「月下の花」

第2章 女は女に生まれるのではない。女になるのだ


初めての口づけは、長かった。長く感じた。最初、ガラリアは口の中でアトラスの舌から自分の舌を逃げ惑ったが、狭い口中では逃げる場所がない。遠慮なく、彼の舌はガラリアの舌を捕まえて、上へ下へ、右左とねっとり絡ませ、唇をギュウギュウ押し当てて、鼻と鼻が擦れ合った。男の唾液がいっぱい流れ込み、ガラリアの唾液も吸い取られる。ガラリアの舌はピクピク動いて彼に応えてしまう。密着した部分の、グチュグチュという音が周りの全ての音声を掻き消し、ガラリアはキスの快感に酔いしれた。

 その上、アトラスは器用に、右手でガラリアの頭や頬や耳元をなでまわし、左手で背中から腰へ抱きしめ、撫で擦る。器用だ、と感じるのはガラリアが初めてだからである。ああ、この人は大人なんだと改めて感じた。そして私も、大人になるのだ。

 アトラスは、とうとうものにした少女の唇の柔らかいこと、唾液の美味なこと、そして、舌がかなり小さくて短いことに、欲情し、27歳の「剣」に血潮が充血して沸き立つのを感じた。キスしたまま、彼女の体を花畑にゆっくり押し倒した。ガラリアは、

(えっ!こんなところで?!)

と、このまま、ここで最後までされるのかと思い、彼の唇からパッと離れた。男の体は少女に覆い被さって、両手で肩を押さえられている。アトラスは何も言わず、唇をガラリアの頬に強くあて、吸い、次々と場所を変えてキスしていく。耳の下から首筋を濡れた唇で強く吸われて、ガラリアは、反射的に大声で鳴いた。

「ああッ!」

首筋がガラリアの特に強い性感帯だった。そこにキスすると彼女が喘ぐことがわかった男は、猛然と襟から出ている部分に吸い付いた。チュッ、チュッ、と音がし、その度に湖畔にソプラノの喘ぎ声が響いた。

「あぁっ!あぁん、あ、あ、あっ」

この声がいい。ガラリアの声は、彼女の勝気な言葉使いとは全くうらはらに、かわいらしいソプラノであったから、感じて鳴くと、トーンが更に高くなり、普段の彼女とはまるで別人のように、男には聞こえる。これが今後、幾人もの男たちを、虜にしてやまない彼女の武器のひとつであった。(流石、西城美希さん!)それを最初に聞いたアトラスを止めることはもう誰にもできはしない。アトラスは邪魔なタートルネックをぐいっとめくって、首筋の下の方を、もっと激しく吸った。

「あ、あ、ああ、あぁーーっ!だ、だめぇっ」

感じて、感じすぎて、いやではないのにもがいた。両手でアトラスの両肩を押して、彼の両足の間で、ピンク色のブーツをバタバタと動かしたが、彼はいやでもだめでもないこともわかっているし、たとえ本当にいやがったとしても、止める気など、もう、ない!首筋を吸い、また舌を彼女の唇にはわせて侵入し、舌同士を絡ませ、また首筋に耳元に耳たぶにも。口をふさいでいる以外はガラリアのソプラノの喘ぎ声…剣はますます硬くなって、ガラリアの恥骨あたりに、それが当たった。服の生地を通して、未知の物体の存在を発見したガラリアは、びっくりした。

(これが、剣?!こんなに大きいのか!それに硬い!あっしかも!私の一番恥ずかしい部分に押し当てられてる!)

ガラリアが勃起した剣に気づいて驚愕しているのをわかったアトラスは、彼女の耳元で優しくささやいた。

「男って、こうなるんだよ。ほら…」

ぐいっと、剣を彼女の股になお押し当てた。ガラリアは、怖さよりも、興味と快感でいっぱいになってちょっと低めのトーンで喘いだ。

「あぁ、うぅーん…」

「…君があまりにもかわいいから、こうなってしまう。」

と言ってアトラスは剣を押し当てながら、自分の胸板にぴったり密着しているガラリアの乳房に興奮し、さっきから一瞬も休まず彼女の体をまさぐっている右手で、初めてにしては強めに、彼女のふくらみを掴んだ。

「あぁぁぁ」

突然乳房を揉まれて、何が起こったのかまた一瞬わからず、彼が服の上から揉みしだくので、次の瞬間にはあまりにも気持ちよすぎて、

「キャァッ!いっいっ…いやぁっ!」

いっいっ、の部分で、本当は「いい」と言いたかったのだが、それを言ったらふしだらかと思い、でも、いっいっ、と言いっぱなしでは「いい」と勘違いされると思って「いや」に変更した。アトラスも、もう興奮してハァッ、ハァッ、と荒い息遣いを隠さないが、今のは強く揉みすぎたのかな、と思い、

「痛かった?」

痛くはないのだ。丁度よく気持ちいいのだ。ガラリアは朱鷺色の頬をもっと真っ赤にして、

「…痛く、ない…」

ところで、バイストン・ウェルには地上と同様、カップ別のブラジャーがあった。この時、ガラリアは実際にはCカップだったが、Bカップ用のブラをしていた。その乳房を握り締めたアトラスは、ガラリアが、見た目よりも豊満であることがよくわかった。

「あぁ、君は…着やせするタイプなんだね…」

ガーン。自分の魅力をまだ何もわかってないガラリアは、彼が自分をデブだと言ったと思った。デブ?そんなバカな?私そんなに太っている方ではないはずだが、彼はもっと華奢な体が好きなのかっ。ガーンガーン。涙目で抱いている彼に訴えた。

「嫌い?だめ?期待はずれ?」

と言って横を向き、首をコテンと花々の中に埋めて目を閉じてしまった。アトラスはきょとんとして、

「どうした?何が、わたしが嫌いだと?」

おバカなガラリアは、うなだれたまま、

「…私、だめなのか…?」

「何がだめだと?着やせすると言ったが?」

「…デブ?私」

これには、さしものアトラスも笑うしかなかった。悲しそうに眉を寄せるガラリアに覆い被さったまま、

「ハッハハハハハハハハハ」

と大声で笑ってしまった。ガラリアはなおさらショックを受けて、そして怒った。

「なに!なにがおかしいか!人がまじめに聞いているのに!」

「フハハハハハハハ」

「笑うなッ!」

アトラスはクックッと笑いをかみ殺してプンプン怒ったガラリアを抱きしめた。

「放せっ嫌いだぁっアトラスなんか!」

また両足をばたつかせてガラリアはもがいたが、アトラスはしっかと抱きしめて放さない。絡み合った2人を、飛び散る白い花弁が彩った。笑顔のままアトラスは、このおバカさんにわかるように言い聞かせることが、なんと楽しいのだろうと、自分の幸福を噛み締めた。

「違うよ、違うよ、ガラリア」

「なにが違うかぁっ!アトラスのバカ!」

バカはアンタである。アトラスはますますガラリアがかわいくて仕方がない。

「君の体はね、見た感じより豊満だったので感激したのだよ」

ほーまんってデブのことではないか。だからそれを貴方は好きなの?嫌いなの?

「素敵だよ…すごく。明日17歳か…それにしては、君は背も高いし、ここも」

と言って、彼の講釈に聞き入っているガラリアの、敏感な乳首を指で押した。

「アァッ!」

また、急に感じさせられたガラリアは顎を天に突き出し、腰をビクッと浮かせて喘いだ。アトラスはすかさず片方の乳房全体を揉みながら、

「胸も大きくて、わたしは、もう君の体の全てをほしくて、たまらない」

「あ、あんっ…で、では、」

「好きだよ、君の体。すごくほしい…ガラリア」

「あ、あ…ほ、ほんとう?」

ガラリアは自分の体が彼に好まれたのが本当なのか、と聞いたのだが、アトラスは矢継ぎ早に言った。

「今夜、」

今夜?今は湖の水面が赤く変わって夕刻だが、なに?

「わたしの寝室に来てくれるか」

疑問形ではなく、断定口調で彼は言った。ガラリアが唖然としたのは、今夜寝室に誘われたからではない。感じ始めた体が反応して、もうぐっしょり濡れているパンティーを脱がされるのが、

「…今夜、なのか?」

「どうか、来てほしい。衛兵たちは下がらせておくから…」

「…あの…」

「わたしは、どうしても今夜、君を抱きたい」

ガラリアが、急だから戸惑っているのだと思ったアトラスは、なんとか説き伏せなければ、と焦った。が、掌中の珠は、きょとんとして、こんなことを言ったのだった。

「…今じゃなくて?」

プッ!なに?なに?なんて?と、今度はアトラスの方が、この処女は何を言い出すんだ、と驚いて、おかしくてまた大笑いしてしまった。

「ア、アッハハハハハハハハハハ!」

男の人は、押し倒したら、最後まですると思い込んでいた。ガラリアは、恥ずかしい失言をしてしまったことがわかり、髪の毛が逆立ってカアッと赤くなり、そして恥をごまかすために、また怒鳴った。

「また笑う!もう!」

と腹をかかえて笑っているアトラスの胸元から、仰向けに寝たまま、横へ転がってそっぽを向いた。

「笑うなっ!笑う奴は、嫌いだからな!アトラス!」

まだ腹が踊っているアトラスは、後ろ姿のガラリアの両肩を持ち、はぁはぁと息を整えながら、

「ごめん、ごめんよ。だってガラリア、こんな屋外で大事な君を、脱がすわけには、いかないよ」

「知らぬ!嫌い!」

「こんな場所、人が来るやもしれぬし。誰かに、美しい君を見られるのは、いやだからね」

美しい…私の、脱いだ姿は、美しいのか?と誉められて、少しガラリアは落ち着き、上体を起こして彼の方を向いた。夕刻の橙色の日差しが、彼女の青い髪と、白い肌と、薄緑色の瞳を、キラキラと輝かせた。アトラスは、恋しい女性の心を掴んだ達成感に酔いながら、彼女の手をとり、

「立って」

ガラリアは立ち上がった。そしてアトラスは、もうためらうことなく彼女を抱き寄せた。

「あぁ…好きだ。ガラリア。わたしだって今すぐ君を抱きたいのだが」

ぴったり彼の体に寄り添って、ガラリアは、彼の剣が、硬くなくなっていることがわかった。男の剣って、急にふくらんだりしぼんだり、忙しいんだなー、と処女はそんなことを考えていた。

「夕食はドレイク閣下と、ルーザ様、リムル様とご一緒せねばならんのだ」

姫様か。12歳くらいになったと思うが、まだ城内で一度もお姿を見ていないな。ガラリアは、昔、士官学校の入学式で、姫様を羨ましいと思ったことを、ふと思い出した。当時の自分と現在の姫様は同じくらいの年頃だ。今、自分は、好きな人に抱かれたいと思っている。あの頃の姫様への羨望。身分が高いとか、裕福だとか。そんな考えが、非常に幼稚なものに、感じた。そして、決意を固めた。

「では、アトラス。いつ頃どこへ行けばいい?」

<注:バイストン・ウェルは地上と違い、太陽と月がないので、暦も違うし、時刻の呼び方も違うはずですが、本編では、便宜上、地上と同様の表現をしています>

「そうだ、な。時間はどれくらいかかるか、話しによってわからぬから、すまないが、館中央の部屋から、わたしたちが出てくるのを見たら、西館の客間の辺りまで、来てくれないか。わたしはすぐ、君をみつけてこっそり部屋へ案内しよう」

「うん、わかった…」

そう言って見つめ合うと、どちらからともなく、再び口づけをした。今度はガラリアは積極的に彼の舌を求め、彼の首に両手を回して抱きついた。そんな彼女の引き締まったウエストを、アトラスはいとおしげに抱きしめた。

(あ、あ、キスって、なんと気持ちがいいものだ。こんなに素敵な気分になることを、どうして今まで嫌っていたのだ。好き。好きな人なら、こんなに幸せ…)

 うっとりと、恋人の唇にすがって、ガラリアは、自分の人生は、この人と出会うためにあったのか、と幸福に浸っていた。
夕方の日差しは、どんどん暗闇に近付いていたが、瞳を閉じたガラリアは気づかない。




 今朝、軍の副官として朝礼に出なければならなかったバーン・バニングスは、こんな面倒くさい行事どうでもよい、早く終れ、と思っていた。終ると即座に、1人馬屋へ走って、栗毛に素早く鞍を付け、城外の森へ赴き、馬上からいつもより大声で間諜を呼んだ。

「ニグ・ロウ!!」

「おそばに。」

ニグ・ロウの手には、香水を染み込ませた白い封筒があった。馬から落ちるように降りたバーンは、奪うようにその手紙をとり、わなわなと震える手で、まず封筒の宛名を見た。流麗な文字で『バーン・バニングス様へ』と書いてあり、裏返すと、『ロゼルノ夫人より』とあった。封筒は、金色の蝋印で封がしてあり、蝋印には騎士階級ロゼルノ家の紋章が押してある。早く中を読みたいバーンは、封を手指でこじ開けようとしたが、上手くいかずにイラついた。見かねたニグ・ロウが、自分の小刀を差し出すと、また奪うように小刀をとって、封を切った。便箋も白く、地上で言えば百合の花の透かしがあり、つんと鼻をつく香水の香りが、より強く、バーンをクラクラさせた。
便箋には、女性によるなめらかな筆記体で、こんな言葉が綴られていた。

『親愛なるバーン・バニングス様。

昨夜、貴方様から頂いた文を読んで、わたくしは、一人寝がこんなに寂しいものかと改めて感じました。夫が戦死してから、幾星霜、我が家の門をくぐる男の方はおらず、ずっと、わたくしは貴方様のようなお美しい方を待って待って焦がれておりました。貴方様のお噂は、わたくしのような隠遁生活をしている未亡人なぞの元にも、届いております。貴方様の青い長髪が、わたくしのわびしい肩に触れましたなら、きっとわたくしは、喜びのあまり、失神してしまうかもしれませんわ。でも、よいのでしょうか?わたくしは32歳、貴方様より14も年上です。子供は産んでおりませんから、それなりにまだ若さは保っていると、愚かにも、もうわたくしは若い貴方様に抱かれることを思って、気も狂わんばかりに、お越しをお待ちしております。

ロゼルノ夫人拝』

気も狂わんばかりなのは、それを読んだバーンの方であった。ニグ・ロウの前で恥ずかしげもなく感嘆の声をあげた。

「うおおーーーーっ!こっこっ、このお方の、お姿を、お前は見たのかッ、ニグ・ロウ!」

「は、手紙を受け渡ししたのは召使でありましたが、上階の窓辺から見下ろしていたご婦人が」

「どんなどんな、どんな方であったかあぁぁぁぁー!早く申せッ!」

「黒髪を結い上げられており、お顔は真白く、美しいお方で」

「お美しいのか!胸は?!ムネは大きめなのかっどうなのだ!」

「窓を見上げましただけですので、胸元までは見えませなんだ」

「なにをしておったのだっ!ええい、よい!わたしがこの目で見に行く!」

バーン・バニングスは誕生日がガラリアより数ヶ月先だったので、まだ18歳である。この年齢の男子の、刺すような激しい性欲は、こんな扇情的な手紙を読まされたらもうノンストップアドベンチャーである。

ラース・ワウ城を中心に、ルフト領は東西南北にその領地を広げていた。ガラリアが母と住んでいた家は城より南東方向に、バニングス家領はそこより北方にあり、更に北には、ガラリアとアトラスが抱き合った湖がある。湖の北岸の向こうにそびえる山、イヌチャン・マウンテンの先には、ルフト家と同様、アの国を宗主と仰ぐギブン家領がある。今、バーンとニグ・ロウがいる森は、ラース・ワウの西側であった。ロゼルノ夫人の屋敷は、森を更に西方へ抜けた所にあった。バーンは、密会の相手が、うるさい父のいる実家と反対方向にいることで、バレないように仕組んだのだった。

<注:「聖戦士ダンバイン」原作の設定では、ギブン領は、ルフト領の南に位置しますが、本編では、ルフト領の北東にギブン領、その西方、即ちルフト領の北西に隣接してクの国がある設定です>

 ロゼルノ夫人は、手紙の通り、前の戦争で夫を亡くしていた。その戦争時に、ガラリアの父は敵前逃亡をして処刑されたのだが、騎士ロゼルノ家は、名誉の戦死であったので、未亡人は領地と屋敷を保有し、大勢の召使を従えて一人、経済をやりくりしていた。
が、しかし。手紙に、夫亡き後、男性が彼女の家を訪れることはなかったと書いたのは、大嘘のコンコンチキである。10代で新婚の夫が死に、子供もいないのに、十数年間も男なしでいるわけがないのだ。美しいロゼルノ夫人と密会する男たちは後を絶たず、彼女は色好みであり、しかも年下の童貞狩りが殊の外好きだった。最近、通って来る男が途切れて退屈していたところへ、評判の貴公子からの恋文である。飢えたハイエナの檻に松坂牛の霜降り肉が投げ入れられたようなものだ。

 鬱蒼とした森を抜けると、灰色の石造りの屋敷があった。童貞バーンは、今すぐ踏み込んで麗しき夫人に合間見えたかったが、騎士同士であっては、密会するにも手順があった。ニグ・ロウが、まず下働きの召使を呼び出し、主人が垣間見に来ていることを伝言した。馬上のバーンは、気性の穏やかな栗毛馬のたてがみを、もぞもぞいじくりながら、ええい、まだか!とじりじりし、たてがみを数本引き抜いてしまった。ヒン!と栗毛は一声鳴いたが、おとなしい馬は主人の命令通りにその場を動かずにいた。ドレイク軍占有の馬は多々あれど、この主人に仕えることができるという点で、この栗毛は、一番いい馬なのだった。

 ニグ・ロウが帰ってきて、主人に告げた。

「あちらの奥、二階のバルコニーに夫人がおいでになるとのことです」

「さようか!」

と、バーンは馬を飛び降り、その方向に走った。馬の手綱を固定する作業はニグ・ロウが黙って行い、主人の後を追った。奥の庭に来たバーンは建物を見上げたが、バルコニーがいくつもあるので、

「どれだ!どこだ!どの下だ!」

追いついたニグ・ロウに

「遅いッ!どっ、どの窓辺にロゼルノ夫人は来られるのだっ!」

ニグ・ロウは、あわてんじゃねーよこのクソガキと思いながら、

「そこまではわかりませぬが、おいおい来られるのをお待ちすれば」

「待てぬわ!」

すると、一番奥のバルコニーの、窓ガラス超しに、黒いドレスを着た女性が歩いてくる姿が見えた。ハッとして、バーンは凝視し、ニグ・ロウは黙って離れ、後方のしげみに隠れた。

 石造りのバルコニーの奥、大人の背丈より大きな木枠の窓が、ゆっくり少しずつ開いた。バーンは、期待に胸躍らせながら、階下の地面にひざま付いた。
キイと音をたてて窓が開かれ、女性が現れた。胸元の大きく開いた黒いロングドレス、その黒い布地はノースリーブで、肩から灰色の透けた長袖が手首まで包んでいる。バーンを見下ろした顔は、肌はミルクのように白く、黒髪をサイドにボリュームを持たせてうなじで結い上げ、黒目がちの瞳はしっとりと落ち着いてこちらを眺めている。厚い唇は濃いローズ系の口紅で彩られ、口角は大きめで、ロゼルノ夫人は、馥郁たる大人の色気がむんむんの美人であった。しかも開いた胸元から、巨乳の谷間がくっきり見えるときた。

 その姿を見たとたん、童貞の剣はもうかっちんかっちんになっていた。ぐあああヤりたいー!最高!天は我に味方をした!バーンは紅潮した頬のまま、大きな目を瞬きさせながら、夫人を見上げた。垣間見では、まずは、男の方からご挨拶。

「お初におめもじいたす。わたくしめは、先立ってお手紙を頂いた、バーン・バニングスであります」

ロゼルノ夫人は、18歳という年齢に見合わず、想像していたより太く、且つ澄んだ、男らしい美声に、まず聞き惚れた。(流石、速水奨!)そしてバルコニーから乗り出して見下ろすと、青い長髪を背中まで伸ばし、長いもみあげの先端がサラサラと頬にかかる、噂にたがわぬ美男子。美味しそう…と、夫人は心中で舌なめずりした。夫人は、渾身の演技力で、しとやかに言った。

「バーン様ですのね。わたくしのような者の所へ、おいで下さって、嬉しいですわ」

大人っぽい、しっとりとしたその声に、バーンはますます剣を硬くした。

「とっ、とんでも御座いません。ロゼルノ夫人。わたくしこそ、そのお美しいお姿に、もう、感激が止まりませぬ」

ふふふ…この坊やは、もうわたしに悩殺されちゃったわね、と夫人は心中勝利宣言。

「よろしいんですの?あぁ、バーン様。貴方のようなお若い素敵な方なのに。わたくしのような年上、しがない未亡人の身。貴方にはふさわしくないのではないかしら?」

ふと目線をそらして悲しげに。女優ロゼルノ夫人の演技力は、ますますバーンを熱中させる。ガラリアがピンク色の薔薇のつぼみなら、ロゼルノ夫人は大輪の百合の花だ。その花粉に毒され、花粉症で脳までイカれたバーンは、必死で訴えた。

「なんと言われる。わたしは、貴女のような美しい方が、自分のような未熟な者を受け入れて下さるかと、自分の若さが疎ましくさえ思うのに。おお、ロゼルノ夫人、二階におられる貴女と、この額づくわたし、今のわたしには天と地ほど離れているように感ずる。この結界を越えられぬもどかしさ、わたしの幼さゆえか!」

 さて、バーン・バニングスの特異な才能のひとつに、かなり緊張していても、或いは窮地に陥っても、このようにスラスラと、流麗な台詞が言える、というものがある。喋っているうちに元気を取り戻す。これは、彼の特技であると同時に、困窮の際に、そんな格好のいい台詞を吐かずには、ナルシシズムを維持できない、という彼の精神防衛作用、即ち逃げ、でもあった。人間の長所と欠点とは、心の両端にあるのではなく、一つの同じ性質の顕れなのである。

若い、幼い。そこが美味しいのよ、童貞さん。と夫人は思いながら、このうぶな美少年に、早く、楽しい楽しい手ほどきをしたいと欲情した。

「まぁ、わたくしをそのように思って下さるなんて。嬉しいですわ。バーン様…」

「嬉しいと、言って下さるか。あぁ、わたしも、貴女にお会いでき、この激情をなんとしたものか!」

すると、ロゼルノ夫人は、予め用意しておいた白い大輪の花を一輪、取り出し、

「バーン様、これを」

と投げ落とした。女から花をどうぞと渡す。これは、わたしの「花」をあげます、という意味で、即ち、密通姦通オッケーよ!の合図であった。…それを受け取ったバーンは…

 漏らすかと思った。が、ご婦人の前で失禁するわけにはいかないから、なんとか我慢した。白い大きな花と、ロゼルノ夫人の顔を見比べて、ぐああああーヤれる!この美人で巨乳の熟女と!焦って焦って、おお、約束を取り付けなければ。

「で、で、では、いつ、いつ、まかりこせば、よろしいかっ?!」

「今夜は、お暇かしら?」

ぐああああー今夜っ!今日の夜と書いて今夜!今夜と書いてヤルと読む!あっ待てよ。今日の夕食は、ドレイク様らと会食ではないか。カァーッ、なんと邪魔な行事であるか!心底、どうでもよいわ!

「残念ながら、ラース・ワウにて所用があり、夕食はご一緒できませんが、夜半、夜半です。夕食後には、飛んで来ますゆえ、どうかお待ち下さいませぬかっ?!」

ロゼルノ夫人は、余裕しゃくしゃくであったが、わざと、さも残念そうに、

「まぁ…そうですの。お忙しいのですね。いいですわ、わたくし、バーン様が来て下さるのを、何時まででも、ベッドで」

ベッド?!くぁーたまらぬぞ!くそっ!会食、死ね!

「お待ちしておりますわ。きっと、いらしてね。うふ…」

と、最後に思いっきり色っぽく吐息をもらして、ロゼルノ夫人は窓の中に消えた。

 こうして、本編の主人公ガラリア・ニャムヒーと、幼馴染みのバーン・バニングスは、兄妹仲良く同じ夜に、その喜びを噛み締める予定になったのである。
ニグ・ロウは主人に恵まれない人であった。




 今日の夕食は、ドレイク・ルフトと、その妻子が供に会食。この行事を疎ましく思っている者が、もう一人いた。

リムル・ルフトは、12歳になっており、思春期を迎えていた。ラース・ワウ城の一番奥の部屋で、リムルはソファーにだらしなく横たわり、読んでいた一冊の本を机の上に投げた。

 つまらない。わたしの毎日って、なんてつまらないの。生まれた時から、遊びに行きたくても、城の中。城外に出ようとすれば、召使が何人も付いて来て、あれはだめこれもだめ。同じ年齢の友達は一人もいない。

わたしの周りは大人しかいない。クラヴサンの先生、ミュージー・ポウだって、23歳だったかしら、すましてお喋りもしないし。母親は口うるさく、勉強しろだの、クラヴサンの練習はしましたか、だのと言ってばかり。父親は、わたしには甘いけど、政治のことしか頭にないみたい。しかも、最近は、まだ12歳のわたしに、将来はどこへ嫁にやるか、なんて言うのよ!わたしの人生はお父様の政治の道具じゃないわ。

 リムルは勉強が好きではなかった。外を駆け回って、遊びたいのに、身分がそれを許さなかった。好きな本は、少女小説だけだった。リムルが好むお伽話では、深窓のお姫様には、必ず、白馬の王子様が迎えに来て、2人は恋に落ちて逃避行…こんなふうにわたしもなりたいな。きっと来るわ。わたしの王子様は今、どこにいるのかしら?と、机上の本を眺めた。

 今夜は外国のお客様と臨席して会食ですって。ああ、いやだ。お小言ばかりの母と、政治の話ばかりの父と、しかつめらしい大人たちと食事なんかして、おいしいわけないじゃない。リムルは所在なげに部屋を出て、自由に動ける唯一の城内を、ブラブラ歩き回った。もうすぐ夕食ですから呼ぶまで部屋にいなさいと母に言われたことなど、かまうものか。

 兵たちのいる場所には、入ってはいけませんと言われていたが、リムルは、馬屋の見える二階の回廊に来た。遠目に、二頭の馬が帰って来たのが見えた。馬上にいるのは。

「あら?一人は、女の子じゃない。制服を着ているわ。騎兵なのね。わたしよりは、だいぶ年上みたい」

小さな12歳の少女から見て、明日17歳のガラリアは、背が高く、胸が大きく、しかも、馬を軽々と乗りこなし、颯爽と降りる姿は、すごく大人に見えた。そしてそのスラリとした年長の少女は、外国の服を着た、もっと背の高い大人の男性と、生き生きと笑い合っている。彼女の、甲高い嬉しそうな声が、聞こえる。

 リムルくらいの年齢の女子にとって、年上の女性に対する羨望は、非常に激しいものである。まず、身体。幼い少女は、早く、早く、男性が振り向くような大人の女性の体になりたいと願う。そして、恋に恋する乙女は、実際に恋人を持っている年上の女性を、激しく羨み、嫉妬した。しかも領主の娘リムルは、籠の鳥の生活。
あのカップルは城外まで遠乗りをしたのね。馬になんて、わたしはまだ1人で乗らしてもらえないわ。2頭の馬を引きながら、馬屋へ、笑顔を交わし、語り合いながら入って行く男女。

…男の人に好かれる容姿と年齢、そして自由に外で遊べて、誰はばかることなく、仲良くデートしている少女がいる…

「うらやましい!あの子は、わたしがほしいもの、全部持ってるんだわ!」

リムルを追って、女召使がやって来た。

「姫様、お部屋にお戻りを。ルーザ様がご立腹ですよ」

姫様と呼ばれる。母親が呼んでいるから帰れ。なによ、このわたしの不自由な暮らしは!リムルは、自分を救ってくれる王子様を待ち望んでいた。




 ガラリアは、アトラスと別れて、1人、大食堂に来た。昨夜とは違い、食欲は旺盛だ。肉料理に付け合せの茹で野菜、パンにチーズに、お酒はやめておこう。いや、あんまり食べ過ぎると、お腹が出て、今夜彼に見られた時恥ずかしいかな。ウキウキしながら大きなテーブルに腰掛けた。周りには、もう顔みしりの青年兵たちがいっぱいだ。その中で、フォークで料理を口に運びながら、ガラリアは男たちの顔を見渡して、クスクスと笑いがこみあげた。

まったく、誰も彼も、私のアトラスに比べたら、なんと凡庸なのだ。不細工だし、下品だし。それにひきかえ、私の恋人の素晴らしいこと!容姿端麗で教養深く、女性の扱いが上手で。ああ、今夜、あの人に、私は抱かれるのだ。それと、さっき馬屋で彼が、今夜、誕生日プレゼントをあげると言った。何だろう?今日、城下に行って買ってきたのだって。昨日ケンカしたのに、ちゃんと約束を守ったのだ。こんな嬉しいことが、たくさんある。それは全て彼がくれるのだ。

ああ、恋人。私の恋人。恋する人と書いて恋人。恋人と書いてアトラスと読む!

 隣に座っていた、ガラリアに言わせると、凡庸で不細工で下品な青年兵が、ニタニタしているガラリアに、何かいいことでもあったのか、と尋ねた。さあな、とだけ答えて、ガラリアは食事を終えて席を立ち、自室に戻った。

 さあ!<準備>だ。昨夜はためらってしていたこの行為、今夜は張り切ってするぞ。ミニアチュールのお母様。いいですよね?お母様は、幸せになりなさい、とおっしゃった。私、今すごく幸せなんです。微笑んでいる母の顔は、ガラリアの門出を祝ってくれているように見えた。

ガラリアは、浴室で体を磨き、昨夜より丹念にボディーチェックし、勝負下着を選ぶ作業にかかった。まだ給与が出ていない、持ち物の少ないガラリアには、さほど選択の余地はなかったが、純白がいいか?サーモンピンクがいいか?いやこっちの濃いピンクがいいか?いや、やはり白か。うん白だ決定!ブラもシンプルな白ので。

 下着が決定し、ピンクの制服を着直して、鏡台に向かった。ガラリアはまだお化粧はしたことがない。素肌に天然色の唇、ショートカットにした青い髪。

彼女が近年少々困っていることがあった。士官学校2年目くらいから、くせっ毛が激しくなってきていた。頭頂部の髪はあちこち勝手に向いてハネているし、寝癖がすぐつくし、耳の前に伸ばした部分はくるりんと円を描いてしまう。なんで私の髪は、お母様のような、ゆるやかなウェーブにならぬのだ。少しでも伸ばしっぱなしにすると、ハネはますます手に負えなくなるので、このくせっ毛では、長髪は望めないなぁ、と思い、彼女は短髪にしていた。そのまとまらない髪を、木製の櫛で何度も何度もすいた。どんなにすいてもたいして変わりはなかったが、すいた。

 そうこうしていても、会食はまだ真っ最中であろう。ああ、もどかしい。なんでこんな日に限って、全員集合で会食なのだ。早く終ればいいのに。




 大広間に集まって会食をする者は、ドレイク、ルーザ、リムル、ミズル、バーン、それにアトラスであった。アトラスは、ルーザがリムルを連れて部屋に入ってくると、その前に深々と額づき、ルーザの手をとりキスして言った。

「ルーザ・ルフト様。お久しゅう御座います」

「アトラス。健勝でなにより」

と、ルーザは低い声で言い、自分のドレスの裾に隠れている娘を引きずり出した。リムルは、ものすごい不機嫌な顔で客人の前に出た。あら!この人、さっき馬屋にいた人だわ。母が厳しく言う。

「これ。お客様にご挨拶せぬか、リムル」

アトラスは、紫色の髪と、青い瞳の小さな少女にも、母親にしたのと同じように額づいたまま手をとり、キスしようとした。少女は、キャッと言って大きい男性の手を振り払い、また母親のドレスの後ろに入ってしまった。リムルは、なによ、さっきまで女の子とデートしていたくせに、大人って人前では平気に振舞えるのね!などと子供っぽい焼きもちでいっぱいだった。ルーザの叱責が飛ぶ。

「リムル!まあ、なんという失礼な。この方は、母の故郷から来られた大使であられるぞ」

離れた席に座っていたドレイクがハ、ハ、ハと笑った。

「よいよい。リムルはまだ幼いのだ。騎士の礼節はわからんでも仕方あるまいて。のう、アトラス殿」

「いやはや、ドレイク閣下。姫様には、それがしは嫌われてしまったかもしれませぬ」

笑い合う、夫と、故国の知り合いを見ながら、ルーザは心中で怒りの炎を燃やしていた。勿論、娘の不躾に立腹などしているのではない。

 こやつ!こやつだ!アトラスめ、クの国王は平凡な男だが、この親衛隊長が仕切っているせいで、わたしの言いなりに動く王弟ビショットが、未だ政権を取れずにおるのだ。こやつさえいなければ、いずれクの国はわたし、ルーザの手中に入るのだ!夫ドレイクは、どう考えているのか?お前様も、クの国と、いつまでも対等外交を続ける気なぞないはずだ。そういう男だからこそ、わたしはお前様と結婚したのだぞ…

 ドレイクを中心に、全員がテーブルに付いた。アトラスはミズルの隣りで、末席にバーンが座った。正面に、ルーザとリムルが並んでいる。

リムルにとっては、最悪な夕食だった。比較的年齢の近い、正面にいるバーンだとて、大して知り合いでもないし、12歳から見て18歳のバーンもやはり、「つまらない大人」だった。お父様やミズルにはおもねっているくせに、下士官には威張り散らすのよ、この人!

後年、そのバーンと、父親の命令で婚約させられるのだが、嬉しくもなんともなく、迷惑なだけなのは、この頃からリムル本人には明白であった。彼女は自分の身分に対して憤慨している。だから、父の息がかかった者があてがわれる事自体を拒否する。リムルの「王子様」は今、他領におり、まだ2人は出会っていなかった。

 アトラスはいつもの静かな口調で、ドレイクと国交に関して話した。そうしながら、ルーザの顔色を伺った。アトラスは、今頃ルーザの部屋周辺を探っている部下を慮りながら考えた。

「ルーザ様には、誠にお懐かしゅう思います。それがしが幼少のみぎりに、何度かお会いしましたが、お変わりないですな」

ルーザは、ふん、見え透いたお世辞を言いおって、と思っていた。まだルーザは、アトラスにビショットとの内通が洩れていることを知らなかった。

「ドレイク閣下、それがしは明朝には出立いたしますが、こちらの軍のご優秀なことに、感心いたしました。どうでしょう、近々、軍事演習なぞ、我が国と合同でいたしませんか?」

「それは良い!貴公の精鋭部隊の規律を、是非我が軍も見習いたいものであるな、のう、ミズル」

ミズルとバーンは、アトラスの提言に、何言ってんだよ、あんたガラリアにまた会いたいだけじゃん、と内心突っ込みまくりだったが、ミズルはほほえましく思う笑み、バーンはにがにがしい作り笑いで答えた。ミズルが、アトラスの助成をした。

「良きことと思われます。お館様。国境付近で合同軍事演習をすれば、両軍の脅威を、周辺諸国に知らしめる役にも立ちましょう」

ドレイクとミズルにとっても、深謀があった。最近、ルフト家と同じく、アの国を宗主国とするギブン家が、ドレイクには目障りだった。ギブン家の領地はルフト家の北隣りの強国、領土も広大であり、領主ロムン・ギブンは冷静沈着な君主である。そしてロムンは、愚王であっても、宗主フラオン・エルフには忠実な臣下であった。ドレイクは、国王に謀反を計画しているから、ギブン家は目の上のこぶであった。ロムンの嫡男、ニー・ギブンは、18歳ぐらいになっておるか、将来、この息子も、邪魔者になるであろう。と、ドレイクは考えた。

 そんな折り、ギブン領の隣にあり、強力なクの国と、我が軍の結びつきが強いことをアピールすることは、有効な軍略であると考えられた。

宗主アの国自体。そしてラウの国、ミの国、その向こうの、強国ナの国をも、いずれ手中に、と狙うドレイクの野望は着々と進行していた。今は、クの国が、妻ルーザの出身国であるということが、役に立つわい、と夫ドレイクはほくそえんだ。そして、演習をしながら、ク王室の内政の様子も観察できる…国王と、王弟ビショットとでは、どちらが扱いやすいかものう…

 鋭敏なアトラスは、ドレイクの目論見にも、気がついた。この男であれば、妻の内通を知らずとも、我が国への侵攻をも視野に入れているであろう。だが、自分の配下のク軍隊が、この小領主なぞには敗れないことを悟ればよい。そして今は、王室親衛隊と、このドレイク軍との、強固な結びつきこそ必要だ。たとえ領主夫妻が姦計しても、ミズルとバーンは、我が方に取り込められるであろう。バイストン・ウェルでは、他国の有能な家臣を引き抜いたり、草(長年敵国に仕えて、いざという際に裏切る間者)に仕立てたり、といった戦略は当然であった。

 ルフト夫妻は、今、ラース・ワウ城内に、将来の「草」が育ちつつあることに、全く気づかないでいた。「草」自身も、自分がそうなろうとは、知らないし、自らそうなることを望んだわけではなかった…

 ドレイクは、重要な話が一通り終ると、愛娘リムルがぐずっているから、ルーザと一緒に下がるように言った。アトラスは、喋りながらルーザの様子を観察し、まだ彼女がこちらの動きには気づいていないであろうことを悟った。悪女であっても、政略には素人だ。アトラスの方が一枚上手であった。

 後は!ドレイクの話し相手をしながら、コース料理を、デザートまで平らげさえすれば、今夜はこれにて、と退室できる!と、急に色めき立った若者2人。アトラスは、あのかわいいガラリアが、自分の客間にやってくる姿を想像し、バーンは、栗毛を飛ばしてロゼルノ夫人宅へ行くことを想像し、2人の食べる速度は、通常の3倍速であった。ドレイクは、この若者2人は、なんで、吸血獣ボンレスが吸い付くみたいに、肉やパンを口にねじ込むのか、と呆気にとられていた。ミズルは、なんとなくわかったので、笑いをかみ殺しながらワイングラスを傾けていた。




 果実のゼリーを一気飲みしてきたアトラスは、まず、配下の兵たちに集合をかけた。ルーザの部屋周辺を探ってきた腹心の部下は、1人の年老いた女召使が、手紙を城外に運び、そこで待っているガロウ・ランの間諜に渡していると報告した。ガロウ・ランならば、ルーザより金をはずめば、こちらの味方にもできる。その程度か。つまりルーザはビショット・ハッタと、ドレイクとの結婚前から内通していたから、夫にバレないように、彼と連絡を交わしているわけだ。その男の王位を願うのも、わかる。夫にも、故国の愛人にも、通じていれば、どちらかが倒れても保身を図れる。潰し合ってくれても、自分は安泰である。人を人とも思わない女だ。

今重要なことは、ルーザにもビショットにも、こちらの動性を掴ませぬことだ、と、アトラスは部下たちに念を押した。

そして、部下たちの信頼を一心に集める親衛隊長が、ふと表情を曇らせて言葉を切ったので、彼らは、まだなにか悪いことでもあるのか、と思った。アトラスは、重い口を開いた。

「そなたたち、これから、うむ、今夜はわたしの部屋を訪れぬように。」

「お疲れですか、隊長」

全然疲れてない。むしろ爆発しそうに元気だ。巨大なゼリーをひと飲みできるぐらい。

「うむ、まあ、そうだ。それと、わたしの客間付近の衛兵らに、下がるよう言うが、深い意味はないので、気にせぬように。」

「は?衛兵がいなくては、万が一…」

「ドレイク軍の衛兵など、いてもいなくとも、万一の際には問題にならぬ。否、むしろ邪魔だ」

確かにそうであった。もしも、ここで何者かが襲ってくるとしたら、ルーザであり、ルーザ配下の兵は、その際には敵になる。
腹心の部下が、今回に限って余計なことを言った。

「では、隊長。今夜はわたくしがお部屋の前に立ちましょう」

いいんだよそんなことしなくても!アトラスは、ガラリアと付き合うことを隠す必要はなかったが、初めての夜に、彼女がそれをいやがるのだから、気を使ったのだった。

「よいのだ、その方も自室で休め」

と、やや頬を紅潮させ、さかんに瞬きするアトラスを見て、腹心の部下は、そういえば?今日、隊長は、女物の店で買い物をしていた。ははーん、そうか、誰かお気に入りの女性と、そうかそうかと、我らが隊長の真意を理解した。流石、精鋭部隊!物分りが早い!本当に、特にドレイク軍副官バーン・バニングスには、彼らの機知を学んでほしいものである。

「了解いたしました、隊長。どうぞごゆるりと。」

と、にっこり、笑顔で答えた部下に、バレたのがわかった隊長は、片手で軽く敬礼し、目で、そういうことだから頼む、と合図した。部下たちも、どうぞ上手いことやって下さい、と敬礼し、目で答えた。 
ミズル・ズロムは部下に恵まれない人であった。




 アトラスは通常の3倍速の早足で西館に向かった。城内で走ると不自然なので、大股で両手をぶんぶん振って歩く姿は競歩の選手のようだ。二階にある客間の前に到着すると、ドレイク軍の軍服を着た衛兵たちに、今夜はもう下がってよい、と告げた。客人の言いつけに従順な兵らは、やれやれ今夜は働かなくて済んだ、と喜んで去って行った。
二階の回廊から、庭を見下ろすと、黒っぽい茂みの中に、鮮やかな青い髪がちょこんと突き出していて、まるで、暗かった庭木に花が一輪咲いたようだ。

…あれで隠れているつもりか?あの子は間者には向かないな。その青い花がこっちを見上げた。かくれんぼで鬼に見つかってしまった時のような表情で。なんて顔をするのだ…
一生懸命、隠れていたのに、貴方はどうして、私を見つけたの?と、青い花は言っていた。

 アトラスは階段を駆け下りて、茂みに咲いた花に近寄った。花はこちらを見つめながら、まだ葉っぱの間にしゃがんでいる。桃色の唇が動いた。

「もう、いいのか?大丈夫か?」

「出ておいで!」

ガラリアの恋人は、大きな手のひらを差し伸べた。ガラリアはその手をとった。アトラスは気がせいて、ガラリアの歩幅より大股で階段を上がった。引かれるまま階段を上がる少女。上がっていく。上へ。大人へと。

 客間の扉を開けると、中は暗かった。客人は慣れた手つきで油に火を灯し、行灯の光で部屋中が照らされた。二間続きの、そこはテーブルと長椅子のある居間で、もう一つの扉の向こうが寝室だった。扉が開いていたので、ベッドが見えた。ガラリアがキョロキョロしている間に、アトラスは最初の扉に、内側から鍵をかけていた。

「さあ、座って。君はお客さんだから」

と、礼服の彼は、長椅子にちょこんと腰掛けた恋人のために、グラスを二つ運び、給仕のように立ったまま、酒瓶から、濃い赤茶色の酒を注いだ。そしてガラリアの隣りに腰掛けてハァーッと長く息をもらしてから、おもむろに言った。

「乾杯しよう、ね。少し早いけど、お誕生日、おめでとう」

あ…とガラリアは睫毛をパタパタさせて、グラスをとった。キン、と二つのグラスの音が、静かな部屋に響いた。クイと飲み干したお酒は、ワインより濃度があって、もうとっくに紅潮しているガラリアの頬をなお赤くした。アトラスは、ガラリアより早く杯を空にして、また立ち上がり、スタスタと、窓際の棚の上からなにやら小さな包みを持って来て座った。白地に青色の花柄模様の包装紙に包まれた贈り物は、彼の両手のひらに乗るくらいの大きさだ。

「受け取っておくれ。ガラリア。君の17歳のプレゼントだよ」

「あ、ありがとう、アトラス」

と両手で受け取ってみると、その包みの中には、やや重たい、硬いものが、ふたつ、あるのがわかった。ふたつ?なんだろう?楽しみで、心臓がバクバクする。

「開けて見て、いいか?」

「もちろん!うん、あぁ、気に入ってくれたら嬉しいが!」

アトラスもドキドキしていた。贈り物は、あげる方も楽しみなものだ。ガラリアは不器用に、包装紙をガサガサと開いた。もともと、梱包をきれいに開くとか、細かい作業は苦手な方だったが、今日は特に手つきが震える。紙の中から、その硬いものが現れた。ガラリアは、それまで低い小さな声で喋っていたが、突然大声で叫んでしまった。

「あっ!!」

思いがけないものが、ふたつ、あった。そういうものの存在は知っていたが、ついぞ自分で持とうとは、思ったことが、一度もなかったもの。

 白い磨りガラスの、丸い瓶。蓋は銀色で花形に細工されている…香水だ!

 もうひとつは…円筒形の金色の金属……口紅!!

化粧品なんて、考えたことが、なかった。服だって、制服と軍服しか持ってない。おしゃれしようなんて、考える余裕もなにもない生活をしてきたから。着飾って、男性の目を惹こうなんて、考えたことが、今までの人生で、一度もなかったから。

 アトラスは、ガラリアより10歳年上の27歳。彼から見たら、ガラリアは幼い少女であるが、彼は決して、少女愛好者(ロリコン)ではなかった。むしろ、ガラリアを初めて見た時、成長して、つややかな大人になったら、もっと、と、愛する女性の成熟を望む「大人の男性」であった。アトラスは、ガラリアが、香りをただよわせ、唇を彩る姿が、ほしかった。

 ガラリアは、自分にとって生まれて初めてのことを、いくつもいくつも惜しげもなく、次から次へと、与えてくれるこの人に、驚き、自分がお化粧するなんて、とそれを喜んでいる自分にも、驚いていた。贈り物に触れられない恋人を見て、アトラスは、不安げに、

「どう?気に入って、もらえたかな、どう?」

「私…」

「え、あ、ど、どうだったかな」

アトラスも緊張して、自分が何言ってんだかわからない状態になった。ガラリアは、おずおずと、まず香水の瓶をとり、花形の蓋を回して開けて、嗅いでみた。白い花を想起させる華やかな香り。その中に、樹脂のような落ち着きのある香りもブレンドされている。女性の、若々しさと、大人らしさを同時にかもし出す香り。地上の銘柄で例えるなら、<クリスチャン・ディオールのディオリッシモ>。これが、今後、生涯、ガラリアの体臭と混ざり合い、通り過ぎる者たちに、あ、ガラリアだ、と振り返らせる香りになるのだった。彼女は、この時アトラスにもらった瓶を使い切っても、同じ銘柄を持ち続ける。一生…。

 しずくを指にとり、これ、どこにぬるものなのか、と迷った。すると贈り主が、

「香水はね、うなじとか、手首につけるのだと、思うよ。たぶん」

たぶんじゃない。アトラスも多くの誤解者の一人だ。香水は、直射日光が当たる肌には、あまりつけない方がよい。髪の毛先や、靴下につけるのが正しい。これを教えてくれる地上人の女性と、ガラリアが出会い、語り合う仲になるのは、まだ何年も何年も先のことであったから、ガラリアは言われた通りの場所にぬってみた。

うなじが濡れてひんやりして、プワッと、自分が甘く芳しい香りに包まれて…うっとりした。その笑顔を見て、アトラスはセレクトが成功したと、自信を持ち、

「口紅も、つけて見せて!」

ガラリアも、目をキラキラと輝かせて、喜色満面である。金色の円筒を抜くと、筒の中は暗くて色がはっきりしない。こうかな、と円筒の底を回してみたら、口紅の先端が伸びてきた。

真っ赤。真紅。マットな、つや消しの、赤!なんという、大人の色だろうか!アトラスはまた立って、

「あ、鏡が要るね。これを。」

と、机上に立つ型の鏡を持って来て、テーブルの、彼女の前に置いた。ガラリアは、生まれて初めての「べに」を、震える手で、下唇に、ゆっくり引いた。ああ、赤い!上唇にもぬった。真綿のように柔らかく、透き通る白いガラリアの肌に、その色は、燃え盛る情熱の炎だった。この色のくちびる!今日から、この唇が、ガラリアの定番色になるのだった。

 ああ、すごい。鏡の中の自分は、まるで違って見える。お化粧って、こんなに変わるものなのか。赤い唇の私の隣りに、黒髪のアトラスが映っていて。この人が、私の初めての恋人なのだ。鏡の中の彼氏は、微笑んで鏡越しに私を見つめている。幸せだ…。肩を、くいと、抱き寄せられた。彼の首元にもたれかかり、彼の胸板から肩へ、自分の手を触れた。アトラスは紅をひいたガラリアの顎をこちらへ向かせた。

「きれいだ…他に言葉が出ない…ガラリア」

「きれいなのか?私」

「君は、これからもっときれいになるよ。わたしは、それをいつまでも見ていたい…」

あ、キスされる。あの素敵な気持ちになる、キス…ガラリアは目を閉じてまた開けた。あっ。

「あ、アトラス、」

「なに?」

もう口づけしようとして、唇を薄く開けていたアトラスが、軽く首をかしげる。

「だめ、だって、口紅が」

「大丈夫だよ」

「だって、ついちゃうだろう」

「大丈夫なんだよ」

そうして彼は首を傾けたまま、ガラリアの赤い唇の両端に自分の開いた唇をあてた。そして強く動かした。うっううんっとガラリアは、口紅を気にしたが、すぐ、彼の濡れた弾力の餌食になり、全身の真芯を熱くさせた。また舌が、クチュクチュと音をたてて、キスに口紅は関係ないとすぐわかった。彼の口唇が、すぐ全てなめとってしまうのだもの。舌を入れられて、感じて。

(あ!あぁ、いい…あ、あ、私の、あそこが…花が濡れる)

濡れる濡れる、赤い唇と、花。ああ、そうか、唇を赤く染めるということは、私は、花開くのだ。そうだ、今から…私の花に、彼が!

 そう思ったら。急に、鼓動が激しくなり、そして急に、怖くなった。湖畔で触れた、彼の硬い剣、あれが私の中に!抱かれる、って決意してきたけど、一緒にベッドに入るということは、抱きしめられるだけではないのだ。怖い。初めての時は、すごく痛いのだろう?

 アトラスは、もう、その剣を硬くさせ、彼女の舌をまさぐりながら、とうとう、抱ける。ひとめ見て恋に落とされたこの女性を、自分のものにできる!彼の息遣いは、今日の昼間の時より、格段に違って、飢えたけだもののように激しくなった。抱きしめる力は、もう絶対、その行為から逃れることはできない事実を物語る強さだ。背中を触る手つきも、アトラスの、普段の落ち着いた物腰からは想像できなかった…いやらしい感じ。あう、お尻を、強く触られた!彼が唇から離れて、荒い息をア゛ッ、ともらして、ガラリアをパッと見た。

 その顔は、ガラリアには、怒っているように見えた。眉間に深く皺を寄せ、眉はつり上がり、口元は開かれて彼の歯が覗く。でも拒否できない。潤ませた瞳を、怯えた眉が寄せているガラリアを、アトラスは、突然、ひょいっと、軽々と抱き上げた。

「キャァッ!」

驚いて悲鳴をあげたガラリアにお構いなく、アトラスは処女を自分のベッドに、大股で歩いた。

…彼が今私を犯そうとしているのに、その彼に、助けを求めるように甘えてしがみついている私…ヘンなの…変なのだ。怖いのに、楽しみなのだ!楽しみなのに、怖いのだ!

 アッアッと小さく叫びながら自分の首にしがみついてくるガラリアに、アトラスは至上の喜びを感じた。白いシーツの上に、ピンク色の服とブーツのままのガラリアを置いて、彼は、すぐまた元いた居間へ、足早に戻ってしまった。

(えっ?どうして。)

ガラリアの謎は、たいしたものではない。彼は居間の灯りを消しに行っただけで、すぐやって来て、寝室の扉をばたん、と閉めた。ベッドは、窓とは反対側の壁に頭をつける位置にあり、扉を閉めてこちらを向いたアトラスは、ガラス窓の外の、向こうの城壁で焚かれたかがり火だけで逆光になり、顔が真っ黒で見えない。部屋は暗い。更にアトラスは、城壁からの灯りが差し込む窓の、カーテンをシャッと閉めたので、部屋は真っ暗闇になった。コツコツと、彼のブーツの足音が、仰向けで寝ているガラリアの顔に近づいた。暗闇に、低い優しい彼の声が響いた。

「暗すぎるね…君の姿を、よく、見たいから…」

と、アトラスは、枕元にある蝋燭に火を灯した。三本用の銀色の燭台に火が灯されると、白いシーツが橙色にぼうっと浮き上がり、ガラリアの白い顔に、潤む薄緑色の瞳が、蝋燭を反射してキラキラと輝いた。燭台が手元にあるアトラスの顔は、また落ち着いていたが、下から照らされて、青い瞳が、こちらを睨むように凝視して…と、見たとたん、男の体はガラリアの上に覆い被さった。

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