者が見える、廊下のかげに、かくれていたのだ。

来賓室といっても、キロン城のそれは、ほかの国の来賓室とは、ひとあじも、ふたあじも、ちがっていた。窓には鉄格子があるし。出入り口の扉は、頑丈な鍵が、外からかかるようにしてあるし。見張りは厳重だし。ただし、室内には、青いじゅうたんが敷かれ、木製のテーブルや、緑色のビロードのソファーが設置してあり、お湯の使えるお風呂場まで、用意してある。

さて、そこへ、ナムワンから連行され、麻縄でぐるぐる巻きにされたユリア・オストークと、セザル・ズロムが、兵士6名に囲まれて、やってきた。捕虜の女性のほうは、抵抗はせず、さりげなく周囲を観察していた。ユリアの聡明な目線は、廊下のかげから、自分を見ている幼い少女、エレを、めざとく、見つけた。

(あんなところから、桃色の髪の毛をした女の子が、のぞきみしていますけど、下女でしょうかしら?地下牢にでも閉じ込められるかと思っていましたのに、この廊下は、ナムワンの格納庫があった、山城の頂上から、階段をくだって、たった1階下ですわ。わたくしたち敵兵を幽閉するというのに、ずいぶん、不用心な。)

セザル・ズロムは、ユリアが脱出口を探すために、目をくばっているのを助けるため、わざと、ガキっぽく、さわぎたて、兵士の注意をそらしていた。彼の得意技だ。

「うわーん、いやさー、いやさー、捕虜になるのはいやさー!僕たちをどうするつもりさ。拷問なんかしたら、僕たちのドレイクさまは、3億倍にして、おかえししてやるんだからさ!」

ミの兵士たちは、ふくみ笑いをして、来賓室に、ユリアとセザルを押し込み、縄をほどいた。兵士の代表が、こう告げた。

「この部屋で、ゆるりと待つがよい。手水場(ちょうずば)も、てぬぐいも、用意してござる。軽食も、はこばせよう。あとで、国王おんみずから、ご下問がある。」

扉に外から施錠し、廊下側に番兵を置いて、兵士たちは去った。セザルはさっそく、室内を物色しはじめ、ユリアは、扉の鍵が内側からは開かないことと、外が見える窓が、頑丈であることを確認した。窓からは、鉄格子ごしに、外の風景は見えるが、廊下側は壁で、まったく見えない。窓は、南側にめんしており、眼下には、大きな湖が、ひろがっている。ミの国には、湖水が多い。水平線のかすむ彼方が、ナムワンのたどってきた航路だ。

「なんとかして、この窓を破壊できぬものかしら?ううん、しかし、下は絶壁ですわ。丸腰で窓から出て、なんとかなるものではない。では、廊下に出られれば。兵士の数名など、やっつければよい。階段をあがればすぐ、飛行場に出られますから、オーラ・マシンのどれかを奪えば…。」

「ユリアさま、これ、見て。きれいなお風呂場さ。」

セザルは色めきたって、嬢にお風呂場を見せた。白いタイルばりの床と壁、白い浴槽、白い洗面台、白い便座。白いタオルに、白いせっけん。簡素だが、掃除がゆきとどいている。セザルが、こんなふうに言う。

「ラース・ワウを出てから、まる3日間さ。お風呂に入ってないのさ。ユリアさま、よかったら、先に使ってください。」

ユリアは、真っ黄色の声で、怒った。

「おふざけでない、セザル!敵に捕らえられ、まっさきに入浴するものが、どこにおりますか。それより、武器に使えそうなものはありませんか?おさがしなさい。」

セザルは即答した。

「ひととおり調べたさ。刃物や鈍器は、ないさ。花瓶もないさ。このお風呂場には、カミソリもないさ。でさ、ソファーやテーブルをふりまわせば、けっこうな武器になるかもと思ったらさ、見てください。」

家具はすべて、脚が床にうめこんであり、動かせないようにしてあるのである。なんという周到さだろうか。セザルは、キリキリしているユリアに提言した。

「これから、ピネガン・ハンム王と、会見することになるらしいさ。だからユリアさま、御髪(おぐし)だけでも、整えられたほうがいいのさ。僕も、顔を洗います。お風呂場の鏡で見たら、僕の顔、すっごい汚れてるから、びっくりしたさ。ドレイク軍の恥にならないように、さ?」

こう言われたらユリアは、確かに、身支度はすべきだと考え直したので、2人して白いタイルのバスルームに入った。鏡を見上げたユリアは、自分の顔が真っ黒で、髪はぼさぼさで、その乱れように、驚いた。彼女は、敵国の王に恥ずかしくないように、ではなくて、鏡を見たほうがいいと、助言をくれた彼、セザルに、こんなみっともないじぶんを見せていたのかと、それを恥じた。ユリアは洗面台でせっけんを使い、顔を洗い、手ぐしで、黄緑色の髪の毛をすいた。櫛は、そこになかった。櫛ひとつでも、手にすれば、武器になりうるからだろう。

セザルは、彼女のとなりで、浴槽にかがみこみ、軍服のまま、シャワーヘッドを手に持ち、顔面にお湯をあててすすぎ、ついで頭をすすいで、栗色の、長くて豊かな髪を、きれいにときほぐした。

「ユリアさまは、髪のお手入れに、なにをお使いですか?僕は、馬油(ばあゆ)を使ってるさ。せっけんシャンプーをしたあとで、髪に馬油をすりこんで、タオルドライすると、つやつやになるのさ。」

彼と出会うものが、誰しも虜(とりこ)になる、栗色の髪の美容法に、つい聞き入ってしまったユリアは、はっとして鏡に向き直り、身支度を済ませた。2人とも、お湯を使ったら、さっぱりといい気持ちになった。そこへ、扉がひらかれて、番兵2名が、ほかの番兵に見張られながら入室し、お盆を2つはこび、テーブルに置いて、

「食されて、待たれよ。間もなく、ピネガン陛下がおいでになる。」

と、相変わらずの、丁寧な言葉づかいで、去っていった。2人とも、午後にレッド・バーで虜囚の身となり、今は夕飯の時刻だったから、腹ぺこだった。テーブルに置かれたものは、白い紅茶ポットに、白いミルクが入った白いミルクさし、白い角砂糖がつまった、白い陶器。白い紅茶茶碗が2つ。白い大皿に盛られているのは、こんがり焼き上がったパイで、刃物は不必要なように、すでに切り分けてあった。きつね色のパイ片を見たら、2人の胃が、音をたてた。セザルは、ユリアがまた心配するだろうと見越して、

「僕が、お毒味をするさ。くんくん。ああ、紅茶のいいにおいさ。ぺろっと。これは鶏肉のパイさ!大丈夫さ、ユリアさま。」

2人とも、腹ごしらえをすることにした。セザルは、紅茶に角砂糖を2つ入れて、木製のさじでかきまわして、飲んだ。ユリアは、砂糖は入れず、ミルクだけを入れて飲んだ。濃いめの紅茶を茶碗にそそぐと、茶碗の底が見えなくなる。それはそれは、美味しい紅茶だった。

鶏肉のパイは、皮はこうばしく、噛むと、肉汁がじわっとにじみ出て、香辛料がきいており、べらぼうに美味しい。空腹の若者の胃袋に、パイがどんどん、積載されていった。食べながらユリアは、もっともな疑問を持ちだした。

「ミの国は、いったい、なにを考えているのでしょうかしら。捕虜に、こんないい部屋をあてがって、ごちそうを出して。いたれりつくせりですわ。ピネガンは、わたくしたちのことを、捕虜ではなく、客だと言っておりましたわね。」

「そうさ。さっきから番兵どもがさ、僕たちに敬語を使うじゃんかさ。おっかしいさー。もぐもぐ。あ、そうだユリアさま、この角砂糖、非常食にとっておきましょう。ポッケに入れちゃって。そうそう。僕と半分こさ。」

ふふ、と、ユリアの口元に、ようやく、笑みがこぼれた。セザルといっしょで、よかったですわ…!

レッド・バーの砦で、ドラムロごと落とし穴にはまり、捕縛(ほばく)されて、ナムワンの甲板にひきずり出されたときには、ユリア・オストークは、舌をかんで自決するつもりだった。本気でそう思っていた。

なにせ、自分は、20歳にして、処女なのだ。戦時にあって、敵の捕虜となった女戦士が、どのようなめにあうか。ひとおもいに殺されるなら、まだましである。女は、もちろん、強姦される。強姦という行為は、平和時になら、じぶんの平和を保つために、男が自己抑制をしているから、また、社会のなかで相互に監視しあっているから、なされないだけだ。法や社会的規制が、およばなくなったとたんに、強姦は、男にとって、ごくふつうの行為として、ごく簡単におこなわれる。

身も心も、清廉潔白な乙女、ユリア・オストークは、たとえ、生きて味方のところへもどれたとしても、強姦された女として、生涯、周囲から見られ続ける2次強姦を考えると、わたくしは、かならず自決しようと考えていた。だが…。

「ユリアさま?どうしたのさ。」

紅茶茶碗をテーブルにがちゃんと置き、黄緑色のこうべをうつむかせ、あふれる涙を隠した。部下の前で泣くまい、と、必死にがまんしていた。だが無理は、できなかった。2歳年下の、機転のきく部下は、恐怖に耐えきれなくなった少女の気持ちをおしはかり、そして、

「大丈夫さ、ぜったい、大丈夫なのさ。ユリア、僕があなたを守るから!」

力強くセザルは、ユリアの肩をつかんだ。それだけでは、彼女の恐怖感は、まぎれなくて、ぶるぶるふるえていたから、抱きしめた。2人は、緑色のソファーに腰かけたまま、上半身を抱き合っていた。ユリアの座高は、セザルの肩よりずっと下だった。バイストン・ウェルでもっとも美しい男、セザル・ズロムの胸にすがり、乙女はたまらなくなり、嗚咽した。

「おお、セザル…。帰りましょう、きっと。ガラリアさまのところへ。」

乙女の、黒曜石のひとみが、涙でうるんだ。男は、碧眼を力強くかがやかせ、声たくましく、こたえた。

「そうさ、僕といっしょに、帰るのさ。ユリア、ユリア、ユリア!誇らしい名前なのさ。聞いたでしょう、僕たちの仲間がみんな、あなたの名前を呼んでいたさ。助けに行くから、待ってろ、ユリア、ユリアって。大事なひとなのさ、あなたは…!」

そこへ、扉が開かれて、ピネガン・ハンム王が、入室してきた。セザルは、ユリアをだきしめたまま、はなさず、国王を、にらみつけた。ユリアも、セザルの肩越しに、視線を投げた。

そこにユリアは、ひじょうに意外なものを、発見した。さっき廊下で、自分たちをのぞきみしていた、下女だと思った女の子が、国王に手をひかれて、いっしょに入室してきたからだ。桃色の髪は天然のカールがかかっており、両耳をおおいかくすツインテールは、はねあがって、空中にとどまっている。下品な髪型だと、平民のユリアがそう感じた。服装は、紺色の木綿のワンピースに、くすんだ青色のズボン姿である。なんとも地味である。下女に見えたのも、不思議ではない。

その不思議な女の子は、部屋に入ったとたん、ちいさな目を見開き、なにかに注目した。なにかから、目がはなせなくなった。ひじょうに驚嘆していた。ユリアは女性であり、勘がいいので、ははん、と、すぐにわかった。そして、勝利感を得て、国王と、少女とを、見比べた。口を開いたのは、ピネガン・ハンム王のほうだった。

「やあ、失礼、お待たせした。先に紹介しよう。これは、わたしのひとり娘で、エレ・ハンムという。身丈は小さいが、これで歳は、14になる。」

すると紹介された姫が、たいへん怒って、父親にくってかかった。

「いやだわ、お父さま!わたしそんなに小さくなんか、ありません。えと、こんにちは、アの国の騎士さま。わたしは、ミの国の王女、エレ・ハンムです。父といっしょに、お国のお話しを、きかせてくださいな。」

いっしょうけんめいの愛嬌をむけてきた、エレ・ハンムに対する、ユリア・オストークの評価は、一刀両断、

(ふん、やぼったい子供のくせに!)

と、心中で見下し、こんどはわざと、セザル・ズロムの胸に抱きついて見せた。

王女エレ・ハンムは、ひとめぼれをしたのだ。誰に?決まっているだろう。無理もない。自由奔放に教育されたとはいえ、しょせん、深窓の姫君だ。

シャワーで栗色の髪を洗ったばかりの18歳の男。碧眼のまなこは切れ長で、まぶたは一重で、栗色の眉は弓型で、男性的な顔立ちであるが、まだ未発達なぶん、一種中性的な色気を、絶えずはなっている。利発な頭脳がかもしだす、自己演出効果。天下無敵の美少年、セザル・ズロムを、はじめて見た女はみな、心を奪われるのだ。

あの姫君は、たった14歳だと。男という、じぶんとは別の生き物の存在に、気がついたことなど、なかったのだろう。恋など、まだ、したこともなかったのだろう。

ユリア・オストークは、立ち上がって、威厳を持って、ピネガンに対峙した。そして、セザル・ズロムを部下としてしたがえ、じぶんのわきに立つよう、うながしながら、わざと、彼の腕に、気安く触れた。

眼前にいる、異国の姫君は、無邪気さを、はや失した。エレ・ハンムは、強い不安にかられた。思春期性予知能力などでは、ふせぎようのない…予知夢とは、思春期に多い、記憶障害の一種である。エレは、うまれてはじめて見た紫の実のジャムを、昨日の夢で、先に見て知っていたと、思いこんだだけなのである…そんな、文字通りの「夢見がち」な感傷などとは、桁がちがう。もっともっと、強烈な感情。恋愛感情という、人生最大の難物に、うまれてはじめて、つきあたったのだ。


ミの国の王女、14歳のエレ・ハンムは、18歳のアの国の騎士、セザル・ズロムに、恋をしてしまったのだった。

キロン城の、虜(とりこ)だ。

第57章更新後書き

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