「月下の花」

第15章 女、恋を失い恋を知る


 大広間に入場したバーン・バニングスは、ただまっすぐに、ドレイク・ルフトを目指して歩いた。

 彼の視野には、自分の婚約相手、リムル・ルフトは入っていなかったし、自分の横顔を見つめている大勢の観衆、その中にいる、ガラリア・ニャムヒーをも、彼は見なかった。見ないようにしていた。

 バーンは、一心にこう念じていた。

 今から行われる儀式は、わたしという男と、女との儀式ではない。一重に、政治的な取り決めなのだ。決めるのは、領主ドレイク・ルフトと、その側近であった我が父、バニングス卿である。

わたしは、自分の歩む道を、自分で選択して来たのではないのだ。生まれた時から、騎士の家、卿、と呼ばれる名家の生まれ。進むべき道は、騎士道ただひとつ。職業は、ドレイク軍の騎士団長。

そしてこの婚約…わたし、バーン・バニングスは、騎士階級の最高位である、領主の地位を、手に入れるべくして生まれた男なのだ。騎士の男として、これ以上の栄誉はないではないか…
ドレイク様は、アトラスとハッタ王を廃し、ビショットと同盟した。いずれ宗主フラオン王を廃し、アの国を、そして諸外国をも手中にと画す方、そのためにオーラ・ロードを開き、地上人をさえ配下にしてしまう人物。その後継がわたしだ!

…女の1人や2人…リムルは、ニー・ギブンと既に密通している。つまりはもう他の男のものになっている、ふしだらな女だ。そして我が愛する女の心は、死んだ男の処にあり、わたしは彼女に憎まれている。

妻になる女(おんな)からも、恋する女(ひと)からも、見放されているというわけだ。

 愛、と呼ばれる世界から、見捨てられた男なのだ!

ならば、進むさ、残された道を。騎士の道、権威の道。歴史に名を成す漢の道をな!そうさ、我が望みとは、たぶん、我が愛欲を満たすことではなく、それを凌駕した、上、にあるものなのだ。

…アトラスのようには生きられぬ。これが宿命なのか?…よいのだ、わたしは進む。

領主の前に額づき、青い長髪の騎士団長は、朗々とした、彼らしい発声で、口上を述べた。

「ドレイク・ルフト様。バニングス卿が一子、バーン・バニングス、お呼びにより、まかりこしまして御座います。」

全くよどみの無い、この言い方に、ガラリアは、また、打ちのめされた。バーンが、姫様と婚約する。つまり、自分とアトラスの関係と同じ、公的に認められた、男女の関係になる。

<※正式なお付き合い(=婚約):バイストン・ウェルの騎士階級における、婚約とは、褥を供にすることが公的に許可される仲になることを意味している。
婚約するためには、女性側の保護者男性対、女性との付き合いを望む男性との話し合いが先。
家族の無いガラリアにあっては、先客と見なされたバーンに対して、アトラスが、ガラリアを口説く以前に申し出をし、バーンの許可を求めた。
婚約は、騎士の男同士が公に取り決めをする、社会的行為ではあるが、不文律である。
これに対して、騎士階級の結婚は、税収領地の配分が変わるため、国主への許可申請が義務付けられている、法的行為である。>

 ガラリアは、どうして自分が、激しい悲嘆の気持ちになったのか、それが、わからなかった。わかり過ぎるほど、わかっていたのかもしれないが、それを自覚することをためらってきた。もうずっと長い年月、ガラリアは、自分が求めても求めても、手に入らないものが、なんであるのか、自分に突きつけることを、避けてきた。逃げていた。戸惑うことを恐れない人間には、なかなか成れない。

 彼女が、今から悟ることは、今までの人生で、出会ったことのない、辛い現実である。

 ドレイクは、威厳ある、そして機嫌の良い口を開き、足元の青年に、形式にのっとった言葉をかけた。

「ドレイク・ルフトより、バニングス家の嫡男、バーンへ、申し出をいたす。我が1人娘、リムル・ルフトを、貴公に娶らせたい。」

 この部屋にいる、2人の、対照的な女性。娶る(めとる)という語感を、耳にしたリムルは、背筋に悪寒が走った。

(なんて、いやらしいのかしら!愛してもいない男が、わたしに触れる権利を得るなんてね。わたしは、愛する方、ニー様にだって、唇しか許してないのよ。ましてや、大嫌いなあんな男なんかが、このわたしを、娶るだなんて、おぞましいったら!)

 もう1人の、女性。ガラリア・ニャムヒーは、娶る、と聞いたとたん…

(娶る?それは、褥を供にするということだ。アトラスが、かつてバーンに、申し出をしたのと同じだ。あの時にバーンが拒否したならば、決闘になる。それが騎士道の取り決めなのだ。あの時、バーンは、拒否しなかった。つまり、私がアトラスに抱かれることを、受諾したのだ。

そのバーンが…お館様から、姫様の…夫にと、申し出をされた、ああ、なんだろう?体がおかしい、おなかが痛い、目頭が、刺すように痛い…頭がぼうっとする、苦しい…なぜだ、バーンが婚約すると聞いて、私の体が、おかしくなるのは、なぜ…)

ガラリアの判断力より先に、彼女の肉体が、目の前の<惨事>に、拒絶反応を示した。だが、惨事は更にむごたらしいものとなっていく。ドレイクの言葉は続く。

「では、バーン。貴公は、わしからの申し出を、受けるか、否か。」

額づく青年、上背のあるたくましい肉体を、うやうやしく傾けた、アの国に並ぶ者無き、男らしい美貌を誇る者が、高らかな声で、はっきりと答えた。

「ハッ!バーン・バニングス、ありがたく、お申し出をお受け致します。」

ラース・ワウの大広間に、オオーッという歓声があがった。ドレイクの家臣団は、やんやと拍手喝采した。高名な騎士、バニングス卿の嫡男であり、騎士団長となった美青年と、領主の愛娘、小柄な身体に紫色のショートヘアを栄えさせた、17歳の美姫との、縁組が成ったことは、国をあげての、おめでたいことである。

壁際のガラリアは、ただじっと、青い髪の男を、見つめた。すまして立ち上がった男。ドレイクに促され、次はリムルの足元に、うやうやしく額づいた男。表情を変えない男の名は、バーン・バニングス。

(バーンが、受諾した。バーンは、姫様と婚約した。これは、なんだ?私の足元が、震える。倒れそうだ。息が、苦しい。手指が、痙攣している。おなかが、痛い…おなかの、どのあたりだろうか、この痛さは、胃ではない、腸でもない、みぞおちの、下の方…私の体の中心が、痛いのだ。姫様にお辞儀していたバーンが…)

そして惨劇は、起こった。バーン・バニングスは、赤茶色の瞳を開き、リムルの青い瞳を見上げて、華奢な少女の右手を握った。

その時、手を握られたリムルは、ふんだ、とすねて見せた。自分に触れたバーンの手は、姫君にとっては、馬の体温より劣る、下賎で、どうでもよい肉片でしかない。

そしてリムルの手の甲に、バーン・バニングスは、口づけした。

彼の唇が、姫の手に。涼やかな美男子の口が、美少女の手にあてがわれた。

その瞬間。

ガラリアの身体が、劇的な痛みを知った。おなかの中心、子宮の天井が、悲鳴をあげた。いや!と叫んだ。かつてアトラスの肉棒で突き上げられた部分が、いやだ、だめ!とガラリアに訴えた。膣から、蜜ではない、苦汁という液体が、濁流のように一気に流れ出た。熱い蜜が出る時、つまり快感ではないのに、ガラリアの全く同じ場所が、赤い赤い炎を燃え上がらせたのだ。それは悲痛の炎だ。アトラスに最後に抱かれた日に感じた、いく快感の対極にあるものは、同じ場所にあったのだ。

女の、子宮が泣き叫ぶ痛み、それは、<嫉妬>である。

バーンが、<他の女>を抱くのだ!!

彼の手が、リムルの手を握った。彼は落ち着いた物腰で、リムルの手に口づけした。彼の唇が、リムルの素肌に触れたのだ、そうか、バーンは、あんなふうに<女を抱くことができる男>だったのだ、大人の男だったのだ。そうだ、アトラスが私にしたみたいに、バーンは<他の女>に触れるのだな!

ガラリアの青い髪は、怒りとも悲しみともつかない激しい感情により、逆立ち、青く燃え上がる。心臓は、止まったようだ!ただ子宮だけが、ぎゅうぎゅうと、彼女の心の一番深い傷を、これでもか、これでもかと、締め付け苦しめる。

  彼女の子宮口が、彼女の上の口に代わって、自覚を促した。

<私の欲しい男は、私以外の女のものになるよ>と。

 いやッ!いや、いやだ、彼がそんなことするなんて…

 ああ、そうだったのだ、私は、バーンが<普通の男>であることを、知っていたのに、彼のそういう面を、見ようとしなかったのだ。彼の態度を見ろ。アトラスが私にしたのと同じだ。23歳の男が、騎士然として女の手にキスをした。なにも不自然ではない…

 不自然ではない。バーンの態度は当然だ。だってお館様の命令だ。婚約を受諾しないはずがない。リムルは、ニーと通じているが、密通と婚姻は別だもの、バーンは姫様と…褥をする権利を得た。褥を…

違う!ちがうちがう!そんなの、だめ、そんなの、いやだ!だってバーンは、私の…




 めでたい宴会は、ガラリア1人を壁際に残し、賑やかに進行した。ドレイクは高らかに笑い、婿殿に酒杯をすすめた。大広間のあちこちで、グラスをキン、キン、と鳴らす音がし、笑い合う声がする。家臣たちは、バーンとリムルの前に代わる代わる出て、祝辞を述べている。

ショット・ウェポンは、場内が歓談の状態になってから、恋人ミュージィを傍らに招き寄せ、2人揃ってバーンとリムルに挨拶した。地上人ショットは、バイストン・ウェルの騎士道に、厳密に沿った手順で、ミュージィ・ポウの父に、婚約の申し出をしており、このカップルは、既に公的に認められた恋人同士であった。

 姫君の音楽教師、ミュージィは、群青色のボブヘアを、しとやかに傾け、リムルに

「おめでとう御座います、姫様。」

と言ったが、リムルは、幼女の頃のままの、すねた顔で、ふん、とそっぽを向いた。リムルのわきに立つルーザは、うっすらと笑みを浮かべて、低い声でミュージィに言った。

「ミュージィ、そなたには、これが勝手な振る舞いをせぬように、花嫁修業の躾を頼むぞ」

「はい、奥様。」

ミュージィの彼氏、ショットの方は、婿殿に、やや冷ややかな声音で話している。

「バーン殿には、ドラムロに乗っていただこうと思っています。コモンの力で扱える新型のオーラ・バトラーです。あなたなら、存分に使いこなせましょうが、オーラ・バトラーで敵機を討ち取れない騎士は、戦功の上げられない者と評価される時代になっております。おわかりですね?」

ショットに問われたバーンは、努力して、遠い壁際にいる、髪の毛の青い女の子を見ないようにしている。戦術の話題は、気持ちがそれるので、金髪の地上人に向かい、

「他国に輸出してきたゲドや、同系列のダーナ・オシーよりも機動性が高い新型と聞きました。ドラムロですか、いつ完成するのでしょうか。早く乗りこなしてみたいものです」

と答えた。ショットは、痩せてとがった顎を突き上げ、ドレイクの婿を値踏みしながら、周囲に聞こえるように、話した。

「数日後には、試乗していただく。バラウとの空中合体・離脱の訓練もあります。操縦技術は、難しくはない。だが、オーラ力をエネルギー源とするからには、コモンのそれには上限があります。ですから、」

と地上人ショットは、そばにいるドレイクに首だけ向けて尋ねた。

「ドレイク様。例の件を、今、わたしから発表しては、差し支えがありましょうか」

ドレイクが許可し、ショットが、広間の皆に伝えた。

「聖戦士を、地上から呼び込みます。次の月が満ちる日に、シルキー・マウを水牢から出し、オーラ・ロードを開かせます」

バーンは、青い眉を、歪めた。聖戦士だと?場内の者たちは、おおう、と驚きの声をあげた。ショットは話し続けた。

「地上人のオーラ力は、コモンよりも強力です。オーラ・バトラー戦で勝つためには、パイロットとして地上人を招聘するのが最適。これは、オーラ・マシンの特性から導かれる理の必然です。宜しいかな、バーン殿、あなたは、軍の総指揮官の立場にある。目の前の敵、ギブン家は既に聖戦士を1人傘下に入れているのですよ?我らも、聖戦士を積極的に呼び込み、軍の強化に利用すべきと、お考えになりませんか。」

「なるほど、ショット様。ギブンが聖戦士を使って対抗してくることを鑑みれば、それは良き手と思われる。ギブン領に侵攻し入手したシルキーですからな。これを使わぬ手はない。ギブン家よりも強力な聖戦士、これは是非とも欲しいものであります。」

この時、ショットの碧眼が、暗く光ったのを、バーンは気がつかなかった。ショットは、言外でこう言ったのだ。

(つまり、バーン、コモンのお前が追い越せない力を持つ者が、同軍に現れるというわけだ!わたしの狙いの一つだ。バイストン・ウェル、暗愚で野蛮な民どもめ!お前達をわたしが支配するために。バーン、そしてドレイクもビショットも、コモンの身分ある、階級を飛び越す一手、駒の一つ、騎士(ナイト)が、聖戦士だ。そしてナイトを動かす王(キング)は、わたし、ショット・ウェポンである。わたしに都合の良い者だけは、生かしてやってもよい…それが世界の止揚。いずれ誰もが、わたしの前にひざまずくのだから。ゼット・ライトも駒の一つだ。細かい作業をさせておけば満足しておる技術屋、黙って働くしか脳の無い、田舎者の黒人!)

その黒人が、毎日残業し製作している、マシンの名称を、ショットは口にした。

「聖戦士用のオーラ・バトラーを、召還の日に合わせて起動します。オーラ増幅器を搭載しない試作品であり、これは従来のオーラ・マシンに無い型式です。初めての、地上人専用機というわけですな。ドレイク様の御名を称える意味で、ルフト家の守護者の名をいただきました。ダンバイン。聖戦士のオーラ・バトラーの名は、ダンバインです。」

ショットの演説に、ドレイクは満足げに笑い声をあげた。




ゼット・ライトは、気が気でなかった。領主夫妻に挨拶を済まして、おずおずと、壁の花、ガラリアに近寄った。

俺から、何を言うこともできないけども、言うべきではないが、しかし、ガラリア!ああ、そんなに青ざめてしまって。君より美しい人は、他にはいないんだよ、そんなに悲しまないでおくれ、俺のガラリア。

青い短髪の、尖った先端を床に向け、震えているガラリアは、自分の心と体の、痛みに耐え切れず、痛みを言葉に乗せられないから、その口を開くことができずにいた。

(ああ、おなかが痛いのだ。私の全身が、崩れていく。

そうか、そうだったのだ。バーンは私のものではなかったのだ。私は、ずっと勘違いしてきたのだ。私が初めて出会った優しい男の子。士官学校で唯一仲良しだった男の子。彼は、ずっと傍にいてくれるものと、思い込んでいたのだ。バーンはいつも私と一緒にいるものとばかり。

…馬鹿な女だ、私は!アトラスに抱かれていながら、バーンは他の女を抱かないと思い込むとはな!

 アトラスが逝ってしまったあの日、もう恋はしないと誓った。するはずがないと思った。

私に、生きる意味があるとしたら、父の汚名を返上すること、軍務に生きることだけと思っていた。

バーンのことを、私は、戦功を争うライバルだと意識してきたが、違う。
私の騎士としての地位を、脅かす者ならば、ユリアも、地上人も、強力なライバル足りえるはずだ。なのに、私は殊更バーンにだけ、敵意を感じた。彼にだけは負けたくないから。

気持ちにおいては、負けていたからなのだ!彼の声に、体温に、焦がれている、自分の愛欲に負けまいとしていたのだ。

…そして、この苦しさ。この、例えようの無い悔しさ。バーンがリムルに口づけした時、私は、この、)

ガラリアは、ポケットに帯刀している小刀を、服の上から、握りしめた。

(この刃で、あの女を、切り刻んでやろうと思ったのだ!死ねばいい!バーンに抱かれる女は、殺してやりたいッ!ああっ、私は、彼を…あぁ、いやぁッ!!)




ゼットは、ガラリアから数メートル離れたテーブルの横に立ち、小皿に料理を取っていた。
ガラリアが好きな料理はなんだっけ、腸詰めだったよな、ユリアが喋っているのを聞いたぞと、一生懸命、彼女のことを思っていた。

すると、もう1人、ガラリアの悲嘆を見かねた人物が、部屋のすみっこにいる彼女に、近付いた。

ミズル・ズロムは、じっとガラリアを見つめた。ミズルがかつて愛した女性の、忘れ形見は、前に立つミズルの靴先を、ぼんやりと視界に留めた。子供の頃から聞き慣れた、おじさんの声が聞こえる。

「ガラリア。副団長が、姫様に挨拶しないのは、よくないぞ。ご挨拶に、行って来なさい。これは任務だ。わかるな?」

するとうつむいていた副団長は、悪鬼が目覚めるように、顔を上げ、口元だけで、にやりと、笑って見せた。

その微笑は、悪女のものではなく、女戦士のものでもない。つまり確信された微笑ではない。嫉妬という狂気、分裂した精神が見せる、狂った女の微笑だった。

 笑みを浮かべた副団長が、自分の方へ歩いて来るのを見てしまったバーンは、なす術無く目を伏せた。リムルの前に立ったガラリアから、顔をそむけ、彼女が、

「リムル様、ご婚約おめでとう御座います!」

と、大きな声で言っているのを耳だけが認知した。

このまま去ってくれ、ガラリア。わたしを見ないでくれ、ガラリア。わたしは君をあきらめて、男の王道を行く方を選んだのだから。

 狂気のガラリアは、殺したいほど憎むべき存在となった、ルフトの姫様を、睨みすえ、心の中で、叫んだ。

(リムル、生まれた時から、領主の娘。あなたの、生誕祝賀のお祭りの日、私はいじめられることを恐れ、縁日に行くこともできず、草むらに隠れ泣いていた!あなたが、絹の靴下を履き、両親に抱かれ眠っている日、私の母は、貧しさの中で凍えて死んだ!そしてあなたが、ニー・ギブンに出会い、恋に落ちた日に、私のアトラスは、あなたの婚約者と闘い死んだのだ!!

なんだ、そのすねた顔は。不服か、バーンとの婚約に。そうだろうな、あなたには、生きて愛してくれる恋人、ニーがいるのだから!己の幸せを知らずして、ニーを得、バーンの妻の座をも得るのか、この子供がこの、肌が!)

リムルとガラリアから顔をそむけたバーンは、自分の前に、青い髪を燃え上がらせる女が、立ったのがわかった。これは殺気だ。ガラリアが、怒っている?なぜ…なぜだ…

 うつむくバーン・バニングスの青い前髪に、ガラリアは、きびきびした、甲高い声で、

「騎士団長殿、ご婚約、おめでとう御座います。」

と言い、まだ、立ち去らない。周囲には、ドレイクもショットもいるのだ。バーンは、怯えながら彼女を見るしかなかった。

そして、ハッと、赤茶色の瞳孔を開き、心底、戦慄した。

(ガラリアの、この顔は、あの日の顔だ。ケミ城戦から帰還した日、わたしがポロポーズの花を、手渡したあの時の顔!)

ガラリアの、その凍てついた顔は、バーンが最も恐れるものだった。バーン・バニングスを奈落の底へ落とすもの。彼女の白い肌は、香気無く、体温無く、氷と化している。

ガラリアは、眼前の男にだけ、聞こえるぐらいの低い声で、呪詛の言葉をつぶやいた。それが、バーンの疑問、なぜガラリアが怒っているか、への返答だった。

「良きものでしょう、正式にお付き合いができるとは。騎士団長殿…私にも…婚約者がいたのだ…」

そう言って、ガラリアは立ち去った。心臓を、氷の槍で突かれたバーン・バニングスは、また、あの後ろ姿を見た。アトラスが死んだ日に、去って行く、愛する少女の後ろ姿を。

(決定的だな。彼女を失ったのだ。わかっていたさ!アトラスを失ったあの日に、我が不滅の恋、ガラリアを失ってしまったのだと。だが、また、まただ。わたしは彼女に憎まれることばかり、しなければならないのか。アトラスを死なせた功績で得た騎士団長の地位、そして得た、領主の婿の地位、彼女を苦しめるほど、わたしの権勢が高まるのだ。恨まれて当然か…)

 バーンには、自分が<私以外の女に触れた>から、彼女が怒っていることなど、わかるはずもなかった。ガラリア自身が、今夜、目覚めたばかりなのだから。自分が一番欲しい男性が、誰だったのかを。




ミズルに命じられた任務を終えたガラリアは、壁際に戻り、イライラと床を見下ろした。

宴会が終るまで、ここを出てはいけないのか。独りになりたい。太った色黒な地上人が、オドオドと寄って来て、かすれた声で、自分に話し掛ける。鬱陶しい雑音め、黙れ。

「あ、あの、ガラリアさん。何も食べてないでしょ、これ、どうぞ…おいしいよ?」

ゼット・ライトは、小皿に、腸詰めやチーズや、ガラリアの好物を盛り付けて、フォークを添えて、彼女の前に差し出した。

「いらないッ!」

ガラリアは、まるで幼女のような言い方で、両手を背中で組んだまま、床に向かい叫んだ。ゼットは、ビクッと後ずさり、まずいことをしてしまった、余計なことはしない方が、俺の印象を悪くしないだろうが、だけど、と、広い室内を見渡した。

宴はたけなわである。ドレイクは、ますます機嫌良く、諸外国の情勢を演説し、バーンとショットに意見を求めている。リムルは、退席が許されないとわかるや、ミュージィやルーザら、女同士の輪に入って、わざと高い声で、

「じゃあ、花嫁修業って、何をするの?お料理とかかしら!バーンのお母様に習いに行くのかしらね、ふんだ」

と、意に添わない婚約相手に、嫌味を言っているつもりで、ガキっぽく喋っている。この不快な賑やかさの中で、ゼット・ライトの愛する女性は、電灯の届かない、暗い壁際で、肩より低くこうべを垂れている。

 独りぼっちのガラリア。白い顔をますます蒼白に、紅(くれない)のくちびるは生気なく、かすかに振動するのみ。

 貴女は、こんな席にいなくていいんだよ。ゼットは、好きな女の子が、自分ではない男のために苦しんでいるのに、助けたいと思った。抱きしめて慰めたい、けれど誇り高い彼女が、バーンを好きな彼女が、俺なんかを頼ったりしないよな。でも俺は、この世の、誰よりもきれいな貴女を、このむごい部屋から逃がしてあげたいんだ。

 ゼットは、テーブル上にあった、一番小さなグラスに、真っ赤な果実酒を注いだ。甘い、軽い酒も、ガラリアの好きな飲み物である。褐色の太い指がグラスを持ち、再び、ガラリアのわきに、ゼットが立った。彼の耳に、うつむく彼女の歯が、ガチガチと鈍い音を立てているのが聞こえた。2人が立っているのは、大広間の隅、他の皆は、2人に背を向け、婚約したカップルの方を見ている。

 ゼットは、さっきより落ち着いた口調で、ガラリアに話しかけた。彼の声音は、優しげに錆びている。

「外に、行ってらっしゃい、ガラリアさん。夜風が涼しいですよ…これを持って」

と、真っ赤な酒杯を、手渡そうとした。ガラリアが、グラスを見てくれた。モス・グリーンの瞳孔が、少し開いたようだ。

「うん、そう、あの、グラスを持って出れば、パーティー中でも、おかしくないし…外へ、ね?」

「うるさい!!」

ガラリアの叫び声と、グラスの割れる音が、同時に、室内に響いた。壁に背を向けていた数人が、振り向いた。すぐさまミズルが早足で駆け寄るのを、バーンはちら、と見たが、ミズルの行く先は、見なかった。

 ゼット・ライトの青い服の、胸板は、真っ赤に汚れ、首筋や顎にまで、赤い水滴がかかっている。彼の足元には、粉砕されたグラスの破片が散らばっている。ガラリアがゼットに向けて、グラスを叩きつけたのだとわかったミズルは、

「なんたる無礼だ。ガラリア、ゼット様に謝罪しなさい。」

烈火が如き怒りにうち震えるガラリアは、酒まみれになった顎を、いいんです、いいんですと言いながらナプキンで拭く、太った男を指さし、

「この男が、しつこく言い寄るからだ!」

と吐き捨てると、大広間の出入り口へと走り、外へ出て行ってしまった。騒ぎを振り返っていた数人の家臣は、なんだ痴話喧嘩か、と、またドレイクへ向き直り、オーラ・バトラー戦が本格的に始まるのですな、と歓談を続けた。

 ゼットが、酒を拭いたナプキンで、目頭を、涙をぬぐったのを、ミズルだけが見とめた。




 守備隊兵舎のユリアは、1人、バイストン・ウェル地図を机上に広げていた。地図を照らす机上灯を見上げ、ふふ、と笑った。

「この電灯の名称が、ゼット・ライト、と言うのですって。御本人が言ってらしたわ。では、ゼット様は、地上では、おかしな名前の人なのかしら。うふふ」

 すると、暗い夜の、窓の外、芝生を走る、大好きな女性の足音が聞こえたので、黄緑色の髪の乙女は、窓から首を出して見た。ピンク色の制服を着たガラリアは、ユリアに気がつかず、兵舎の前を全速力で走り去って行った。鋭敏なユリアは、彼女の走り方の尋常でない様子を見て、なにかあったのだ、とすぐにわかった。

「ガラリア様が、わき目もふらずに走っている時は、すっごく興奮なさっている時なのよ。どうしたのかしら、心配だわ」

 彼女の行く先は、わかっている。自室のある東棟だ。兵舎を出たユリアは、ガラリアが走って来た方向から、老臣数人が、歩いて来たのを見て、謁見室で、なにかあったのね、と思った。

 ガラリアとゼットが<痴話喧嘩騒ぎ>をしたきっかけで、酔った老臣たちが、屋外へ出た。夜風を吸いながら、酔っ払いたちは、めでたいことだ、バニングス卿は良き子を持って幸せなことだ、と声高に喋っている。下士官ユリアは、老臣に世間話しをできる立場ではないので、行き過ぎる酔っ払いに敬礼しながら考えていた。

「バーン様が、なに?彼が絡むことで、ガラリア様が、あのように興奮することと言えば…」

ユリアが、真相を聞きだせる人物が、中央宮殿から出て来た。ゼット・ライトは、仕事が残っていますからと言い訳をして、いたたまれない部屋から、出て来たところだった。

機械の館のあるじは、青い上着を真っ赤に汚している。ユリアは駆け寄って声をかけた。

「まあ、ゼット様、どうなさったのですか、そのお洋服は。」

「いやあ、なんでもないよ。酒をこぼしちゃってね。ドジだから、俺。」

ユリアは、人あたりのよい地上人が、くぼんだ目を一層細くして、悲しげに首を振る様子と、服の汚れが、首筋から胸元に広がっており、自分でこぼしたものではないことを見抜いた。

「走って行くガラリア様を見ましたので、心配になって来たのです。ゼット様も変ですわ。すごく寂しそうですもの。いやなことがありましたの?」

「いや…俺は別に、なにもないよ。」

ゼットは、自分の負の感情を、他人に見せない人であることを、ユリアはよくわかっていた。中央宮殿の窓からもれる電灯の、白んだ光線を、背に遠くさせながら、ゼットとユリアは、ゆっくりと、並んで歩いた。彼らを照らしていた灯りは、電気のものから、夜の天然のものへ、バイストン・ウェルの鱗の光りへと変わる。

大柄なゼットと並ぶと、背の低さが際立つ乙女は、彼の顔を見上げて、

「お館様からは、なんのお話しだったのですか。」

と尋ねた。大柄な男は、夜陰の地面を眺めたまま、

「うーん。まあね。お姫様がさ、バーン・バニングスと婚約、したんだ。」

ゼットは、ユリアが、えぇーっとか、大声を出さないかと心配したが、彼女は、静かにうなずいただけだった。

 リムルとバーンが婚約。そう聞いただけで、ユリアは、ガラリアの心中を悟り、ゼットの、服の汚れの意味を、なんとなく想像した。ガラリアの親友は、機械の館の、優しきあるじに、にこやかに語りかけた。

「ね、ゼット様。わたくしたちは、同志ですのよね。」

明るく話すユリアの口調に、ゼットは、笑みを作ったつもりの視線を上げた。

「同志って、なんだい?ユリア。」

「共通の、好きな女性を持つ同志ですわ。ね、そうでしょう。」

「…ン…」

ゼットは困ったな、という顔はしたが、この子にしらばっくれても、無駄だな、と思った。ユリアはうふ、と息をもらし、話し続ける。

「今夜は、ガラリア様、大荒れ警報でしたでしょ。いたたまれないですわよね。彼女って、見た目セクシーですけど、心はまるで幼いのですもの。ホント子供なの。おせっかいもしたくなるってものですわ。」

やれやれ、この黒い瞳は、全てお見通しだな、とゼットはあきらめた。2人の同志は、夜空の鱗を見上げて、大好きな女性へと思いをはせた。20歳と21歳の女の子たちより、大人である男は、ハスキーな声を語らせた。

「だけど、こういうことは、他人が口をはさむことではないよ。俺は余計なことをしてしまった。婚約の宴会が、わざとらしく賑々しくて。ショットは、バーンにドラムロに乗れと言う。婚約祝いにオーラ・バトラーかよ。守備隊には、ようやくドロが配分されたばかりだってのに、新型がまたバーンのものだ。なにもかもが、あんまり、ガラリアさんが、かわいそうだったから、お酒を持って部屋から出たら、って勧めたんだけど。で、これ。」

ゼットは、太い首を包む、上着の襟の汚れをつまんだ。

「まあ、お酒をかけたのですか。なんて酷いことを。いけませんわね、ガラリア様は…」

「いいんだよ、俺が悪いんだから。そっとしておいてあげるべきだった。」

「ガラリア様の感情問題に対してならば、差し出がましいことは言うべきではないでしょうね。御本人が感じること、決めることですもの。でも、友達としては、言うべきことがありますわ。わたくし、ちょっと行ってきます、東棟に。」

機械の館へ向かう道と、東棟へ向かう道の分岐点に来たユリアは、ゼットと別れて行こうとしたが、思いついて振り返った。

「あっ、そうそう。ゼット様、わたくしたちは、同志ですけど、相違点はありますわよね。」

「ン、なんだい?」

「わたくしは、今度、ガラリア様と一緒にお風呂に入りたいと、お願いするつもりですの。どう?羨ましいでしょう。うふふっ!」

屈託無く、笑って見せたユリアが、パタパタと走り去るのを、ゼット・ライトは、苦笑いし、厚い下唇を噛み、そしてため息をついて見送った。

 君が話しかけてくれて、少し、気持ちが楽になったよ、ありがとう。同志か…でもユリア、君と俺が違う点は、お風呂ではないよ。君はバーンとガラリアとの仲を応援してるだろう。でも俺は、あいつは大嫌いなんだから。ガラリアの心を奪っている上に、地位とお姫様を手に入れてしまう男は、好かないね。なにがいいんだよ、あんな奴の…




 人気のない、東棟の廊下に来たユリアは、副団長専用食堂と、専用厨房がある方角から、ガチャン!ガチャン!と食器の割れる音が聞こえるので、探す人がそこで暴れていると、すぐにわかった。ガラリアは、誰もいない、自分の厨房に入り、暗闇の中、ヤケ酒を探していた。厨房の棚から、酒瓶を取り出そうとすると、ひじや手に、置いてあるワイングラスが当たる。ガラリアは、

「ええい、邪魔だッ!」

と声高い独り言を吐き、グラスを乱暴に振り払い、それがたくさん床に落ちる。ガラリアは、落ちたグラスをブーツで踏み、割っている。

「ええい、ええい!こんなもの、こんなもの!」

誰かを殺したい破壊欲求を、ワイングラスにぶつけていた。厨房の電灯が、突然、灯されたので、ガラリアはハッとしてドアを振り返った。

「うっ、ユリア、なんだ、なんの用だ」

傍若無人に暴れていた青い髪は、ひどく気まずく思った。自分のこういう姿を、ゼットやミズルになら、甘ったれ、露呈できるのに、同性のユリアには、心の底まで見透かされているのがわかり、恥じるからである。

 開け放たれたドアに立つユリアは、きつい目線で、ガラリアを見ていた。夜中、狭い台所の2人を、電灯が照らす。粉砕されたグラスの破片が、電気の光りの下に、たくさん散らばっている。黄緑色の髪が、静かに口を開いた。

「ガラリア様。どうされたのです。」

「な、なんでもない、酒を探していただけだ。」

「グラスがこんなに割れて。勿体ないですわ。それに、明朝、飯炊きの召使いがびっくりしますでしょうに。片付けるのが、たいへんですわ。」

ガラリアはカッとなり、怒りを露わにした。ユリアに、愚かしい行為を責められた、恥をごまかすための怒りである。こういう時に、逆切れしてしまうのが、ガラリアの一番悪い癖である。

「関係なかろう!どうせ召使いが、やることだ。グラスなんか、何個割ろうが、また買えば済むのだ、ふん!」

「・・・・・・・・・・・・」

ユリアは黙って、ガラリアの目を見つめた。今の発言に、反省を促すためである。ガラリアは、ユリアが黙った意味に気づき、ますますバツが悪くなった。ユリアは、はっきり言った。

「どうせ召使いが?ガラリア様。下働きの女たちは、わたくしと同じ、平民です。グラスを、わざと壊しておいて、買えば済むとは。貴女は、お小さい頃には、食べる物も満足に買えない生活をされていたと、わたくしにお話し下さったではないですか。平民の仕事も、物も、無碍(むげ)に扱ってよいものは一つもありません。わかっておいでのはずです、貴女は。」

ガラリアは、ヤケを起こして暴れたことを、ユリアに叱られて、切なさ、情けなさに耐えられなくなった。とうとう、友達に向かって、八つ当たりを始めた。

「うるさい、ユリア!お前は、なにが言いたくてここに来たのだ!ここは私の厨房だ。出て行け!寄宿舎に戻れ!」

ユリアは、その黒い瞳を悲しみで潤ませた。ガラリアに辛くあたられた悲しさではない。愛すべきひとが、こんな態度をとっていては、友達をなくす人間になってしまうからである。黒めがちな目頭に涙を留めおき、震える声のユリアは言った。

「…バーン・バニングス様のご婚約の話しを、ゼット・ライト様に、聞きました。」

「それが…なんだというのだ。」

「宮殿から出て来られた、ゼット様のご様子が変だったので、わたくしから声をかけたのです。宴会場で、ゼット様のお洋服を、汚したのは、ガラリア様ですのね?」

そのことまで責めるのか、ユリア、もういやだ、もういい!

私の父は罪人だ、母を失い、アトラスを失い、そして初恋の男性を、よりによってリムルに取られた。初めて自覚したのだ、私の一番激しい恋に、私は破れたのだと。打ちひしがれた私を責めたてる、友達なんていらぬ!

「ゼットが告げ口をしたのだな。ふん、あのぶ男が、しつこく構うから、酒をかけてやったのだ。どいつもこいつも、気にいらぬッ!」

「告げ口ではありません。宴会場でされたことですのよ。明日には、下級兵でも噂をするでしょう。皆が見ている前で、そのような振る舞いをされては、貴女のご評判が落ちるのですよ。反省なさるべきです。ゼット様に謝罪なさるべきです」

いつもは楽しい話しばかりする、私に元気をくれるはずの<ともだち>が、一番辛い時の私に、こんなふうに言うとは。ガラリアは、ではこの女の子は、私の<ともだち>ではないのだ、という、逃避思考しか出来なかった。友達でなければ、ただの部下だと思えばよいのだ…

「さかしい…ユリア、その方、私と気安いと思って、下士官の身分を忘れたか。下がれ!」

「下がりません。ガラリア様が、おわかりになるまで、下がりません。」

「なにをわかれと言うか!私に命令する気か。もうよい、お前とは、もう口をきかぬから。下がれと言うのだ。私は、独りになりたいのだ、独りがいいのだ!」

その時、ユリアの怒声が厨房に響いた。

 「あなたは、ひとりではありません!!」

叫んだユリアは、続けて、ワァーと声をあげ、泣いた。黒い大きな両目からは、大粒の涙が、ボトボトと垂れた。

 ガラリアは…初めて出会った。自分のために、泣いてくれる女の子に。

ユリアが泣いている。どうしてだ。なぜ泣く?私は独りではない?…だって私はずっと独りぼっちなのだ。バーンは行ってしまった…泣きたいのは私の方だったはずなのに。

 しばらく、厨房には会話が無くなった。ユリアは、立ち尽くしたまま、ひっく、ひっく、としゃくりあげている。ガラリアは、うつむき、踏んで割ったグラスの破片を見ていた。

 たくさん割ったな。これを片付けるのは、一苦労であろうな…ゆっくり、ガラリアは、床にしゃがみこんでみた。するとユリアも、しゃがんだ。

 散らばる破片を囲み、膝を付き、向き合っているユリアが、しゃくりあげながら言った。

「ぐすん…も、燃えないゴミの袋、御座いますか」

「うん…ある。これだったかな…割れガラスは茶色の麻袋だったかな」

「ええ、ぐすん、そうですわ、来週の火曜日が割れガラスの日ですわ」

<※バイストン・ウェルのゴミ分別:割れたグラスは、回収しガラス工房に運び、溶かして再利用する。蝋燭の燃えカスや、ぼろきれも同様に、再処理目的で回収する。こうした、雑品のリサイクルが確立されている様は、江戸時代の日本を彷彿とさせる。>

かちゃん、かちゃんとガラスのぶつかる音がする。2人は、ガラスの破片を拾い、1つの麻袋に入れていった。かちゃん、かちゃん。しゃがんで作業をしながら、ガラリアは重い口を開いた。

「私が、ひとりではないとは、どういう意味だ、ユリア…私は独りなのだ。家族は、無い。恋人も…無い。」

ユリアは、小さなほうきとちり取りがあるのを見つけて、持って来て、またしゃがみ、作業しながら静かに語った。

「友達が、たくさんいるではないですか。」

「友達?ユリアだけだ。そのお前に…酷いことを言ってしまった。私には、もう友を持つ資格は、なかろうに。」

「人が人を求めるのに、資格なんて要りませんわ。喧嘩して、泣いて、笑っての繰り返し。誰でもそうですわ。資格だなんて、おっしゃらないで下さい。わたくし、興奮してきつい言い方になってしまいましたわ。ぐすん、申し訳ありません。」

「私こそ…すまない。ユリア。もう泣かないでくれ。」

「ありがとう、ガラリア様。その言葉を、ゼット様にもかけて差し上げて下さい。自分を、気遣って下さる人に対して、恩義を欠けば、いつか本当に、独りぼっちになってしまうと思いますから…」

ユリアがほうきをかけ、ちり取りをガラリアが持って、細かい破片を丹念に掃除した。

「うむ、そうだな。そうだったな。彼には、ちゃんと謝りに行って来る。ミズル殿にも、謝れと注意されたのに、私は、悪いことをした…イライラして、つい。」

どうしてイライラしたのかは、ユリアは問わなかった。ガラリアが、ちり取りの細かいガラスを、麻袋にザーッと入れ、ユリアが袋の口を結わえた。

 掃除を終えた2人の女性は、東棟の外へ出て中庭を歩いた。夜空には、深海魚の鱗が、星のように瞬いている。ガラリアは、バイストン・ウェルの夜の天空を見上げながら、友人に語った。

「次の月が満ちる日に、ドレイク様は、地上人を聖戦士として呼び込むおつもりだ。」

「地上人を?聖戦士ですって、では、ゼット様を呼んだように、今度は戦闘員を呼ぶのですか。まあ、機械の普及といい、地上人がたくさん来るようになったことといい、なにか、世界全体が、急激に変化していますわね。」

再び笑顔を見せてくれるようになった友人に、ガラリアは、眉をよせながら、唇だけ、少し笑った。

 変化か、その通りだ。なにもかも変わってしまった。

 かつて、確かに私に優しくしてくれていた、バーンは、<他の女>の方へ…

当たり前だよな…もう処女ではない、もう21歳になってしまった、見飽きた私なんかより、バーンは、

 私の好きなひとは、

身分ある姫様を…華奢な体の、17の処女!くっ…リムルを娶るのだ…

 ユリアは、ガラリアの顔がまた悲嘆に曇ったのを見たが、これ以上、今夜は話すべきでないと思った。おやすみなさい、と言って寄宿舎の方へ去って行った。ガラリア・ニャムヒーは、トボトボ歩いて、徒歩では少し遠い、機械の館に向かった。




 時刻は夜半過ぎ、夜勤の衛兵以外は、就寝する時間になっていたが、ガラリアは、機械の館のあるじは、毎夜のように、1階の私室の窓を開放し、机に向かっていることを知っていた。今夜の内に謝らなければ、気が済まない。

いいや、違う。私は、さっきユリアに、独りになりたいと言ったくせに、急に、独りになるのが怖くなったのだ。こんな気持ちのまま、孤独の寝室へ行きたくないのだ…

私の恋は、今日、また、終ってしまった。私の強い自覚と供に、私の初恋は、初めて出会った日から、ずっと追いかけてきた、バーン・バニングスは、行ってしまったから…

 だから?なんだと言うのだ。バーンには何度もふられてきたんじゃないか、それを私は、はっきり自問自答しないでいただけじゃないか。辛さから逃げるために。

そうさ、アトラスに告白された時にも。バーンが私を、彼に譲ったと聞いた時、私は、逃げたのだ…失恋の痛手から…アトラスを、私は愛していた。あの愛は、彼だけのものだ。でも、彼は死んでしまった。もう2度と帰らない。そしてバーンは<他の女>のものになるか…

私だけが独りぼっち。

女の友達には、恵まれたな。ユリアが泣いて訴えてくれなかったら、他の友人をも失ったところだ。優しい男性(ひと)が、何人もいるのに。ハンカチ君やゼット・ライト。彼らは私に好意を持っているから、よくしてくれるのだ。好意を…

おや?何を考えようとしているのだろう、私は。いけないことを考えてしまいそう…いけないことって?

私は、独りぼっち。

ユリアは、友達がいるではないか、ガラリア・ニャムヒーは独りではないと言った。彼女の言ってくれている意味は、わかったさ。
 けど、でも。恋人(アトラス)は死んでしまって。片想い(バーン)が決定的になって。

「だからなんだと?考えがまとまらない。ふう。とにかく、ゼット・ライトへの謝罪を済ませよう。」

てくてく歩くガラリアは、機械の館へと、接近して行く。ああ、ゼットはやはりまだ起きて仕事をしているようだ。暗闇にひとつだけ浮ぶ、彼の部屋の窓灯り。あの部屋の灯りが、大きな建物の1階からもれているのが見える。いつものように窓を開けているのだな。

あぁ…真夜中の匂いがする。夜風は止んだようだ。空気が湿って重い。しっとりと、夜が私を抱いている。

こんなに、<夜>をひしひしと感じるのは、なぜだろうか。なぜ…

 ゼット・ライトは、一心不乱に仕事机に向かっていた。

ダンバイン製作は、装甲や部品は既に揃えてあり、製造ルートに乗せるばかりになっていた。宴会で、ダンバインの製作発表を、これ見よがしに喋ったのはショット・ウェポンだったが、事実上の製作主任は、ゼット・ライトであった。

機械の館のあるじは、最終工程までのぬかりの無い指示書を、バイストン・ウェル文字で筆記している最中である。

開放された窓は、明るい室内の壁に、真っ黒く四角く、光りをくりぬいて夜を見せていた。黒い夜の下辺、窓のさんに、鮮やかな青い髪の毛だけが、ひょっこり現れたが、部屋のヌシは気がつかなかった。いつもなら、馬でやって来るガラリアの気配を、遠来からでも察知する男は、夜中に、激愛の女性が徒歩で、ひそんで来るとは、予期していなかった。

 1階の窓は、ガラリアの顎の高さなので、彼女が覗き込めば、顔全部がゼットから見えてしまう。気まずくて、窓の下に隠れたつもりで、くせっ毛の頭頂部が出てしまっているのをわかっていない。そうっと、両目だけ、覗かせてみた。

彼のいつもの仕事姿だ。青い制服も、いつもの服。あれ?あの服は私が酒で汚したはずだが、もう洗濯したのかな。

 机に向かう男と、窓辺から覗き込む女の目と目が、合った。ゼットは、

「うぁッ!が、ガラリアさん、どうしたんですか、なにやってんですか」

だって、夜中に黙って窓から覗いていたのが、ガラリアなのである。いつもなら、遠くから大声で呼ぶ人が、足音を忍ばせて俺の部屋に来るなんて、どうしたこったい。

 見つかってしまったガラリアは、恥ずかしそうに、まぶたをしばしばさせた。

「入ってもよい?」

「え、ええ、どうぞ。」

窓のさんに両手をつき、ひょいっとジャンプして室内に入ったが、ガラリアはいつもみたいに、彼の机に近付くことが出来ず、窓を背にして、両手をお尻のところで交差させ、もじもじ。靴先を交差させ、もじもじ。ちゃんと言わなければ。

「ゼット殿。あの、私。先ほど、私ぃ…あなたに対して、随分と悪いことを、したと思って。それで。」

「いえそんな!俺がいけなかったんです。貴女が、気分を害されるのはもっともだ、あ、あ、あ」

部屋のヌシは、嬉しい驚きでアワを食い、椅子から立ち上がろうとしたが、それをガラリアは制した。

「よい!座っていてくれ。あぅ、遅くまで仕事しておられるのだ、お疲れのところを、邪魔はしない、すぐ帰るから。私…あぅ」

ゼット・ライトは、タマラナイ感動にあった。真っ暗な闇から突然現れた、真っ青な髪の妖精さんは、頬を赤らめ睫毛を閉じ閉じしている。俺に謝るために、わざわざ来てくれたの?そして舌足らずな喋り方が、いつにも増して、すんごくカワユイんだ。

 ガラリアは、きょとんと小首をかしげ、仕事机に向かい着席している彼を見つめた。ゼットの大好きなポーズである。

「その服は、どうされたものか?さっき私が、酒をどばぁとかけてしまったものでは?」

「ああ、これは、」

とゼットは椅子の前で立って見せた。いつも着用している青い制服のデザインだが、上着の丈が、みぞおちまでしかない。

「最近、書き物より、工作室にいることの方が多いから、動きやすいように、丈の短いのを、作ったんです。さっきの服ではないですよ」

「私が汚してしまったから、着替えたのだな。うぅ…すまぬ」

しょんぼりと頭を下げたガラリアの、いじらしいことと言ったら!ゼット・ライトは、今にも彼女に飛びついて抱きしめたくなる衝動を、必死で抑え、立ちんぼうであわてた。

「いいんです、いいんです。」

「さっきもそのように言っていたな。大広間で。…あなたは、いつも優しいのだな、私に。」

こう言ったガラリアは、自分が、目の前にいる男の、自分への優しさは眼中に置いたが、彼という人格を眼中に置いているのではないことを、うすうす、わかってはいた。それは、甘えであって、ユリアが自分に与えてくれたような、他者への真の愛情ではない。

薄緑色の瞳でゼットを見つめて、ガラリアは自戒した。

(これが、いけないことなのだ。私は、自分の欲する処がなんであるかを見つめ、それにぶつかることを、恐れてばかりいたのではないだろうか。自分という者から、逃げていた。傷つくのが怖くて。

 士官学校の綴り方の先生が言われた意味は、これだったのだ。戸惑う事を恐れない人間に成れとは。

…成れない、私には。私は、ユリアのように、愛ゆえに厳しく忠告することなど、できない。

 今夜、私は…寂しい。さびしくて、さびしくて、辛い。

 ゼットは優しいから、甘えたい…<夜>に抱かれたい…

いけない。それは、彼の私への情愛を、利用しているに過ぎないのだ。私は、強い人間では、ないから、せめてこの優しい人に甘えるような行いは、慎まなければならぬ。)

 それまでは沈んでいた声のガラリアは、睫毛を開き、きりりとした、高い声でゼットに言った。

「ゼット・ライト、あなたには、謝罪したい。私の無礼を、許してくれるであろうか」

ガラリアの声音が変化したのを、感じ取ったゼットは、笑った。両の眉毛をくしゃくしゃにゆがめつつ、口元は笑みを硬く噛み、そして小さな目は慈愛で細めていた。

ゼットには、わかっていた。ついさっきまで、ガラリアは自分に甘えてくれていたが、もう、甘えることは、やめてしまったのだと。

「いいんですよ。ガラリアさん。どうか気にしないで下さい。」

ゼット・ライトの言い方は、ビジネスライクで優しい、即ち、いつもの彼だった。ガラリアは、安堵した。この安堵とは、ゼットが自分の弱みに付け込み、取り入ろうとする男ではなかった事への安堵である。

 ガラリアは、静かにまぶたを閉じ、紅色の唇を少しだけ微笑ませて言った。

「ありがとう。では、失礼する。おやすみ、ゼット…ゼットと呼んで、よいのだったな?」

こう言われているゼットは、もうあわてた風ではなかった。落ち着き、ニコリと微笑んで答えた。

「もちろんですよ。そう呼んで下さい…おやすみなさい、ガラリアさん。」

 青い髪の、徒歩(かち)の女性が、機械の館から遠くなった頃、ゼットは私室の窓を閉めた。

 そして、また机に向かう。窓を閉めて書いたものは、英語の日誌である。書き上げ、真新しい上着を脱ぎ捨て、ベッドにもぐり込んだゼットは、日誌に書いた文章を反芻しながら、ガラリアを想った。つまり剣を磨いた。

 俺って、いつもこうなんだよな。<いい人>で終わっちゃうタイプ。




 また独り、夜陰を歩きながら、ガラリアは、山城へと上る尾根で足を停め、ラース・ワウの石塀を見上げた。

「バーン…」

この城は、既に自分の古巣となったのだな、とガラリアは思った。もしも私にふるさとがあるとしたら、この城が、私の帰る場所だ。ミズル殿がいる。ユリアが、ゼットが、おおぜいの仲間たちがいる。そして。

「バーンがいるから。私は、彼を愛していたのだ。欲していた…初めて会った時から、ずっと。」

彼女の頬に、今夜初めての、涙が流れた。誰もいない尾根の森で、ガラリアは幼い少女の頃のままに、震えて、泣きじゃくった。

「えっ、えっ、えっ…くすん、くすん…好きだ、彼が、好き!」

  抱かれたい!

バーンでなければ、いやだ。バーンがいいのだ。他の人では、だめ、だめ!バーン、お前の名を、ずっと、孤独の褥で呼んできた。14の時からずっと…だのに、私は、褥でお前の名を呼ぶ事が、怖かった。

  だって私は、彼に嫌われているのだもの!

  寂しい、さびしい!私は、さびしい…

「くすん…うぅ…12の時、陵辱されそうだった私を、助けてくれたバーンは、優しかったバーンは、もう、いない。彼はもう、私を助けてはくれないのだ。士官学校では、よく一緒に遊んだな…図書室で、2人で1冊の本を囲み、笑い合った。2人で、木登りもしたな。バーンが先に上の方へ登ってしまうから、私は後を追って。2人とも笑顔で…あの幸せな日々は、もう、2度と戻らないのだ…」

 ガラリアは、ケミ城戦の夜を思い返した。アトラスの戦死を、私に告げたバーン。アトラスの最後の言葉だと、私に、ポロポーズの花を渡してくれたバーン。

「今にして思えば…あの時のバーンは…私に、すごく…優しくしてくれていた…だって、城攻めの攻撃を受けたアトラスが、ポロポーズの花を用意していたわけではなかろう。そのアトラスと一騎打ちして来た、バーンが、わざわざあの花を摘んで来てくれたのに違いない。バーンは、そんなにまで私に優しくしてくれていたのに…今はもう…ああ!なにもかもが、もう、無い!」

どうしてこうなるのだろう。私は、父親が欲しかった。他の子供たちが、当然に享受している、優しく頼りになる父親は、私にはいなかったばかりか、父の存在とは私自身への侮辱でしか、なかったのだ。唯一の肉親、優しい母は、苦しんで苦しんで、死んでいった。そして、そして、私をあんなに愛してくれた、あの人は。

 いない、いない、いない、私を抱いて、抱きしめて。すがって泣きたい…抱いてくれる人、いない。愛してくれたあの人、いない。

  私を抱いてくれる人は、いないのだ。

「ああッ、アトラス!助けて、助けて、アトラス、私、さびしい…あぁっ!!」




ガラリアは、周囲には、人っ子一人、いないと思っていたが、ある一人の人物が、深夜の森の中で、泣きじゃくっているガラリアの姿を、見つめていた。

副団長ガラリア・ニャムヒーは、有能な、鍛えられた戦士であり、人気が少しでもあるのに、気がつかないような魯鈍ではない。むしろ、人の気配には敏感な方である。にも関わらず、しくしく泣いているガラリアが、立っているすぐ傍の樹木の、枝の上に、その人物がたたずんでいる事に、全く気づいていなかった。

上記の、ガラリアの台詞は、全てが口に出した言葉ではなく、彼女の内省であるが、独りぼっちのガラリアが、時折

「バーン」「アトラス」

とつぶやきながら、泣いているのを、木の上にいる人物は、丹念に観察していた。

 木の上にいた者。それは、ドレイク軍の、下級兵用、薄茶色の軍服を着た、下級兵用ヘルメットをかぶった男である。この男は、前章の冒頭で、中央宮殿での夜勤の交代を申し出た、下級兵、あのごく若い少年兵であり、ブル・ベガーの甲板では、清掃班長に尻を蹴られていた、少年兵である。

 この少年は、たぶん、幼い頃から、自分の気配を消す事が、得意だったはずだ。少年の両親が、気がつかないうちに、自分の住む豪華な邸宅を抜け出しては、外の世界を探検していた、はずだ。そして、かつて、自宅に書き置きを残し、家出をした、あの少年である、はずだ。

ヘルメットから覗く、この少年の瞳は、夜の闇に、青く光っていた、はずである。青い瞳は、父親、ミズル・ズロム譲りの、はずである。

リムルの婚約発表の日が終わり、次の日、また次の日と、ラース・ワウの日常は、過ぎていった。

次の月の、満ちる日が、近い。

ドラムロは完成し、バーン・バニングスの試乗も、支障無く済み、聖戦士用オーラ・バトラー、ダンバインは、着々と製造されていった。試作機ダンバインは、低コストで数体の製造が可能であった。その3機目が完成した頃、シルキー・マウが、水牢から出される夜となった。

この夜、ガラリアの人生を、大きく変える出来事が起こる。

<次回予告>

BGM ♪ちゃらららっ ちゃららららっ♪

次回から、いっよいよ、
聖戦士ダンバインの、原作の第1話が、始まるさ!
でもさ、月下の花のことだからさ、くどいようだけどさ、
オーラ・バトラーの戦闘シーンは、ないしさ、
今回も登場したけど、オーラ・マシン系の説明は、
ものすごい、いいかっげ〜んだからさ、
くれぐれも、そっち方面は、期待しないでね!戦雲がショウを呼ばないさ!
じゃっ、またねぃ。

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