「月下の花」

第8章 さらば、我が不滅の恋人〜前編〜


 赤毛の愛馬を疾走させ、着用しているピンク色の制服と同じ色に、頬を染めながら、ガラリアはひとり、通い慣れた、国境への道を進んでいた。1年間、アトラスの別荘へ、恋人の元へと走ってきた道を急ぎながら、ガラリアの胸は、いつにも増して躍っていた。明朝は私の18歳の誕生日だ。彼のプレゼントは、なんだろうか。私も彼に、喜んでもらえる知らせがあるのだ。リムル様も、もうすぐお誕生日。その祝宴で、私は軍の代表幹事を仰せつかったのだよ!

 ルフト領と、クの国境に近い森に入ると、大きな花が、たくさん開花していた。深い緑色の茂みに映える、私の好きな色、ピンク色の花々が咲き乱れている。大輪の牡丹に似た花弁。あれは、ポロポーズの花だ。

「女が、男を密通に誘う時には、私の花をどうぞ、と、ただの花を差し出すだけだけれど、あのポロポーズの花だけは、男が女に贈るための、専用の花だな。それは、真剣な結婚の意志を申し出る意味だ。しかし、なんだな。女の方から申し出ていいのは密通の誘いで、男が花を差し出すのは、婚姻の申し込みだけとは、なにか不平等な感じがする」

それはその通りである。婚前交渉が、容認されているバイストン・ウェルでは、騎士階級も平民も、男も女も、恋愛関係で褥を供にすることは、自由だが、密通と婚姻とには、大きな違いがあった。密通は個人の意志で好きなだけできるが、婚約や結婚は、女の方から申し出ることはできないのである。身分が高いほど、結婚は、家柄、家名に左右され、また政略結婚されられる娘も多い。好きでもない男と、婚約させられる女の気持ちなどカヤの外だ。

「その上、戦時ともなれば、男の兵らは、平民の婦女子や、敵方の女戦士を強姦するではないか。ふん、私に襲い掛かる命知らずがいたら、そいつらの剣は根元から切り取って口にねじ込んでやるから、そう思え。なあ、アトラス」

と、ボンレスの腸詰めを食べながら話すガラリアに、いつもの食卓で向き合っている黒髪の騎士は、少しもコワーイとは思わず、誇らしげに感心した。わたしの恋人が、有能な戦士であることの、なんと心強きことよ。

「そうとも、君は、わたしだけの大切な花だ。もし君に、少しでも、触れようとする男がいたら、遠慮なく切って捨てたまえ。ハッハッハ!そいつは、君に剣を切られた後、わたしに、心の臓をえぐり取られる運命にあるな!」

と、騎士同士の、仲むつまじい男女は、笑いあい、果実酒の杯を空けた。

夕食が終わり、ガラリアをいつもの寝室へと招き入れたアトラスは、ソファーに並んで座り、語り掛けた。

「まだ服は、ぬいじゃだめだよ。君のその、ピンク色の服と、いつもの、オレンジ色の軍服…そして」

と、愛しい彼女の顔を両手で包み込み、

「この白い肌と、青い髪と!そう、ああ、この赤き唇に、きっと似合うと思うのだ。これだよ。18歳の誕生日、おめでとう!わたしからの贈り物だよ」

ガラリアの恋人は、あらかじめソファーの陰に置いておいた、ピンク色の紙包みを、取り出した。去年のプレゼントの梱包より、これはずっと小さくて、彼の片手の、手の平の中心に、ちょこんと乗っている。たった5センチほどの紙包み。ガラリアは、

(随分と、小さいな。なんだろう?彼のくれる物なら、なんでも嬉しいが、小さい…ちょっと期待はずれ…かも…)

などと、生意気な、しかし彼女らしい想像をかき立てた。私の体や、服に似合うということは、身につけるものだな。しかし、軍服にも着用できる物って、なんだ?小刀か(この大きさだったら爪楊枝だ)、ヘルメットか(ミ・フェラリオ用にも小さいぞ)、いや拳銃か(どこのモデラーだ、こんな小さい細工が出来る凄腕は)、とかなんとか思いながら、ガラリアは不器用に、紙包みをガサガサ開いた。

「あっ!」

ガラリアの想像とは、真逆な存在が、ピンク色の包装紙の中から、光り出たので、明日の朝、18歳になる少女は、去年と同様の歓声をあげてしまった。

 金色に輝く、2本の細長い金属。ふたつそれぞれに付いている、金具。きらめく、ふたつの、金色!

「これは…あ、耳飾り?イヤリング!」

「ううん、イヤリングではなく、ピアスだよ。」

なんて人だろう、アトラスは!そう、去年の贈り物もそうだった。私の昼間の、皆が見る時間に、私がきれいに見えるものを、この人はくれるのだ。私自身が、知ってはいても、思いつかないものを、この人は<もっときれいになれ>と、くれるのだ!しかも、彼は、イヤリングは激しく動作していると落としやすいから、耳たぶに穴を通し、はずれないピアスを、選んだ。騎士の私が、活動しやすくて、しかも、華やかに美しい騎士に、なれるものを。

 ガラリアはその顔を、喜びで輝かせ、無邪気に叫んだ。

「すごい、ありがとう、アトラス!こんなのが、欲しかったんだ。きっと欲しかったのだけど、思いつかなかったのだ」

「よかった、喜んでくれて!ね、つけて見せておくれ」

アトラスはあらかじめ用意しておいた、氷の入った銀杯や、消毒液や、ピアス装着セットを持ってきて、ふたりはキャッキャと鏡の前ではしゃいだ。ガラリアの耳に、細く長い柱状で、肩に届き軽くはずむ、金色のピアスをつける作業は、両耳とも、アトラスが行った。耳たぶの付け根部分と、細長い先端には、同じく金色の丸い金属がある、個性的なデザインだ。鏡に映る、キラキラ光る贈り物を身につけた、彼女の肩を抱き寄せ、彼は、微笑んで言った。

「よく似合ってる。これはどこに行っても目立つよ、君がきれいだから。君の短髪にも、軍服にも似合うよね」

「うん、そうだな。毎日これをつけるから!」

「毎日…そうだね、毎日…ああ、ガラリア」

アトラスは、笑っていた顔を、急に、曇らせ、ピアスをつけた彼女を、強く抱きしめた。抱かれたガラリアは、アトラスの表情が曇ったことに気づかず、その胸に、笑顔ですがった。彼は、恋人の、白い首筋にかかるピアスを見つめ、その首筋に口づけしながら、狂おしくうなった。

「ガラリア、わたしの大切な、ただ一人の恋人!毎日抱きたい。ずっと一緒にいたいのだ!」

「私だってそうだよ、アトラス」

ガラリアは、当然じゃないか、と素直に思って答えた。しかし、アトラスは、恋人と離れて暮らしていることも、離れた恋人への心配も、自分の職務と身分も、全てがなにか、はかないような、寂しさに捕らわれていた。

「君が…いつもそばにいなくて、わたしは…辛いよ…ガラリア」

「私も、そうだよ。一人で眠る時、寂しいのだ」

「そうだね、同じだね。ああ、だが、だが…」

アトラスは、ふたりが一緒に暮らせるように、将来は、いつかは、必ず、君はわたしと…その先が、言えなかった。ガラリアは、ようやく、後日、大きな仕事を任されるのだよ、とわたしに、誉めろと言ってみせる、まだ走り出したばかりの少女だ。クの国の、騎士では最高位のわたしが、立身出世に努力している最中のこの子に、自分の…妻になれとは、言えない。そんなことを言われたら、今の彼女は、きっと戸惑い、悩んでしまうだろう。

 黒髪の、上背のある、28歳になっていた騎士は、この世で一番いとおしい女性を見つめ、青い瞳を悲しく潤ませた。

「ああっ、ガラリア、愛しているよ!…本当に愛しているのだ…お願いだ…どこにも行かないでくれ、ずっとわたしの、恋人でいておくれ!」

「もちろんだよ?私がどこへ行くと言うのだ。ふふっ。私も、アトラスを…愛してる。会えなくても、このピアスをしているから、私はアトラスの恋人だという、しるしだよ。そうだろう?」

彼女のこの言葉に、アトラスは、胸が締め付けられた。この、まだあどけなさの抜けない少女。なのに戦えば、なまじの男では手向かえない、屈強な戦士。その彼女は、わたしの贈り物を、わたしへの愛の証(あかし)として、常に身につけると、無邪気に笑って言うのだ。この愛しさ!愛しさゆえに、狂おしいこの切なさ!

「わかるだろうか、どうかわかってくれ、ガラリア。わたしは、わたしは、君が、君が大事で…そう、このピアスのようにね。わたしたちは、二つ別に在るが、いつも一緒だから。両の翼となり、連理の枝となり、共に歩んで行くのだから…君は」

アトラスは、ガラリアの赤い唇に、激しく口づけした。そして彼女の鼻に、自分の鼻を重ね、青い瞳と、薄緑色の瞳とを一番近く向き合わせて、心臓からしぼり出した声で、告げた。

「ガラリア、君はわたしの、不滅の恋人だ!」




 バーン・バニングスは、まだ朝ぼらけの暗い森の中を、クの国境、アトラスの別荘の方へと、栗毛の馬で歩んでいたが、足取りは重かった。後方からは、配下の警備隊一個師団が、ついて来るが、この者どもがいなければ、自分は、こんな役目は打ち捨ててしまいたい。一人、ギブン領に乗り込み、ロムンの首でも、取って来たい。

 なにが国境の守りか。警備隊長か。お館様は、日々こうして忠実に任務を果している、わたしより、姫様に馬を教えながら、女同士の気安さで取り入った、ガラリアなどを、重用されるのか。リムルは(呼び捨てでいい、あんなガキ)、まだ子供だから、ガラリアを、おねえさんのように気に入って、それで父上に、ガラリアねえさんに、自分の誕生パーティーを、取り仕切らせるようにと、お願いしたからかも、しれん。バカ女どもが!そのかたわれの、デートのお迎えが、わたしか。

 ガラリアめ、この1年間で、何回あの男と、いたしたのだっ。知ってるぞ。最初が、ラース・ワウ、次に別荘にお泊り、その次が軍事演習の布団部屋。2泊3日だったから、プラースもう1回は、しておると見た。その後、逢瀬に出かけたのが、昨夜で16回目。合計20回だ!これは、連中が2人きりになった日数であるから、一夜過ごして最低3回いたしたとすると、少なく見積もっても、あいつら通算60回以上は、ハメており、アトラスは白いのを出しおったのだ…

…数えるなよ、わたし!あんァーどうしたらおさまるのだ、この嫌な気持ちは。

 国境までに、栗毛は、何度もたてがみを引っこ抜かれたが、ようやく目的地に着いたので、一安心した。栗毛が見上げると、彼方の、木々の間から、2頭の馬がやってくる。仲良しの赤毛と、外国の黒馬だ。あの黒のことも、栗毛はよく見知っている。友達と出会い、3頭の馬は、無言で、まなざしを交わした。

 馬上のガラリアは、赤毛の鞍にゆられ、まだじんじん感じている<花>が、振動で突き上げられるようで、はるか遠方にバーンが視野に入っても、思考には入らなかった。彼女は、今自分に向かって、当惑していた。

(昨夜の、あれは、なんだったのだろう?)

ベッドで、アトラスは、いつものように、私を全裸にして、全身撫でまわし舐めまわし、やらしー言葉をいっぱい耳打ち、私にも言わせ、挿入した。私は、初体験の時から、数回目の挿入までに、痛みが和らいで、内側が気持ちよくなってきたのは感じたが、昨夜、一瞬にして、劇的に私を襲った、あの感覚は、いったい、なんだ?ガラリアは、並走している彼氏をつと見て、昨夜の出来事を想起した。




 ベッドで仰向けにされ、たっぷり濡れた私の花に、アトラスの剣が挿された。正常位だし、特に変わった行為をしていたわけでもない。数分、出し入れされていた後、突如として、それは来たのだ。

 男のアトラスから見ていたら、相変わらずの、ソプラノの大声であえいでいたガラリアが、ぴたと押し黙り、眠ってしまったような表情で目を閉じ、もがついていた手足は、空中に伸ばしたまま、しーんと、固まってしまったから、

「ハァッ、ハァ…あぁ、どうしたの…んん?どうした、ガラリア」

と問い掛けた。すると一瞬後、ガラリアの花が、キュウーっとアトラスの剣を、とびきり強く締め付け、蜜は滝のように出て、そしてガラリアのカモシカの両足が、ビクビクビクッと、激しく痙攣した。花の、あまりの具合の良さに、アトラスが

「んんんぁぁぁぁ、いいっ!」

と歓声をあげると同時に、ガラリアは、首を締められているような、苦しげな、悲鳴をあげた。初めての時の悲鳴より、切なく、助けを求めた!

「…イヤァァァァァァァッ、し、死んじゃうぅッ!い、いや、やめてぇッ!私、死んじゃうの、アトラスぅぅ!」

ガラリアを襲った感覚は、花の内側の中心が、全身の、足の爪から頭の毛先までの、全ての身体の、中心と化し、自分の存在が、熱い一本の炎と化すもの。目を開けているのに、視界がなくなり、その視界は、真っ暗でもあり、真っ白でもある。ベッドに寝ているのではなく、空中に浮いているような、シーツと彼に触れているのに、何にも触れていないような。

(死ぬ時って、もしかしたらこういう感じなのだろうか)

と、思った。体も心も、何も制御できなくなり、今までどんな窮地にあっても、決して眠ることのなかった<自分>という名の内省が、失われてしまったのだ!…それほどの、快感。自分を失う快感。これは、これは、「死」だろう!ガラリアは怖れ、叫んだ。こんなに、気持ちの、いいこと、したら、今私は死ぬから!

「いや、キャアァッ、やめてぇーーっ!!死んじゃう、だめぇ!あ、あぁ、いや、やめて、アトラス!だめだ、本当にぃ」

助けを呼ぶガラリアの、花の内側は、波うち、ヌルヌルとアトラスを苦しめた。ガラリアは、自分の両足の痙攣が下から上がってきて、腰がシーツから浮いて、ビクッビクッビクッと激しく、勝手に動き、花が、剣を逃すまいと、勝手にくいついて、むさぼりしゃぶっているのがわかり…その淫乱なこと!気が狂うほど気持ちいいこと。体がひとりでに、それをしてしまう。

 そして、息が詰まり、心臓は止まりそうで、目は見えず、耳も聞こえず、自分の声すら遠く響く。死んでしまう、このままでは。やめなければ、突くのをやめてもらわなければ、私はおかしくなったまま、死んでしまう、きっと!

「あ、ぁ、あああッ!…いい…いやぁッ!やめて、頼む…だめなの、アトラス、く、苦しいぃ…苦しい、あ、ああっ」

<彼は、18歳になる彼女に、何が起こったのか、ちゃんと知っていた。>

必死で訴える私を、彼は、ますます興奮した目つきで、相変わらず見下ろしたまま突く。どうして?彼が、ようやく話し掛けてきた。

「痛いのかな?ガラリア…君の中が」

「ううぅ、い…痛いのでは、ない…熱い、苦しい!死んじゃうみたいなの、お願いぃ…やめて、アトラス!」

アトラスは感動に打ち震えながら、涙が流れるガラリアの頬をなめ、命乞いをする両手を、掴んでぐいっと広げ、シーツに冷たく押し付けて、情容赦なく、突いた。泣き叫ぶガラリアの花を、突き続けた。薄笑いを浮かべる、その男の顔は、野獣とか、悪人とかいう、生やさしい存在ではなくなっていた。彼は悪魔だった。

ガラリアは、優しいはずの彼が、こんなにお願いしているのに、どうして、突くのをやめてくれないのか、と絶望の淵に立ち、わんわんと、小さな子供の頃のように、激しく泣いた。泣いて泣いて、涙の中に、悪魔が微笑んでいるのが見えた。

「…ぃ、イヤァァァァァッ!!助けて、いやッ、お願い…許して、許してぇぇッ!死んじゃう、私、死んじゃうぅ…」




 思い出して、ガラリアは、脳天がくらくらし、赤毛に歩みを任せた。黒馬のアトラスは、今になって、静かにこう言った。

「ガラリア。昨夜、君は、真実、わたしの…女に、なったね」

「どういう意味だ?わからぬ。何度も、あれはなにかと尋ねたのに、教えてくれなかったではないか。出立する間際になって。ふん!私が、女になったのは、1年前だぞ。」

「それとは違うのだよ。」

「なにが違うのだ?…あんなに、私を…やめてと言うのに、やめてくれないで…私はそのまま眠ってしまった…」

「眠った、そうだね…君は、気絶してしまっていた。女になるというのは、ただ処女ではなくなるという意味ではないのさ。君という女性は、まだ、昨夜、わたしの腕の中で、生まれたばかりなのだ!」

「ハァ?なにを言っているんだ、意味がわからぬ」

と、話し合っていたら、バーンが近づいて来たので、ガラリアは黙ったのだった。林間のバーン・バニングスは、ここから見ると、ミ・フェラリオ大だ。アトラスは、馬上の、ピアスをつけたガラリアの耳に、片手を差し伸べ、頭をもたげてささやいた。

「ガラリア!君はね、初めて、イッたのだよ!」

「…なにぃ…いくって…あれがか…」

ガラリアは、イクと言えば、男が白いのを出すことだけだと思っていた。女も「イク」のか。あれが、いく感じなのか。あの…死にそうな、快感!<死>と同義の、<生>が、それが、女がいく(逝く)という意味だったのか。だとしたら、私は…

 バーンは、いつにも増して、自分の見ている前で、いちゃついている2人にムカついて、待ち切れずに栗毛で駆け寄って来た。わたしの姿が見えているのに、何を内緒話ししておるのだ。

アトラスは、いつも通りの、優しい口調で、バーンに挨拶した。

「やあ、バーン殿。お役目ご苦労!本日も警備隊は一個師団で巡視なのだね」

「(こんなオヤクメは本意でないのだ!なんだお前は女連れで、ああさっぱりしましたみたいな顔しやがって)はい、アトラス殿。巡視は通常この人数で行っております」

「国境の守りは最も重要な任務だ。一個師団は率いておらねば、いざという時に動けぬからな。それがしは今日これから、領地の東方を巡回してケミ城へ戻るのだが」

という、恋人とバーンとの対話を隣りで聞きながら、ガラリアは、(いくってあれがか…)と、黙りこくり反芻していた。バーンは、領地の東方、と聞いて、少しうかがう表情を見せ、アトラスに尋ねた。

「東側は、ビショット殿下とのはさかいですな。王弟殿下の領地へは、入れぬと聞きましたが…」

「うむ、お互いに、踏み込むにはあらかじめ許可が要る。王弟殿下は、ここ1年、自領へは国王陛下も、それがしも入れておらぬ。境界を通れば、王弟殿下の巡視兵らは、愛想よく挨拶するのだがね」

バーンは、小さな声で、ガラリアには聞こえても、背後20メートルに控えた警備隊員たちには聞こえないように、アトラスにささやいた。

「国王陛下は、最近は、どうです?」

ガラリアは、うつむいていた顔をあげ、アトラスの方を見た。アトラスはそのガラリアに微笑んで見せながら、

「専属の医師が、外国から取り寄せたという、新しい薬を処方したところ、格段によくなられたよ。ま、それがしのとりこし苦労だったかもな。長く頭痛に悩んでおられたが、その医師の作る薬湯を飲まれれば、次の日には回復されていたのだ、考えてみれば。すまなかったな、バーン殿。貴公に、それがしは、少々弱音を吐きすぎたかもしれぬ」

と聞いたガラリアは、今朝初めて、バーンの前で発言した。

「なにを?いつ、なにを話したのだ、アトラスは」

バーンは不機嫌そうな顔で黙っており、アトラスが恋人に答えた。

「わたしがバーン殿に、そういうような事を、手紙で話していたのだよ」

「フゥーン。私にも、言ってくれれば、いいのに!」

するとバーンが、今朝初めて、ガラリアに向かって発言した。

「だから、高官同士の、政治的な話しだと、言っただろうが、下士官は口をはさむな」

「なにをっ!下士官下士官とえらそうに!ふん、姫様の御祝賀の任から、はずされたくせに」

「うるさい!」

ええい、このバカ女!あ、アトラスの前でそれを言うなぁっ、とバーンがカッとなった時、黒髪の騎士に肩を抱かれて、はばまれた。アトラスは、馬上同士で、バーンの左肩に片手を置き、優しく微笑んで、

「ハハハ、まあまあ、よしなさい。見てごらん、君たちがケンカすると、馬が悲しそうな顔をしているよ!」

青い髪の男女がハタと後方を見ると、仲のいい栗毛と赤毛は、確かに、困ったような顔で目線を泳がせている。見慣れた2頭がショボーンとしているのを見て、バーンは、眉間のしわが緩んで、口元の緊張がほぐれた気がした。

(…なんだろうな、このアトラスという御仁は。わたしが、妹のような少女を寝取られた気持ちと、今その少女に、騎士の面子をののしられた気持ちで憤慨していたら、馬が悲しそうだと?

馬だって?

そんな、わたしもガラリアも気がつかなかった、従順な動物の顔を見下ろしたら、怒っている自分が恥ずかしくなって、なにかおかしくもあって…思い出す。1年前に、アトラスがわたしに申し出をした朝にも、この馬たちはいた。わたしは、ラース・ワウの馬場で彼に呼ばれて、栗毛から降りた。アトラスが、ガラリアに告白してもいいかと言い、私は驚きのあまり、思考が停止して…その時もガラリアは、この赤毛に乗っていた…もう1年も前か?つい昨日のことのようだ。アトラスと出会ったのは…)

 ガラリアはというと、その怒りはバーンのそれとは比較にならない軽微なものだったから、すぐ気が変わって、さっきの話題に自分も入ろうとする方に向かった。

「医師が新薬を取り寄せた、外国というのは、どこの国なのだ?アトラス」

「ギブン領だ」

ギブンだと?これにはバーンも興味深々である。そんな隣国に、新しい薬を輸出する国力があるとは、驚きだ。バーン・バニングスは矢継ぎ早に質問した。

「それは、ギブン家に仕える医師が作ったものか、或いはギブンがどこかから輸入したものでしょうか?」

「それが、これはまだ未確認情報なのだが…」

と、アトラスは、右手の平をくいくい折り曲げ、2人の青い髪の男女に、「もっとそばへ寄れ」と合図した。2人は言われるままに近づき、3人が顔を寄せた。黒髪の、薄茶色のマントつき軍服を着た騎士は、青い瞳を光らせ、低い声で言った。

「ギブン領内に、最近、エ・フェラリオが降臨するという噂があるのだ」

「エ・フェラリオが?!」

ガラリアとバーンは、久しぶりに、2人同時に同じ台詞を口にした。アトラスは人差し指を口元に立て、シーッと言い、続けた。

「水の国から、結界を破ったエ・フェラリオが、ひとり現れて、ギブン領内をうろつき…コモンたちに、様々な知恵を授けたり、昔語りをしたり、そんな中で、我々が知らぬ妙薬の作り方も、出てきたらしいのだよ」

驚きのあまり、薄緑色の瞳孔を開いたガラリアが、興奮して喋った。

「そんなことが、ギブン領で、いや、バイストン・ウェルに起こるというのは、それは」

バーンが続けた。

「それは、この世界に激動が起こる時。予兆だな。古くからの言い伝えでは…」

アトラスは、至近距離で匂う、ガラリアの頬にキスしたくなる衝動を抑えつつ、またいつもの静かな口調で、

「あくまで噂であるから、はっきりとは言えぬがね。エ・フェラリオの知恵だろうと、コモンの努力だろうと、良き医療の発展ならば、喜ばしいことではないか?それがしとしては、陛下さえ息災ならば今のところ、心配事はない。王弟殿下が企まぬかと、お食事や、国境ばかり、気にして、肝心な医師の言(げん)を尊重しなかった。ハハハ、こういうところが、それがしはぬけておるかな、バーン殿」

黄金色の肌に、青い瞳と、黒髪が映える、美しい騎士が、すずやかに笑った。バーンは、フッと口元で笑い返し、

「ぬけておるのは、それだけでは、ありますまい?あなたの、すまぬバーン殿、つい、とか、度々聞きますが、つい、が多すぎませぬか。お話し然り、お手紙も然りです」

バーンが苦々しく、嫌味っぽく言ったのを見たガラリアは、なんのことだ?と口をぽかんと開けて、2人の美男子を見比べた。ガラリアの前で、こう切り返されたアトラスは、今度は、さっきの馬たちと同じように、オドオドと目をふせ、しょんぼりとしてしまった。

「あぁ、いやいや、すまぬ、バーン殿、つい。それはね、それがしが…わたしが君を、頼みに思っておるからだよ!」

栗毛の騎手は、やったアトラスをヘコませたぞ、と高らかに笑い声をあげ、余裕を見せて栗毛の手綱を引いた。

「ファーハッハッハッハァ!ほらまた、つい、と言ったではないか!ご忠告したそばから、これだ。ハァーハッハッハ!」

出た。【必殺!速水奨式腹式呼吸笑い】だ。

「あなたの悪い癖だ、アトラス殿!いい加減にしなさいっ。フッハッハ」

「…すまなかった、すまぬ、バーン殿」

「…なにを、言っておるのだ、お前達?」

男2人が、自分をめぐってどんな感情を交錯させているか、何も知らないガラリアだけが、口半開きで、その2人を見て言った。アトラスは、目をキョロキョロさせている恋人に向かい、

「では、ガラリア!また…君に会う日を楽しみにしているよ…」

「うん、私もだ、アトラス」

すると、アトラスは、この3人が出会って初めての、行為を、した。バーンが見ている前で、彼は、彼女の頬に、チュッと、キスをしたのだ。金色のピアスがビクッとゆれ、昨夜の<いく>を体で思い出したガラリアは思わず

「あぁっ」

と、バーンに聞かせたことのない、小さなあえぎ声をあげてしまい、真っ赤になって、なんてことをするのだ!と、怒って彼氏を叱りつけようとしたが、黒髪の騎士はもう10数メートル先に馬を走らせており、

「すまぬ、バーン殿、つい!」

と声高に言った。栗毛の馬の主は、あんぐりと口を開け、

「あっ…」

あいつ、アトラスめ、今のはわざとじゃないか!足早に遠ざかる、黒馬に乗った騎士へ、後ろ姿へ、バーンは叫んでみたが。

「あ、アトラス!もう呼び捨てでよいな!アトラス、今度会った時には、その時には、あ…」

ガラリアの前ではその先が言えず、バーンが「あ」の形に口を開けている横で、ガラリアは、キスされた頬を白魚の指で抑え、遠ざかる彼氏の後ろ姿を、ドキドキして見つめた。すると、バーンの叫びとガラリアの視線に答えたのか、もうミ・フェラリオ大になった、馬上の騎士が、振り返った。彼は、長身の半身をこちらにそり返し、長い右手を高々と振り上げ、慈愛に満ちた微笑を浮かべ、遠くからこう言った。

「ガラリア!バーン!また会おう!」

緑色の、森林へと、薄茶色のマントをたなびかせた、黒髪の騎士が、遠ざかり、視界から消えていった。

 それが、ガラリアがアトラスの姿を見た、最後であった。




 娘リムルの誕生日を明日に控え、深夜、ドレイク・ルフトは、供の者はつけず、ひとり馬に乗って、クの国境にまで、来ていた。ラース・ワウからお館様がいなくなっている事を、隠蔽するよう命じられた者は、妻ルーザと、騎士団長ミズルだけだった。妻は喜んで、夫の外出を皆から隠し、ミズルは、自分が断腸の思いでいることを、ドレイクに隠した。

 領主の馬が、森林のある地点で歩みを止めた。その地点で停止することに、領主の愛馬は慣れているようだった。暗い森の中から、やはり馬に乗った、30代男性がやって来た。緑色の帽子に、黒いマント。マントをまとうのは、クの国の騎士や王族の風習である。その男は、ドレイクの前まで歩むと、帽子をうやうやしく取り、テノールの声で、丁寧に言った。

「ドレイク殿、御足労、いたみいります。」

「なに、ビショット殿下、いや間もなく、陛下とお呼びせねばならぬな、御尊称はなんとしたものであろうか」

狐目の、やせぎすなビショット・ハッタは、ハ、ハ、ハとトーンの高い声で笑い、

「これからも、ビショット殿、で構いませぬ!ドレイク殿は、朋友でありますから。我輩が思いもつかぬ、戦略を授けて下さる!あの多量の、新式の武器弾薬を手配して下さり、感謝に耐えません。」

と言いながら、クの国の王弟と、アの国の一領主は、双方馬から降り、向かい合い、同じ目をして話し合った。野望という名の志(こころざし)で燃えた目で。ドレイクは、年下の同志に、静かに語った。

「ああいう武器は、西方のリの国辺りでは、普及しておるらしいが、騎士道精神に反するという、古き悪しき因習にとらわれ、平民の狩猟用か、女子供の護身用にしか、使われておらぬゆえ。侍(さむらい)が実戦で大々的に使うのは、ビショット殿が初めて、ということになり申すな。」

「まっこと、ドレイク殿の御慧眼には、感服いたすばかりだ。そして、御自分の軍隊より先に、我輩に推奨し贈って頂けるとは、なんとお心の広い御方であろう!」

と、言う、ビショットは、ドレイクが自分を実験台にしようとしていることを、わかっていたのだった。ビショットは、1年ほど前に、ドレイクから、王位につく為のクーデターを援助すると申し出られた。しかもそれを、この男は、己が内儀に伝えに来させた。我輩がルーザと密通しておることを知らず、故国の知人としか思っておらぬ。夫としては愚鈍だが、新しい戦法を、自分ではなく我輩に先にやらせようと企てるとは、やはりドレイク・ルフトは抜け目がないわ。だが若い我輩は、騎士道精神に反する武器と非難されようが、ドレイクの先鞭に立とうが、目的さえ達成できれば、いいのだ!

ドレイクは、切れ長の目をまた細めて、注意深くビショットに話し続けた。

「それで、あの武器…連発式の拳銃や、細長い筒の、なんと言ったかな、兵一人で大砲以上の破壊力のある、あれ」

「ライフル銃ですかな」

「そう、ああいった兵器の使い方の、訓練は、できておりますかな」

「勿論です。配下の兵ら全員に訓練さすために、長き期間を要したのでありますから。ケミ城の連中はもとより知らぬこと、我が軍の兵たちにとっても、銃器ばかりをああも多量に、組織的に配備したは我輩が、否、ドレイク殿のお知恵が初めてですからな。そしてその間に、我輩は、からめ手からの準備も、してきましたから」

ビショットのこの言葉に、隣国の領主は、ピクリと片眉をつり上げた。

「からめ手とは?わしは今日初めて聞くが、なんでありますか」

するとビショットは、なに、たいした事ではありませんがね、と説明した。ドレイクは、低く笑った。

「それは、ビショット殿は、なんと用心深い。流石ですな。我らは、先々、心強い同盟を得たものですな」




 リムルは、誕生日の朝を迎え、年老いた女召使いが、姫様、早くお支度をなさって、と言ってもまだベッドから出ようとしない。困った召使いは、姫様の実母を呼んできた。今朝の、金髪のシニョンの出来栄えに満足できていなかったルーザは、いらいらして、娘の掛け布団を乱暴にめくった。

「リムル!お前のために、皆が働いておるというに!今日の主役が、何時まで寝巻きでおるのか」

リムル・ルフトは、目はとうに覚めていたのだが、今日の不愉快な行事に出たくない一心で、ぐずっていたのだった。しかし、母親に布団をめくられては、諦めて着替えるしか、なかった。

 今日のために新調した服は、濃いピンク色のシャツとズボンに、白っぽいピンク色の甲冑が装飾として施され、服地と同じ生地のマントが、足首までたなびくデザインである。キマイ・ラグの殻でできた甲冑を、飾りにつける服装は、騎士階級以上の娘が、社交界にデビューする、しるしである。13歳になるリムルは、服のデザインには反感を持たなかったが、

「なによ、社交界ですって。お父様はいつも、わたしをどこへ嫁にやるか、って勝手に言うじゃない。お誕生日だって、去年までは城内でしかお祝いしなかったのに、勝手にわたしの、お披露目をするだなんて!ぜんぶ、親の勝手にされてるんだわ。ああ、いやだ。知らない外国のお客様の相手を、またさせられるわけね。しかも」

と、リムルは愚痴りながら、新しい服の着心地が、わりといいじゃない、と思いながら、歩いてバルコニーに出た。

「しかも、わたしのパーティーを、取り仕切るのが、ガラリアですって?なんであの人に!ふん、張り切っちゃってるわ、あの人」

と姫様が見下ろした中庭では、オレンジ色の軍服に、金色のピアスを輝かせた18歳のガラリアが、騎馬隊は揃っているか、とか、大広間の絨毯は、とか言ってあわただしく動き回っている。リムルは、今日の不満事について、なにかプラス思考できる点を考えてみようとした。

「そうね、お母様が、ニカのポシェットを買って下さると言ったわ。それは嬉しいことね。これでガラリアのニカを見せつけられることは、なくなるわ」




 ガラリアは、大勢の年上の兵たちを引き連れ、緊張しながらも意気揚揚と、赤毛を駆って城を出た。向かうはギブン領との境界である。ギブン家からは、嫡男ニー・ギブンがお招きに預かります、という返事が来ていた。ガラリア隊がラース・ワウの東門から出るのと同時に、西門からは、バーン率いる警備隊一個師団(二百騎)が、ゆっくりとクの国境へと向かった。隊長バーン・バニングスは、ニー・ギブンがやって来る日だというのに、姫様のお祝いだというのに、本日の重要行事とは関係のない、領地の北西のはてに、自分が追い出されているかのように感じていた。城壁を後にするバーンの背後からは、召使いや、ミ・フェラリオたちの「今日は姫様のお誕生会だね!」という賑やかな笑い声が聞こえるというのに。

 今バーンが向かっている、クの国境方向から、先日ガラリアが帰って来た日以来、あの女は、オレンジ色の軍服の時も、ピンク色の制服の時も、毎日、金色の、長細い耳飾りを、している。奴からの贈り物らしいな。とはバーンは思っていたが、バーンは「耳飾り」と呼んでいる。イヤリングとピアスという種別の存在さえ知らず、「耳飾り」という呼び方しか知らなかった。だからどうだと、突っ込む気力も体力も筆者にはない。

 イヌチャン・マウンテンを臨む森林まで来たガラリアは、前方から、ほんの10騎ほどの、ニー・ギブン一行がゆっくり歩んで来るのを見て、隣りにいる、同じ守備隊所属の青年兵に話し掛けた。この青年、例のハンカチの人である。

「たったあれだけか?もっと軍勢を率いて来るかと思っていたがな」

「ガラリア、戦争じゃないんだよ。今日はお祝いだもの。君さ、そんな怖い顔してないで、お客人にはもうちょっと笑顔で。」

「なにを言うか、お館様は、軍の脅威を示せとの、お言いつけだぞ。その方も、もそっとキリッとせぬか」

このハンカチの青年、割りといい役であるにも関わらず、名無しさんである。そうこう言っている内に、馬上のニー・ギブンは、青い髪のガラリアを見止め、あの時の女戦士だ、と、並走しているキーンにささやいていた。12歳になっていたキーンは、出迎え役ってことは、やっぱりあの人はドレイク軍の主力兵士なのね、どうしよう、わたしは今日の訪問団でひとりきりの女戦士なのだわ、立派に見せなきゃ、ギブン家の恥になるわ、と緊張していた。そんなキーンと、ガラリアの距離が10メートルにまで接近した時、

「あーっ!あなたね、前にニーをいじめた人は!こうしてやるう」

ミ・フェラリオがガラリアに飛び掛ってきて、ガラリアは、あぁ?と呆れた顔を一瞬したが、チャム・ファウは、ガラリアの左の耳飾りをつかんで、くーっと引っ張ったので、

「痛ッ、なにをするか、このフェラリオは!」

「チャム、やめないか」

と制したのはニーだったが、彼よりもっと大声で叱咤したのは、あわてたキーンだった。わたしが、御家の恥にならないようにって、構えていたそばから、これよ!

「チャム!なんてことするの!ガラリア殿に失礼よ、謝りなさい!」

ピアスを引っ張られたガラリアは、耳はそれは痛かったが、ミ・フェラリオのすることなどより、おや、見たところリムル様より幼い少女が、私をガラリアどの、などと言って、騎兵らしく振舞っている。ニー・ギブンのお供は、この女の子に、10代に見える青年ばかり。なんだ、ギブン家には、こんな若輩者しか騎兵がおらぬのか。いくら祝宴に来るだけと言っても、てだれの兵士が護衛をするものではないのか、と観察していた。チャムは空中を飛びながらふくれており、

「なんでわたしが、謝らなくちゃいけないのよ。ニーの敵はわたしの敵だもん」

ニーは、ガラリアに向かい、落ち着いて言った。

「失礼致した、ガラリア殿。これは不躾ゆえ、ご勘弁願いたい。お出迎え感謝致します」

「いえ、ニー殿。本日は、我が姫、リムル様のお誕生祝いに、お越し頂き、当方こそ恐悦に存ず。ラース・ワウまで私がご案内致す!皆の者!」

と、ガラリアは、背後の兵士たちに右手で合図し、出迎え隊は、即座に、ニーたちの周囲・後方まで取り囲んだ。キーンは、ものものしい大勢の兵隊に、身震いしながらも、平気を装い、透明な羽をはためかせているチャムを片手で捕まえ、大人しくなさい、と言い聞かせていた。言い聞かせながら、自分の心臓にも「大人しくなさい」と言っていた。

隊を先導しながら、ガラリアはニーに、時々話し掛けた。この隊は全軍のほんの一部です、とか、この一面の麦畑は、ドレイク様の直轄領であり、見渡す全部の麦でパンを作っても、ラース・ワウの兵士全員分にも足らないのです、とか。そのガラリアに、ニーは笑顔で答えながら、

(さてドレイク・ルフトに会うのは、これが初めてだ。父はドレイクより高齢だからな、先々折衝していくのは、ドレイクと対決するのは俺だ。どんな男なのかこの目で探らなければ。そしてドレイクの方も、俺を同じ目で見るはずだ。どうなるか、今日の会談は…)

と、政治的野心に燃えていた。ラース・ワウでギブン家の嫡男を待つ領主も、今日の城の行事については、ニーと同様、敵情視察が狙いでいた。ところが、ニーもドレイクも、想像だにしなかった事態が、今日起こるのである。




 正装のミュージィ・ポウは、赤い絨毯が敷かれた大広間の片隅、クラヴサンに向かい、ワルツを弾いた。鳥の羽飾りを両手に持った踊り子たちが、軽快に舞い、その上空をミ・フェラリオ(かわいらしいの限定)がたくさん、飛び交う。ガラリアの先導で通されたニーたちは、大掛かりであでやかな踊りに、ほーっとため息をついた。ガラリアは(打ち合わせ通りだな)とほくそえみ、ミュージィの演奏が、長調から単調になった時、おごそかに、大きな声で言った。

「ドレイク様、我らがお館様、おでましである」

ニー・ギブンに緊張が走ると、踊り子たちはスッと立ち退き、クラヴサンの、棒で立ててあるふたの陰から、茶色の正装をした初老の男が現れた。見た瞬間、19歳のニーが思ったことは、「父は白髪だがドレイクはハゲだな。草一本ないハゲだ」だった。ゆっくり中央に歩み出たドレイクは、客人の目を直視し、クラヴサンの弦が奏でる音程より、低い静かな声で

「ようこそ。ニー・ギブン殿、で、あるか」

と言った。「で、あるか」にアクセントを置いた。誰だ、お館様に『信長公記』読ませたのは。ニーは明るい声で即答した。

「はっ!わたしがギブン家の嫡子、ニー・ギブンであります。この度は、おめでたき日にご招待頂き、光栄この上ありません」

ニーの挨拶が段落を迎えると、そのわきに控えて見ているガラリアはミュージィに片手で合図した。すると演奏が急に、転調しフォルテとなり、いなくなっていた踊り子たちが、今度はニーたちの背後から颯爽と踊り出て、客人一行を囲んで飛び跳ねた。中空のチャムの周りには、ラース・ワウ飼育ミ・フェラリオ(かわいらしいの限定)が集まってきて、口々に歌った。

「ようこそ!ようこそ!きみはだれ」

「チャム・ファウよ。」

「ようこそ、ようこそ、チャム・ファウようこそ、きょうは楽しい誕生会!」

これは、ミ・フェラリオが歌う独特の拍子なので、チャムも呼応して歌った。

「きょうは、どなたの誕生会?おしえておしえて、わたしにおしえて」

「リムルひめさま、じゅうさんさい、めでたやめでたや舞いおどれ」

ニーよりもっと緊張で固まっていたキーンは、フェラリオや踊り子たちのきれいな様子に、まあ楽しいじゃない、と少女らしい笑顔がほころんだ。またガラリアが合図すると、踊る女性と女性の間から、正装の青年たちが現れ、片手に掲げた金銀銅のふたつきお盆を差し出した。ミュージィの演奏のテンポがまた変わり、男の給仕たちはガラリアの合図で一斉にふたを取って見せた。金の盆には白いくだもの、銀の盆には赤いくだもの、銅の盆には紫のくだものが、たっぷり盛られている。わあ美味しそう、とキーンが見とれると、ドレイクがするどい声で

「まずは、くつろがれるがよい!このように、馳走はさほどないがのう!」

言うと、姫様の父親は、わきにいる給仕の盆からグラスを取り、ニーに差し出し、自ら注いだ。緑色の瓶から流れ出る酒は、濃い黄金色だ。広間の音楽にのって、人員の配置はどんどん変わり、給仕たちが一斉に下がると、そこには大勢の兵士たちがいて、たくさんのテーブルが並べられ、皿に料理と、酒瓶とグラスがいっぱいある。上級兵数名が、ギブン家の家臣たちに寄って来てグラスを勧めた。キーンは、目まぐるしく変わる会場の演出に、いちいち感嘆の声をあげていたが、チャム・ファウは、

「で?肝心のお姫様はどこなのよ」

と、割りと冷静に、飛び回って、13歳くらいの女の子はいないかと、探していた。

 ニーとお館様が対談モードになったので、ガラリアはクラヴサンに駆け寄り、

「演奏はまずはここまでだ」

と命令した。リムルの音楽教師、ミュージィ・ポウは、しとやかに従って見せていた。が、内心は、静かに、ガラリアへの怒りを溜めていた。

(ふん…ガラリアめ、無粋な騎兵の分際で、うたげの演出にまで口出しして。音楽や踊りのことならば、わたくしならばもっと美しく見せてやるものを!お館様は、なぜこの小娘を、今日のこの日に、こうも使おうとなさるのだろう?ガラリアは忙しさで目が回っているようだが…)

当のガラリアは、音楽と踊りが一段落したので、次は姫様登場に備えようと、クラヴサン奏者から離れて、女召使いたちに命令していた。そして歓談する客たちとお館様を振り返り、ふと思った。

「この場に、バーン・バニングスがいなくて正解だ!あいつは芸術的センスゼロだからな。なんでも力押しすればいいと思っている男だもの。こうやって、客の度肝を抜いてお館様の威厳を表しつつ、きれいな音楽と踊りでなごませるのだ。なごまなければ、客は本性を表さぬ。こういう情緒的取り引きなど、あのパッパラパーはいっこもわからんからな。私は、上手くやって見せるさ」

ガラリアは意気込み、控え室にうやうやしく入り、リムルの身なりを整えているルーザに挨拶した。

…客に気を使い、ルーザに気を使いしているガラリアは、ある妙な点に、気がつかないでいた。

 ニーがドレイクにまみえた頃、騎士団長ミズル・ズロムの姿が、ラース・ワウから消えていた。




 クの国境に到着した警備隊員たちは、栗毛に乗った隊長が、ぼんやりと、遠くの、アトラスの別荘をながめている後ろ姿を、黙って見ていた。バーンは(つまらない任務だ)とまだぼやいていた。もう数十分間、彼方の別荘を見たり目を閉じたりしている。そして、バーンの、訓練された騎士の眼が、別荘の異変に気がつかせた。

「おや?今日は、いつも城壁に立っている衛兵がおらぬ。アトラスが不在であっても、槍を掲げて数名いたはずだが」

バーンは隊員3名を呼びつけ、近くまで行って見て参れ、誰かに会ったら仔細問いただせ、と命令した。

 しばらく待つと、3名の騎馬兵は、なにやらあわてた様子で、駆け戻って来て、隊長に報告した。

「バーン様、別荘はもぬけの空です!」

「なんだと?詳しく申せ!」

「衛兵が一人もおらぬ上に、門が開け放たれておるので、誰かいないのかと呼んでも、答えはなく」

「門が開いたままで兵がおらぬと…?そんなおかしなことが?それで、その方ら、どうしたのだ」

「無礼ではありますが、仕方なく、城内に入り…前年の軍事演習の折りに会った、アトラス様の召使いの一人でもおらぬかと、邸内に踏み込んで探しましたが、人どころか、馬屋に馬一頭もおらぬのです。母屋の玄関には鍵もかかっておりません。家具調度はそのままでしたから、なにかよほど、全員が急いで引き払ったような有り様と見ました」

バーン・バニングスの胸中に、黒雲がたち込めた。国境の砦に、誰もおらず、最も妙なことは、開閉を厳重に見張っていたはずの門が、開いていることである。よしんば、ここから人員を引き揚げさせたとしても、石造りの城壁にしつらえた、あの大きな木製の門は、閉めて行くはずである。バーンはまず、この急報を、ラース・ワウのドレイクに報告しようと、別の隊員に向かって命令した。

「その方、急ぎ城に戻り、この事をお館様にお伝えせよ。クの国と我が軍は同盟関係にある。大事あれば、駆けつけ助成する盟約であるからな」

バーンに命じられた兵士が、ラース・ワウへ引き返そうとした時、その兵士は驚いた声で

「バーン様!ミズル団長が、あれに参られます!」

なに、と振り返ったバーンの眼に、馬にのり、ひとりで森をやって来る、ミズル・ズロムが映った。体格のいい黒馬に、ミズルの紫色の軍服が映え、剣を携えたいでたちは、明らかに戦闘態勢である。遠来のミズルは、まっすぐにこちらへ向かっていて、バーンと視線が合った。騎士団長の表情は、遠目にも、重く暗く見えた。バーンは眉間に深くしわをよせ、下唇を強くかんで、自問自答した。

(なにが起こっている…?アトラスの門が開いているとわかった時間に、ミズル殿が、姫様の祝宴に出席せずに、戦装束で、ここに現れる。おかしい。いったいなにがどうなっているのだ)

バーンの前まで辿り着いたミズルは、黙って馬から降りた。団長が降りたので、バーンも栗毛から降り、ミズルに敬礼し、

「どういうことです」

と、低い声で尋ねた。ミズルは、厳しい目つきで…たぶんバーンが初めて見るほどの、厳しい上官の表情で、鞍に備えてあった、皮製の書簡を取り出した。茶色の皮革書簡は、ドレイクが直々に書いた命令書が入っていることを表している。

「ドレイク軍副団長、兼、警備隊長バーン・バニングス。お館様よりその方への命令である。受け取れい」

「…ハッ…」

ミズルにこう言われて皮革書簡を手にしたバーンは、まだ、自分に課される使命に対して、甘く考えていたのだった。

戦(いくさ)だな。たぶんビショットが、アトラスとハッタ王に、仕掛けたのだ。わたしはアトラスを助けに行かねばならぬのであろう。望むところだ。彼の前で、わたしの腕前を存分に見せてやろう!バーン・バニングスは、あなどれぬ騎士だと、アトラスに思い知らせてやるとも!わたしに助けられたと、恩を着せてやってもよいさ。

そしてバーンは、武者震いに脈うつ手で、書簡から、ドレイク専用の便箋を一枚、取り出し、広げて見た。白い紙に、ルフト家の紋章の透かしが入っている。見慣れた、ドレイクの筆跡、漆黒のインクが、バーンの眼に入った。


 お館様からの命令書を読む、警備隊長の後ろ姿を見ていた部下は、バーンの、青い長髪がゆれて傾いたと思った。伸びていた背筋が横に倒れそうになり、隊長は栗毛の鞍に、肩をぶつけて、それで、立っていることに耐えたように見えた。

 バーンは、たった数行の、領主のお手が、書かれた内容が、読んでも、一瞬は信じられなかったが、すぐ理解できた。理解できた瞬間に、馬がわきにいなければ、地面に崩れ落ちていた。が、19歳の騎士は、その手から命令書を離さなかった。なぜなら彼、バーン・バニングスは、誇り高い騎士だったからである。

『副団長 バーン・バニングスへ命

本日未明、クの国にて戦闘勃発、ビショット・ハッタ軍はケミ城を攻撃中である。

我が軍は、ビショット・ハッタ陛下と連盟し、彼の王位継承を助成するものである。

ケミ城へ向かい、ビショット・ハッタ軍を援護し、落城を見届けよ。


 特に、親衛隊長アトラスの亡骸を確認するまで帰還せぬこと


ドレイク・ルフト』

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