「月下の花」

第1章 女、恋をして、処女と呼ぶ


 士官学校での4年間で、ガラリアが得たものは、知識と武術と、女性としては最年少の16歳で、ドレイク軍への正規入隊が認められたという栄誉、だけではなかった。しかし彼女が学校で得たものの本当の価値を知るには、まだ、もう少しの年月が必要であった。学生時代を振り返る年齢になった誰もが、そうであるように。

 先に卒業していた18歳のバーンは、騎士団長ミズルの副官になっていた。今日は、ガラリア達の入団式で、アの国王フラオン・エルフはドレイクからの招待を面倒くさいから断っていた。もっとも、ドレイクも愚王フラオンなどは来てほしくないから、形だけの書状を出しただけである。それより、同盟国である、クの国から、フラオンにではなく、ドレイクへの礼節として、ク王室の精鋭である親衛隊長アトラスが親善大使としてやってきていたことが、軍事上重要であった。アトラスは、27歳になる精悍な男性で、ドレイクの前に額づき、朗々とした声で挨拶する姿は、居並ぶミズルと、バーンの目にも、畏敬の念を抱かせるほど立派であった。

 新入団生たちは、ラース・ワウ城内の広場に整列し、ドレイクと軍幹部たち、そして客人が来るのを待っていた。ガラリアは、新しいオレンジ色の軍服を身にまとい、緊張した面持ちで領主様らが来られるのを、中でも、2年先に卒業してしまってから、時々しか会えなくなったバーンが来てくれるのを、心密かに楽しみにしていた。まだ、ガラリアはバーンが、自分の初恋の人だとは、はっきり自覚していなかったが、2人が士官学校時代からずっと、少なくとも友人であることは、ガラリア自身も周りの皆も、既知であった。

 閲兵式が始まった。ドレイクに引き続き、礼服のミズルとバーンが歩んで来て、2人が後方に向かって会釈をしたので、例の、クの大使か、とガラリアはやってくる男性を注視した。

 かつかつと式場に入ってきたアトラスを見て、ガラリアでなくとも、皆ハッとした。首筋まで伸びた黒髪がサラサラとたなびき、クの国風の、マントの付いた薄茶色の軍服が、ぴんと伸びた背筋を映えさせ、兵たちの方を向いたその顔は、彫刻のように整い、にこやかに開いた目は青く澄んでいた。

男たちの目には、彼は軍人の鑑のように映り、兵の中でただ1人の「少女」ガラリアには、圧倒されるほどの「大人の男」の風格が感じられた。今まで、ガラリアが出会ってきた異性といえば、母と同年代のミズル、ミズルと同年代の学校の先生方、そしてバーンら年齢の近い少年たちであったので、27歳という、若さと、大人らしさを両方兼ね揃えた男性を見ることさえ、驚きだった。勿論、それくらいの年齢の男性に一度も出会わなかったわけではないが、ガラリアが目指す戦士の立場にある者で、これほど完璧な魅力を持つ者は、かつていなかったのである。

 ドレイクは新入兵たちへの訓示を終え、自身への礼として、クの国からやってきたアトラスを紹介した。クの国と結ぶことは、宗主アの国そのものをも、いずれ自分の支配下に置こうと考えるドレイクの戦略であったが、アトラスの心中には、政情不安な自国の助力として、ドレイクを頼りたい戦略があった。クの国の王位を狙う、王の弟、ビショット・ハッタの暗躍が、王の親衛隊長アトラスにとって当面の敵だったからである。

アトラスは、新入兵たちに向かい、涼やかな声で話した。

「諸君、わたしは、同盟国の大使として来たが、諸君らに会えて光栄に感ずる。今日正式に入軍する諸君の、新しくあつらえた軍服を見、希望に燃える瞳の輝きを見、わたし自身が初心に帰る思いを、諸君らから、もらった気持ちで感激している。

初心貫徹とは、人は簡単に口にするが、これほど難しいものはない。戦士として、また、人間として、初めて経験する事象に向かう時、己が抱いた感情を、その後も信じていくことは容易ではない。

戦士に要求されるものは、経験を積むことによって獲得できる能力が大半であるが、その経験則からなる力を生かすか殺すかを決めるものは、各人の精神のありようである。いずれ指揮官を目指す君たちには、実戦を戦いぬくと同時に、己の精神との闘いが、待っている。

千人の軍勢と戦うよりも、たった1人の自分との闘いの方が、難しいものである。今日のこの日を、初陣と思いたまえ。この瞬間から、君たちの闘いは始まっているのである。」

と、話して、アトラスは、大きな目を見開いてこちらを見つめている、1人の美しい少女を見つけた。彼の視線を留めたのは、1人だけ女性がいるから、だけではなかった。自分の話に聞きほれて感激している様子が、少女の、類稀な聡明さを感じさせたからであった。

アトラスは、クスッと笑ってドレイクの方を見て、

「閣下より長く喋っては、我ら戦闘になりますまいか?」

アトラスの冗談に、ドレイクさえ声をたてて笑った。全員が、笑みを浮かべる中、アトラスは静かに礼をして下がった。ガラリアは、会うのを楽しみにしていたバーンをすっかり忘れて、アトラスに見ほれていた。

バーンを忘れている自分のことも、忘れていた。




 ガラリアは、ラース・ワウ城内での新しい個室を整えたり、軍服から、新しく支給された平服に着替えたり、今夜行われる先輩たちへの挨拶の儀礼式のことを考えると憂鬱になったりというあわただしい時間の中で、アトラスの言葉と姿とが、脳裏から離れないでいた。特に、正式に入団は決定しているものの、伝統的に行われる儀礼式が、いかに不愉快なものであるか、バーンから聞いていたので、その不愉快さに耐えることも、アトラスの言う、己の精神との闘いなのであろうな、と自分に言い聞かせていた。

 夜になり、儀礼式が、始まった。暗い部屋の中に、大勢の先輩たちがおり、ふるまい酒で既に酔っ払って大騒ぎしていた。そこへ、新入兵は1人1人入らされ、騎士団長ミズルが紹介し、バーンが、この者の入団を認めるや否や、と問う。罵声が飛び交い、酒瓶や鋳物を投げられたりして、それを叩き割ったり、襲い掛かる先輩と格闘して負かしたりしないと、入団が認められない…という、よくわからない儀式だった。バーンですら、これが一番いやだったとガラリアにこぼしたのである。要するに、ここの軍隊に所属しようとする者への、先輩からの荒っぽい歓迎式なのだが、こういう意味不明な伝統は、地上の日本で、古い大学や高校の部活の新歓でも、よく見られるものである。

 ガラリアの番が来た。ピンク色の平服は、背が伸び、胸はもう大きくふくらんだ16歳のガラリアの体にぴったり沿い、プロポーションのラインを色っぽく引き立てていた。その姿が部屋に入るやいなや、男たちはヒョオー!とかオオオー!とか叫び狂って、次々に下品なヤジが飛んできた。

「女だ!女だぜ!おおおこっち来い!俺がかわいがってやる!」

「騎馬戦なんかできるのかよぉ!俺の上にならまたがってもいいぜぇ!」

「剣は使えるのかぁ?!こっちの剣は好きかぁ?!」

<剣>とは、バイストン・ウェルの隠語で、男性器を指す。女性器は、<花>である。

ガラリアは、(なんだこれは…)と、怒るより、呆れていた。士官学校で、上級生になった頃から、もう、ガラリアをいじめる者はいなくなっていた。かつてガラリアを嘲った男子生徒たちは、次々と落第し、正規軍に入れる者は少数の優秀者だけだった。だから、ガラリアはもう、いじめを恐れるふうではなかったし、父の罪を口にされることも、稀少になっていた。

ただ、ガラリアが親しく話せる者は、バーンしかいなかった。

 ミズルが、

「ガラリア・ニャムヒー、16歳。士官学校を主席で卒業。」

と紹介すると、また、

「じゅうろくかぁぁぁぁ〜!まだ男知らないだろ!」

「俺が手取り足取り教えてやるぜぇぇぇ」

などと、ヤジが飛んだが、ミズルもバーンも、いつものことなので、ため息まじりにガラリアを見つつ、(すまんなー)という顔をしていた。バーンが、

「この者、入団を認めるや否や!」

と言うと、さらに罵声は激化し、酔った男が数人、ヘラヘラ笑いながらガラリアに襲い掛かってきた。バーンが、おいこら1人づつだ、などと制しても、誰も聞かない。

ガラリアは、(なんだかなあ…)と眉間に皺をよせながら、

「ハッ!」「ヤッ!」

と威勢良く男どもをかわし、投げ飛ばした。大柄な男には、どてっぱらに、グーをおみまいしてやった。その姿は、彼女の幼少時からすれば、大勢の男たちを相手に、ひるまず、戦えるように成長したガラリアであった。すると、見ていた先輩たちは、とたんに機嫌よく、

「おーーーーーーーーーーーーーーーーーう」

と感嘆の声をあげ、次には、やんやと拍手し、殴られた男でさえ、ひゃーこいつはすげえや、などと笑い、皆が

「入団を認めるぞー!」

と喝采した。ガラリアはぽかんとして、はぁ、そうですか、ありがとう御座います、と礼をした。

 士官学校とこことでは、随分雰囲気が違うんだな、とガラリアは思った。学校ならば、まだ子供である生徒の上に、絶対的に強い存在である先生がおり、学校生活には上品さを基調とした規律があった。それに対して、正規軍は、各人が大人として対等であった。上官への礼は当然厳しく求められるが、下克上の風潮とドレイクの実力本位主義から、いつ後輩に追い抜かれるかわからない緊張感も、あった。学資金がなければ入学できない士官学校と違い、正規軍では、階級に応じた給与が出るのである。一人前の大人としての自由を認められると同時に、各人の責任が重い、という、要するに、ガラリアは学生時代から、実社会へと旅立ったのだった。




 屋外の広場で、宴会が夜通しひらかれていた。儀礼式が済んだ先輩たちと新入兵と、一緒に無礼講で飲む軍幹部たち。給仕する大勢の召使、飛び交うミ・フェラリオたちの彩りがまぶしい。食い散らかされたご馳走や、転がる酒瓶、歌い踊る人々でごったがえす中、ガラリアは何人かの男どもに飲まされたり、からまれたりしながら、そんなに悪い気はしていなかった。青年たちが、対等に接してくれることと、それを上手くかわせる自分が、大人になったのだと感じていたから。

グラスを片手に持ったバーンが歩み寄ってきて、

「どうだ?酒は飲めるようになったか?」

「酒くらい、飲めるとも。もうすぐ17だぞ。」

ところで、バーンは、士官学校へは家から通学していたが、今は、城内の個室に住んでいた。バーンの父親は、ミズルが騎士団長になる以前にその任に就いていたが、老齢から今は隠居していた。バーン・バニングスは、父が40代にして初めて授かった1人息子であったので、溺愛し、また、騎士道を厳しく教えた。バーンは、自分を高齢出産した母は、最近病気がちであり、心配だとガラリアに話した。ガラリアは亡き母を思い出し、バーンの心痛を察したが、それを言葉にしようとした時、黒髪の男性が近づいてきたので、2人とも彼に向き直った。

アトラスは、閲兵式から気になっていたガラリアを探していたのだ。

「お2人の邪魔をしましたかな?」

「いいえ、そのような。」と、ガラリアとバーンは同時に言った。

2人並んで同じ言葉を口にする彼らは、仲がよいらしい、とアトラスはわかった。

「バーン殿、こちらの女性を、わたしにご紹介願えますか?」

ガラリアは、アトラスが自分のことを<女性>と言ったことに驚いた。10も年上の高官が、ちっとも自分を見下さず、礼儀正しい言葉使いをする。バーンも、この方は厳格な騎士道精神を持っているなぁ、わたしも見習わなければ、と感心した。

「アトラス殿、これは、わたくしめの士官学校の後輩で、名はガラリア・ニャムヒーと申します。」

ガラリアは緊張しながら、あ、私、お酒で顔が赤くなってないかな、髪は乱れてないかな、と見栄えを気にして敬礼した。

「ガラリア殿か。いい御名だ。あなたのことを、閲兵式の時にお見受けして、お話したいと思っておりましたよ。」

また、ガラリアは激しく驚いた。<あなた>だなんて。今まで呼ばれてきた二人称は、「お前」とか、いじめられる時は「てめえ」とか、初めて紳士的に接してくれたバーンですら、「君」だったのに。しかも私を見とめて、話したかったなんて。

呆然として言葉が出ないガラリアを、バーンがひじでコンコンとつつき、(お問いかけに答えんか)と促した。その様子が、2人の親睦の深さをますます表現した。

「あ、ありがとう御座います。式でのお話には、あの、たいへん感動いたしました。」

「どういうふうに、感じられましたか?」

「その、初心を忘れず、自己の、精神との闘いが、肝要であると、教わりました。」

「それがおわかりになるあなたは、今までもご自分の内なる葛藤と闘ってこられた方なのでしょうね。お若いのに、ご立派なことです」

バーンにはちんぷんかんぷんな会話だった。式でアトラスが語った内容もよくわからなかったし、今、ガラリアがそれをわかっている人だとアトラスが言ったのも、どういう意味だかさっぱり理解できなかった。千人の軍勢と戦うよりも自分と闘う方が難しいだと?そんなことあるか。わたしは常に一本道を迷わず歩いてきて、この先も迷うことなどない。闘う相手は他者である敵しかいないだろうが?敵を倒せばそれで満足するのが騎士だ。と、何不自由なく育ったお坊ちゃんで、内省思索不足のバーンは考えていた。

 ガラリアはといえば、感激のあまり、全身の白い肌が朱鷺色に紅潮していた。赤らめた頬をしなやかな手指でおさえて、長い睫毛をパチパチ開けたり閉じたりしているガラリアを見て、アトラスは、長い孤独に耐えてきたとおぼしい、この初々しい少女が、磨かれざる珠と見とめた。

なんとすがすがしい美しさであろうか。大人の女性になれば、もっと美しくなるに違いない。まだ処女であることは、見ればすぐわかった。おそらく口づけすら経験ないであろう。

恋であった。ガラリアを、自分の恋人にしたいと思った。思慮深いアトラスをして、この気持ちは抑えがたいものになった。

別段、立場上、付き合ってはいけない身分ではない。だが、アトラスは、自分を高揚した眼差しで見るガラリアを、戸惑った表情で、横目でチラチラ見ながらさかんに気にしているバーンを気遣ったのだった。男には男の気持ちはわかるものである。この2人は幼馴染みで、恋とはお互い気づかずに、これまで一緒にいることが当たり前のように感じてきたのだろう。

アトラスとガラリアとバーンは、3人で、美酒を交わしながら談笑して2時間ほど過ごした。アトラスの語る、政治や軍略の話は、2人を感心させ、文学や哲学の話は、バーンにはよくわからず、ガラリアだけが喜んだ。様々な分野に及ぶアトラスの教養深さは、2人ともに、ますます畏敬の思いを強くさせた。

ガラリアにとっては、正規軍に入隊し、大人になった自分に喜び、2人の美男子に囲まれて過ごすこのひと時が、今までの人生で最高に幸せだと思っていた。酒は飲む人と飲ませる人との、人となりによって、美酒となるのである。

 されど、ガラリアの幸福と、また不幸も、これからもっと深まっていくことになる。「大人」になればなるほど。




 次の日、新しい個室のベッドで目覚めたガラリアは、身支度をしながら、あのお方はいつまでラース・ワウに滞在されるのだろうか、と考えていた。アトラスのことが、頭から離れない。あの方は戦士のお手本だ。私は見習って、今日から頑張って、あの方に認められるような指揮官にならなければ。そんな決意を胸に、朝礼に臨んだ。

ガラリアは…もうすぐ17歳になろうというのに、色恋についてはまるでうぶであった。それは、幼い頃から異性に侮辱されてきたこと、乱暴すらされそうになったことで、男への敵愾心が強くあり、色恋沙汰に自分が陥る状態を自覚しそうになると、意識して自分に歯止めをかけたからであった。バーンへの、14歳の時気づいたあの感情が、恋であるとは、信じたくなかった。つまり、綴り方の先生がおっしゃった「戸惑うことを恐れない人間」には、成っていなかったのである。

もうひとつ、ガラリアが性的に未熟になった原因として、同性の友人がいなかったことが大きい。女同士は、誰しもあけすけに、恋や、性的な知識について語り合い、けしかけさえするものであるが、そういう女友達が、ガラリアの周りには1人もいなかった。

セックスというものについての知識は、情報としてはもうわかっていたし、剣や花といった隠語も知ってはいた。しかし、未だに、ガラリアは、生理前に無性にオナニーがしたくなっても、シーツを噛んでまで我慢していた。ましてや、そんな時に、脳裏に、特定の男性…バ…が浮ぼうものなら、躍起になって、

(こんなこと、考えたら、自分がダメになる!)

と、考えないように鋭意努力した。

何故ダメになるのか。それは片思いだから。この辛い事実を認めたくないからだ。

そんな彼女は、自分が、現実に、キスしたり男に抱かれたりするなどという事態を、想像すらできずにいたのである。

 朝礼は、ミズルの号令下で行われ、バーンが取り仕切り、ドレイクの姿はない。馬屋に行き、各人の専用馬が与えられ、馬場で試乗していると、柵の向こうにアトラスがやってきて、バーンを呼んでいるのが見えた。ガラリアは、得意の馬術を見せようと、軽快に闊歩させた。

 バーンは栗毛の馬から降り、柵を過ぎてアトラスに歩み寄った。今朝、バーンは紺色の服の上に濃いピンク色の甲冑をまとった軍服姿で、アトラスはクの国風の長い丈の上着をひらめかせた平服だった。甲冑の擦れ合う音をたてながら、バーンはにこやかに隣国の大使に挨拶した。

その笑顔を見たアトラスは、どう切り出したものかと悩みつつ、馬上のガラリアに見とれた。オレンジ色の軍服に青い髪が鮮やかにきらめき、しなやかな身体が赤毛の馬の上で弾んでいる。なんと、かわいらしいのだ。慈しみたい。今すぐにでも抱き寄せたい。昨日出会ったばかりであっても、アトラスは自分の気持ちが強固であることを実感した。

バーンに向かって、今日は馬に乗るにはいい日よりですね、などと言いながら、決意を固めた。2人が並んで立つと、バーンよりアトラスの方が7、8センチ背が高い。上背のある騎士は、目線を下方に向け、青年の赤茶色の瞳をしっかり見据えた。騎士道にのっとり、彼には、きちんと尋ねなければなるまい。

「バーン殿、実は、折り入ってお話ししたき議がある。」

「は、なんでありましょうか。」

バーンは、改まって、自分に何の用事があるのだろう?と不思議に思った。

「貴公は、ガラリア殿のことを、どう思っておられるか?」

「はっ?!」

いきなり、何を言い出すのか?このお方は?ガラリアを?ガラリアなんて…どう思うって、改めて尋ねられると、なんとも答えられない自分がいた。

「どう思う…と?…彼女は、友人ではありますが…いや、なぜ、そのようなご質問をされるのですか?」

やはりな、とアトラスは思った。あまりにも近すぎて、幼い2人は、激しく求め合う愛欲には目覚めていないのだ。自分はもう充分に大人であるから、ガラリアの魅力を感じ、欲することに躊躇しないが、この、二十歳(はたち)前の、おそらく童貞である青年は、長年、妹のように連れそってきた彼女に手を出すまでには、情感が育っていないのだ。しかし、彼がまだ自分を、彼女の兄貴分だと思っているだけだとしても、アトラスには2人の間にある感情の交錯が見てとれた。正式に交際を申し込むためには、騎士は筋道として予め断らなければならない。

「ならば、バーン殿。」

アトラスの真意が理解できず、苦悶の表情を隠せないバーンに、きっぱり言うべきだ。

「わたしは、彼女に恋をした。だから告白して我がものにしたいのだが、貴公は構わないか?許してくれるか?」

現象学用語で<エポケー>という言葉がある。<判断停止>と翻訳される。一切の思考が全く動かなくなる状態を指す。この時バーン・バニングスはエポケーした。

 馬上のガラリアは、50メートルほど離れて立っている2人を見て、何を話しているのだろう?おや?バーンは硬直しているぞ。アトラス殿にお叱りを受けるようなヘマをしたのか、あいつ。などと思っていた。上官が、集合の号令をかけたので、ガラリアは振り返りながら2人から遠ざかった。

 口と瞳孔を開けたままで動かなくなったバーンの心中を察しながら、アトラスは男同士、同情はしなかった。バーンが拒否するのならば、決闘するのみである。それが当時のバイストン・ウェル社会の、女性をめぐる場合の騎士道であった。

ようやく我にかえったバーンは、自分から目線をそらさないアトラスを見て…そうか。やっとわかった。ガラリアは美しいのだ。このお方の心を射止めるほどに。自分は今まで気が付かなかった。そんな自分には、許してくれるかと聞かれて、許さないと言う資格はないではないか。

「もとより…アトラス殿が思われることに…わたしは異議を言う立場では、ありません。」

「では、構わぬのだな。わたしが彼女と褥を供にしても。」

し、し、しとね?!バーンはめまいがした。実際、バーンは身近な2つ年下のガラリアをおかずにして<剣を磨いた>ことは何度かあったのだが、他にもおかずにした女性は大勢いたので、ガラリアだけを特に欲したことはなかった。この頃、バーンの性向は18歳くらいの男子には広く見られる、年上の女性へ向けられることが多かったので、拙い女の子とばかり思っていたガラリアを、自分よりはるかに目上の男性が、<抱く!>ときっぱり言うのを聞いて…

この人には、かなわない。と悟った。深いため息とともに。

「…ガラリアも、あなたを好いておりましょう。きっと…」

「ありがとう、バーン・バニングス殿。では、これにて。」

 男同士でこんな対話がされていたとは夢にも知らないガラリアは、昼食を一緒にしましょうというアトラスの誘いに有頂天になった。1人でなにやら煩悶しているバーンを見つけて、バーンもアトラス殿と一緒に、と無邪気に言ったら、バーンは、用事があるから、と去って行った。その後ろ姿が、これまで一度もガラリアに見せたことのない寂しさを表していることなど、ガラリアは気づかない。見てなかったから。




 テラスにしつらえたテーブルセットに、ガラリアとアトラスは向かい合って腰掛け、肉料理やサラダ、パンに、白ワインで昼食を一緒にした。やや緊張したガラリアは、ピンク色の平服に青い髪がよく映えて、白い肌が陽光にまぶしくきらめいた。アトラスは、ガラリアに誕生日はいつか、と尋ねた。ガラリアが、明後日です、と答えると、

「では、ドレイク閣下にお願いして、それまでここにいさせてもらうとしよう。誕生日がもうすぐとは、丁度よかった。あなたに何か差し上げたいのだ」

誕生日を祝ってくれた異性は今までいなかった。ガラリアは嬉しかったが、ここまで話が進むと、なぜ、私に、こんなにまで親切にするのか?と疑念がわいた。私はまだ下士官だし、昨日出会ったばかりだし、アトラス殿が、どうしてこんなにも自分に興味を示しているのか、わからない。ガラリアは、まだ、自分が男に対して使える「武器」に全く気づいていなかった。それどころか、自分が今、アトラスに恋し始めていることにすら、気がつかない。

 戸惑っている、あどけないガラリアを見て、アトラスは、このうぶな少女の心を開かせるには、どうしようか、などと悩まない。こういう状態の女性を自分に向けさせるために必要なものが何であるか、ちゃんと知っていた。相変わらず静かな口調のまま、アトラスは言った。

「ガラリア。ガラリアって呼んでいいかい?」

「え、あ、はい、もちろんです。」

「ガラリアもわたしのことを、アトラスと呼んでほしいな」

「そのような…失礼ではないでしょうか?」

「わたしたちは、もう友人じゃないか。」

「え?…あ、はい、ありがとう、御座います」

ガラリアは、友人と言われて、それはバーンと自分のように気安く呼び合う仲になるという意味だとしか捉えなかった。しかし、アトラスは間髪置かずに言った。

「わたしはガラリアが、好きなのだよ。」

「はい。………………………えっ」

恋も男も知らない処女を口説くために必要なもの。それは直球ストレートな言葉である。

「…?」

言われている意味がわからなくて、小首をかしげているガラリアへ、アトラスの直球が連発した。

「昨日会って、話して、ガラリアのことが、たまらなく好きになってしまったのだ。昨夜はあなたのことを考えて眠れなかった。会いたくて、二人きりで話したくて、矢も立てもたまらず飛んできたのだよ。」

エポケー2号が出た。ガラリアは口と瞳孔を開けたまま動かなくなった。アトラスは、硬直したガラリアの手からワイングラスが倒れないように、両手で包んだ。初めて、優しく触れられた男性のぬくもりによって目が覚めたガラリアは、事の重大さに気がつき、震え始めた。声が出ない。目の前で自分をじっと見つめるアトラスの顔が、現実に存在する人間だとさえ思えない。なにか、妙な夢でも見ているに違いない。

 アトラスは2人が手を握り合うために邪魔なワイングラスをつい、とよけて、ガラリアの左手を、両手で包んだ。少し強く握った。ガラリアは左手を取られたので、逃げるように右半身を後方にそらしたが、顔はアトラスに向けたままだった。拒否するでもなく受け入れるでもなく、自分が何やってんだかわからない状態である。

「かわいい。」

アトラスの直球はまだ続く。

「あなたは美しいのだ。身も心も、美しい。わたしは、ガラリア、あなたに恋しているんだ。」

ようやく、少々だが自分の身体機能の制御が可能になったガラリアは、ふるふると、首を横にふった。声はまだ出ないので、これは「いや、いや、だめ、だめ」と言ってるつもりだった。そのそぶりを見て、ますます、抱きしめて慈しみたいという欲求が大きくなるアトラス。

「ガラリアは、わたしのことを、好きではないのか?」

わかってて言うのである。ガラリアは、ふるふると首を横にふり、「そうではないです」と言ってるつもり。ますます、かわいくてたまらなくなるアトラス。

「では、わたしの恋人になってくれるか?」

(こいびと?恋人?私がアトラスの恋人?恋する人と書いて恋人。ということは私はアトラスに恋してる?恋?恋ってなんだっけ?恋したことあったっけ?今は?あ、手を握られている。握っているのは、アトラス。アトラスが私に、恋人になってくれと言った。)

 ガラリアの脳内で、これらの自問自答がぐるぐる回っている間、アトラスは優しい微笑みを浮かべて彼女のうるんだ瞳を見つめていたが、ゆっくり、握った手を離した。熱い手のひらを解放され、汗に風があたってヒヤッとして、ガラリアは、我に帰った。何か言わなければ。桃色の唇が開いた。

「わ、私…そんな…あの…」

アトラスはガラリアの返答を待たず、席を立って、さわやかに、

「考えておいてくれたまえ!わたしはここには長く滞在できないからね」

とだけ言い放ち、ガラリアを置いてその場を去った。残されたガラリアが立ち上がれる状態になるまで、ガラリアには何時間も経ったように感じられたが、実際には10分くらいだった。




 アトラスは決して、遊びでガラリアに手を出しているわけではない。彼の気持ちは純粋であり、出会ったガラリアの、美しさと聡明さに、心から惹かれていた。さっき、ガラリアの返答を待たずに去ったのは、即答を迫っても、今の彼女には無理だとわかっていたからである。自分の気持ちは充分伝えた。まずはここまで。この先はガラリア自身に決めてもらう。

恋愛の機知も、女心も知った上で、女性への礼節をも重んじるアトラスらしい攻め方である。

その効果は絶大だった。午後、ガラリアは他の兵たちと、広い会議室で、騎士団長ミズルから、様々な軍事上の説明を聞いていた。バイストン・ウェル全体の情勢、他国の細かい分析、アの国の状態、その中で我らドレイク軍がなすべき…

 ミズルは、喋りながら、自分の話を、右の耳から左の耳へ通過させているふとどき者が、2人もいるのを発見した。しかもその2人とも、士官学校を主席で卒業した2人。男の方は自分の副官だし、女の方は昔の想い人の娘ではないか。この2人が、2人とも、呆けた顔をだらしなく傾けている。ミズルは、机を、両手でガン!!と叩いて

「重要事項を話しとるのだ!!」

と大声で怒鳴った。2人以外全員は、何事かと思い、2人は音声の衝撃でビクッと我に帰った。士官学校時代にも、決して声を荒らげたことのないミズルだったので、耳通過2人組(別名エポケー1号2号)は、非常に恥ずかしく、しょんぼりしてしまい、以後はしっかりミズルの話を聞くように努力した。

 ミズルに叱られて覚醒したガラリアは、軍議中にボーッとしてしまっていた不心得者は、自分だけだと思っていたが、バーンは、ガラリアも様子がおかしいことに気づいた。

そうか…アトラス殿は、もう、告白したらしい。告白されたガラリアはどうなのだろう?彼を受け入れるのか?受け入れる…ガラリアがアトラスに…抱かれる…今、隣の席にいるガラリアを見ながら、彼女の、服から覗く肌の白さや、形のいい乳房や、しなやかに引き締まったウエストや、キュッと盛り上がった小さなお尻の曲線や、ふっくらした太もも…これが裸にされて…あの桃色の唇にアトラスの開いた口があてがわれて、彼の手が、彼女のあんなところやこんなところに触れられて…ガラリアはどんなふうに鳴くのか…どんなふうに…

(ああいかんいかん!軍議中だ!わたしは軍の副官だ!何を考えてるバーン・バニングス!しっかりせい!)

と、なんとか、ミズルの方を注視することに専念させた。が、しかし、軍議が終了すると、逃げるようにガラリアから離れ、1人城外の林に来た。腕組みし、考え込んだ。

「そもそも。何がいけないかと言えば、だ。」

バーンは、自分が今置かれている精神状態を改善するための方策として、こんな結論を出した。

「わたしともあろう者が、未だに、」

その結論は、

「女を知らぬから、いかんのだ。」

現実逃避という言葉をバーンは知らないらしい。

「ニグ・ロウ!」

この頃から、バーンは自分専用の間諜として、ガロウ・ランのニグ・ロウを雇っていた。ニグ・ロウは、呼ばれたと同時に、そこにいた。バーンは、金のためならどんな命令にも忠実なニグ・ロウに、両親や、ドレイクやミズルら上官にも内密な、種々の私事を申し付ける事に慣れていた。バーンは、なんの恥ずかしげもなく、命令する。

「適当な女を探せ。内々に逢瀬できる女だ」

ニグ・ロウは、主人の言わんとする事をすぐ悟る。

「どのような女がよろしいでしょう?年齢など。」

バーンの身分では、城下の娼館に出入りするわけにはいかず、かといって平民の娘に手をつければ、それは娘と家族にとって<玉の輿の愛人>という公の事態になり、父が許さない。城付きの娼婦に手を出せば、たちまち城内に知れわたり、バーンの硬派なイメージ(自分で思ってるだけ)が崩れる。だから、今まで、自分から特に1人の女性に激しく恋したことのなかったバーンは、セックスする機会がなく18歳の今日に至っていた。

勿論、幼かったガラリアをして、胸ときめかせたほどの美男子バーンであるから、城下でも城内でも、彼に恋する娘たちは大勢おり、恋文が届くことも多々あったので、自分はモテるという事実は充分自覚していた、というか、増長していた。であるから、<わたしともあろう者が>などという台詞が臆面もなく出るのである。

「年は、そうだな。25歳以上35歳未満だ。容姿は美しいに越したことはないが、豊満なのがよい。胸は大きめで。」

この頃、バーンは年上フェチで巨乳フェチだった。だからどうしたと、突っ込む気力も体力も筆者にはない。硬貨を指でピンッとはじいて投げ、ニグ・ロウはそれを受け取ると、疾風のように走り去った。




ガラリアたちがミズルに叱られていた頃、アトラスはドレイクと会談していた。

「では、アトラス殿。クの国に大事ありとの急報を聞きましたなら、我が軍は、はせ参じましょう。無論。」

と、ドレイクはここで言葉を切り、アトラスを凝視した。アトラスは即座に答えた。

「ドレイク閣下のお求めがありましたなら、我がク王室は、敵がやんごとなき愚王でありましても、ためらうはずは、御座いません。」

落ち着き、静かな口調だがはっきりと言い放つアトラスの返答に、ドレイクは、打てば響くこの男は、切れ者であるな、と感嘆する一方で、敵に回したら厄介であることも悟った。アトラスは口にしなかったが、ドレイクの耳には、ク王室内の問題についての情報は既に入っていた。この切れ者が仕えている兄王より、王座を狙っている王弟ビショットが王になった方が、操りやすいであろう。と、ドレイクは姦計した。乱世にあっては、優れている人間が生き残れるわけではないのだ。アトラスはドレイクをして、憂慮させるほど、賢者であるという不幸を背負ってしまっていた。

 もう1人、ドレイクの知らぬ所で、ビショットの王座を望み、策略する者が、いた。ドレイクの妻にして、リムルの母、ルーザ・ルフトである。

 ドレイクのもとを下がり、アトラスは、愛しい少女を探した。

ガラリアは、休憩時間を、よく知らない城内を探検することに費やしながら、まだ熱い左手を、右手でさすっていた。図書室を見つけた。誰もいないようだ。広い室内に、天井まで作りつけの本棚が幾層も並び、窓際には木で縁取られたビロードの豪奢な長椅子がたくさんある。本棚の間を歩きながら、地上とバイストン・ウェルとの関係について書かれた本のコーナーで立ち止まり、一冊を手にとった。

タイトルは『聖戦士』。オーラ・ロードが開かれ、地上人がバイストン・ウェルに光臨した際、絶大なオーラ力を持つ聖戦士となる。オーラ・ロードを開く力を持つ者は、エ・フェラリオの内でも少数である。学校の教科書で習った内容が、この本にはもっと詳しく書いてあるみたいだ。地上ってどんな所なのだろう。聖戦士か、私にはオーラ力はどれくらいあるのだろう。その本を持って長椅子に腰掛け、ガラリアは深いため息をついた。

アトラスが私を恋人にしたいだなんて…私は、男の人とそういう仲になる事自体、考えたこともなかったのに。しかし、彼は素敵な人だ。私は…心惹かれている。その人の方から告白されて、喜んでいる。初めて、あんな率直な、愛の言葉を言われて、初めて、手を握られて、今も体の芯が熱くほてっている。この感じ…男性に心惹かれて、自分の心と、体が揺り動かされる感じ。そうか、そうだったのか。これが、恋をするという感じなのだ。

ガラリアの脳裏に、14歳のある夜、自分の心体に起こった劇的な出来事が蘇った。

「今、わかった。私は、あの頃から、バーンに恋をしていたのだな。」

 アトラスによって、ガラリアは初めて、自分の初恋の相手が誰であったのか、ようやく悟ったのだった。そして今現在は、27歳の素晴らしい好男子を、愛し、愛されているという、今まで想像だにできなかった、女としての至福の只中に在る自分に、戸惑っていた。眼前にある、おびただしい数の書籍を眺めて、綴り方の先生の言葉を思い出した。

<戸惑いを恐れない人間になれ>

恐れずに、飛び込んでいいのか?彼の愛に、応えていいのか?でも、でも、そうしたら、どうなるのだ。男性は、好きな女性に、ああゆうことを、するのだろう?ガラリアは、12歳の時、平民の少年らに、胸や股を触られたことを思い出した。あの時は、恐怖と屈辱感しか感じなかった。しかし、アトラスに手を握られた時には、全身が浮遊するような快感を覚えた。

「自分が好きな相手であったら、体を触れ合うことは…しても、いいのか?…今までは忌み嫌っていたけど…今の私は…」

と、その時。図書室の大きな扉が開かれ、背の高い、クの国の服を着た、ガラリアの想い人が入って来た。ガラリアは、喜びに脈うつ全身の高揚に怯え、手から本がバサリと落ちた。

「探したよ、ガラリア。あなたは勉強好きだから、こういう場所にいると思いついて、来たのだ。ああ、会いたかった!」

足早に歩いて、アトラスはガラリアの右隣に腰掛けた。ガラリアは、憂いをたたえた瞳を、真横にいる恋しい男性に向けて、悲しげに眉をよせた。好きだ。私はこの人が好きだ。どうして、こんなにもときめく出来事が起こるのだ。どうして、こんなにも心震える人に出会ってしまったのだろう!

 アトラスは床の本を拾い、ガラリアに手渡した。ガラリアは受け取って、膝の上に置き、両手を本にのせた。そして、昼食の時より、はっきりした口調で彼の名を呼んだ。

「アトラス。」

「うん、ガラリア。」

アトラス殿、ではなく、アトラスと呼んだ彼女に、彼は、昼食以来今まで、彼女の思いが千路に乱れ、そして、ある程度の結論を導き出していることが感じられた。ガラリアは彼の目をしっかり見据えて言った。

「私は、これまで、男の方と、お付き合いしたことは、ないのです。」

「そうなのか。それで?」

「あなたのような男性から、求められて、どう応えたらいいか、迷っているのです。」

「わたしのような、10も年上の男は、ガラリアから見たら、おじさんなのかなぁ」

余裕のある笑みを浮かべながら、アトラスは、ガラリアが背もたれにしている長椅子の縁に左手を回した。ガラリアは、アトラスの飄々とした言い方に、緊張がほぐれて、笑った。

「おじさんだなんて。そんなことは、全然ないじゃないか!」

と、思わずタメ口をきいてしまって、ガラリアが、あ、いかん、と言い直そうとしたら、アトラスが

「いいなぁ。そういう元気なガラリアが好きだよ。じゃあ、わたしのことは、気に入ってくれているのだね?」

「あ…」

心臓の鼓動が激しくなった。自分から、好きな人に、好きだ、と言おうとしている自分に、戸惑った。戸惑って、恐れよりも、もっと、強い感情が沸き起こった。アトラスは笑みを消し、真剣な表情をして、ガラリアを見つめ、静かに言った。

「ガラリア。好きだ。もう抑えられない。あなたは、」

と、悲しげに眉間に皺をよせ、

「あなたは、わたしを愛してはくれないのか?」

ガラリアは、今にも泣きそうに顔がくしゃくしゃになり、眉をよせ、目を大きく開き、唇を動かした。

「アトラス。私、私は、」

死ぬ時には心臓が止まるが、鼓動の激しさで心臓が破裂したら、それでも人は死ぬのだろうか。そうだとしたら、今私は死にそうだ。

「私は、あなたが、」

視線を彼からはずし、うつむき、

「す、」

そしてまた彼の目を見て、

「好き…」

言ってしまった!とうとう言ってしまった!どうなるのだ?自分は?するとアトラスは、急に椅子から立って、ガラリアの足元にひざま付いた。なに?なんで臣下みたいに?

「ガラリア、嬉しいよ。あなたは受け入れてくれるのだね」

と、アトラスは、本の上に置かれたガラリアの右手を左手でとり、うやうやしく、その白い手の甲にキスをした。

「あぁっ」

彼の濡れた唇を手の甲に感じ、処女は思わず、小さなあえぎ声を発してしまった。アトラスの仕草は、騎士が、身分の高い女性に対してする敬愛の表現だった。手の甲に軽く口づけされただけで、処女の花からは熱い蜜が流れ出ていた。ガラリアは、極度に感じやすく、濡れやすい体質だったのだ。接触に敏感であればあるほど、未だ体験したことのない性的な喜びを恐れていたのだった。

 アトラスは、ビクビクと震えて、顔は勿論、軽く持っている右手の指先まで、朱鷺色に紅潮させている彼女が、抱いたら、どれほどいとおしい姿になるのか、と、激しい欲情に駆られた。右手を持ったまま立ち上がって、ガラリアにも立つように促した。ガラリアは、左手で膝の本を椅子に置き、立った。

正午頃、告白して、今は夕刻である。早すぎやしないか?とアトラスは少し躊躇したが、明後日の朝には帰国しなければならないのだ。激情は抑えられなかった。

「こちらへ…おいで」

と、アトラスは外から見られる窓際から、奥の、本棚の陰に歩いて行った。ガラリアは、彼が何を考えているのか、大体想像ついたのだが、拒否も享受も示せず、右手を引かれるままついて行った。本棚と本棚の間に向かい合って立つ2人。ガラリアの背丈は、アトラスの肩までくらいであった。

「ガラリア…」

持っている右手を、自分の方へ引き寄せた。ガラリアは、やっぱり!と怯えて、

「あっ!あっ」

と言いながら、されるがままだった。アトラスは、16歳のガラリアをその胸に抱き寄せた。ガラリアは、アトラスの広い胸板に、左手を突っ張って抵抗してみたが、その力には、儀礼式で数人の男たちを殴り飛ばした腕力は少しも発揮されてない。とうとう、アトラスは、小鳥のような少女を両腕でギュッと抱きしめた。

「あぁっ!だめ!アトラス」

ガラリアはそう言いながら、もう全身の力がへなへなとぬけていた。初めて抱きしめられた、男性の胸は、温かく、ショートカットにした青い髪がかかる彼女のこめかみに当たる彼の顎は硬く、髭の剃り跡の男臭さが新鮮で、背中を抱いている両腕は力強くも優しかった。ハァ、ハァ、と息が乱れる。ぴったり付いた自分の乳房を通して、脈打つ動機が彼にもわかる。

アトラスは抱きしめて改めて、彼女の体の凹凸を知り、肌の香りを嗅ぎ、もう何もかも奪わずにはいられないと思った。両手で彼女の背中から肩から優しくなでさすり、右手で、うつむいている彼女の頬を触り、顔を自分へ向けさせた。薄緑色の少女の瞳と、済んだ青色の男の瞳が見つめ合った。

ガラリアは、異性にこんなふうに抱かれる感じが、ドキドキすると共に、かくも暖かく優しい気持ちになることに驚いていた。物心ついた時、父はいなかった。4、5歳の頃、ミズルに「大きくなったなあ」とだっこされたきり、母以外の人間に抱かれたことはなかったのである。ガラリアは、恋愛感情によって異性と抱き合い、ぼうっとなる快感に酔いしれた。しかし…今、抱擁されていて、<その先>は…

眼前の彼の表情に、あるもの、を感じた。それは、男の、性欲と呼ばれるもの。アトラスは…私の処女を奪おうと思っている!女にはそれが本能的に直感できるものだ。自分がセックスする?自分の手で触ることにすら抵抗をおぼえている、あんなことをされる?恐怖がガラリアを襲った。

改めて、ガラリアは本格的に抵抗し始めた。バタバタともがき、彼の腕から逃れようと頑張ってみたが、力強い男の腕はそれを許さなかった。それでもなおガラリアはアトラスの胸元から逃げ出そうとした。

「いやっ!!」

叫んだ。彼は、私の、唇を奪って、それから褥を迫るつもりだ。怖い!そんなこと!

「放して!いやっ!」

「ああ、ガラリア、ガラリア、そんな…どうか、わかってくれ」

アトラスも、焦っていた。ガラリアがいくら処女だとはいえ、抱きしめただけでこれほど怖がるとは、いくらなんでも、未成熟すぎる。16、7歳にもなれば、早い者なら結婚もするし、バイストン・ウェルでは、王の娘クラスの身分でなければ、婚前交渉は当たり前の風潮だった。平民も、騎士も、領主の娘でさえ、恋人ができれば、抱き合い、キスして、体を求め合うのが自然な感情だった。但し、騎士クラスより上の身分で、密通ではなく正式に交際を申し込む場合には、アトラスがバーンにしたような儀礼が求められた。それだけ、彼は真剣であった。

しかし、ガラリアは自分のことを確かに好きなのに、男の荒い息遣いを感じただけで、ここまで拒否反応を示す。それは、アトラスには、いかにこの少女が、男という存在に惑わされてきたか…どれほど辛い思い出があるのか…好きな男に素直に飛び込めないほどの、悲壮感と孤独にさいなまれてきた彼女の、深い悲しみがわかった。わかればわかるほど、一層、この可哀想な、愛しい女性を、救ってあげたいと思った。

「ガラリア、わたしは真剣にあなたが好きなんだよ。決して、軽い気持ちではないし、あなたを傷つけるつもりでは、ないのだ」

「うそ!いやらしいことをするんだ!放せ!」

「そんな…愛してるから、好きだから、あなたを、ほしいのだよ。あなたが大切にしているものを、わたしが大切にしてあげたいのだ」

「わからない!!」

と叫んで、ガラリアはアトラスを振り切って、走り去った。アトラスも、放すしかなかった。図書室の扉をぶつかるように開けて、ガラリアは屋外へ走り去った。図書室には、がっくりと肩を落としたアトラスと、長椅子に置かれた本『聖戦士』だけが、寂しく残された。




 ラース・ワウ城内で、食事をする場合、下士官は有料の大食堂に行くか、時間があれば城下の店に行くかであった。上官になると、個室の他に専用の食堂が与えられ、好きな物を注文できて、給与に食費込みである。ガラリアは、とぼとぼと歩いて、大食堂の台所に入り、果物だけくれ、と言って硬貨を置いて自室に帰った。

 ベッドに腰掛けて、赤い果実を手にし、前の棚に置いてある、ミニアチュール(小肖像画)に目をやった。楕円形の額縁の中には、青い長い髪をたなびかせ、赤子のガラリアを抱いた母の姿が描かれていた。ガラリア誕生の際、まだ罪を犯す前の父が、画家に描かせたもので、ガラリアの手元にある、唯一の母の形見であった。幸福な笑みを浮かべた母の顔。

お母様…私は間違っていますか。あの人が、真面目に言ってくれていることは、わかります。でも、怖いのです。自分が、変わってしまうことが、怖いのです。「そういうこと」をしてしまったら、処女でなくなるというだけではなく、他の何かを失ってしまいそうで、それがなんなのかわからないのです。

 果実をかじって、すっぱいな、と思った。あまり熟れてない。熟れたらもっとおいしいのに。熟れたら、か。ふふ、と笑いがこみあげた。自分は早朝に生まれたのだと母から聞いた。明後日の夜が明ける頃には、17歳になる。来年には、18。その次は19…私は、異性からいじめられてきたけど、男に生まれたかったと思ったことはない。

戦士を目指す際、性別によって差別されることのない世界では、性差は、別段、ガラリアのコンプレックスにはなっていなかった。学校の行き届いた栄養と、武術によって鍛え上げられた自分の体は、年毎に成長している。胸が大きくなってきて、プロポーションが整ってきたことに、大人になっていく自信を感じた。また、女性の騎士として頭角を現した自分に対する周りの好評も、彼女に、女としても自信を持たせた。

この自信はガラリアにとって幸運であり、その幸運は、彼女自身が努力し、手に入れたものである。

アトラスを受け入れたとして、なにか?なにかが?変わるとしたら、それは体が変わるというだけだろうか。それを経験すると「女になる」とよく人は言うけど、それは身体の変化だけを指すのだろうか。

 ガラリアの、こうした逡巡は、まさしく、処女性のなすものである。自分が「処女」であることを思い巡らすようになる時、それは、「少女」が恋に落ちた時である。

 果実を食べ終わり、ガラリアは浴室に入った。湯船の中で白い石鹸を泡立てて、体を洗いながら、自分の体を、改めてじっくり眺めた。

乳首の色形は、ヘンじゃないだろうか。うっすらと生えている腋毛は、剃った方がいいだろうか。陰毛は、これは、濃い方なのだろうか、薄い方なのだろうか。ハッ!私ったら、<準備>を考えているじゃないか!やる気か…自分。ああ、でも、もし押し倒されて脱がされた時、彼がガッカリしたら、どうしよう!とりあえず腋毛は剃っておこう!

筆者は、もういいから、とっととやっちまえよお前ら!とさっきから突っ込みまくりだが、もう少し処女さんの逡巡に付き合ってみるとする。

 浴室から出て、ガラリアは鏡に映る自分の裸体を、前から見た場合、後ろから見た場合、両腕を上げた場合、片手を上げて横から見た場合、と、丹念にチェックした。

きれいかな?彼は見てどう思うかな?としながらも、また、やる気か…自分。と自問自答する。

 サーモンピンクのキャミソールとパンティーを着て、ベッドに横たわり、まだ寝るには早かったが、灯りを消した。

<注:この頃、まだ電気は、バイストン・ウェルにはないので、灯りは、蝋燭と行灯>

布団にくるまって、ガラリアは、図書室でアトラスに抱きしめられた感じを、詳細に思い巡らした。あの感じ…まだ体がぼうっと火照っている。抱きしめられて、それから、彼は、私にああゆうことをしたいと思っている。何を?どうする?ガラリアは、口と口でキスする感じを想像してみた。指で、自分の唇を押してみた。やわらかい…手の甲にキスされた彼のあの濡れた唇が私の唇に…それから…と、生地の上から、自分の乳房を押さえるようにそっと触れてみた。

「あんっ」

すごく気持ちいい…直に触れたら、と、キャミソールの中に手を入れて、乳首に指でそっと触ると、

「ああっ」

これはただ事ではないな、とガラリアは自分の敏感さを改めて自覚した。指でちょん、としただけでこれだ。男の人って、私のここを…なめたりするのだろう?死ぬんじゃないかなー!気持ちよすぎて。気持ちいい?気持ちいいことって、してはいけないことか?怖いことか?

 でもでも。あそこは、どうなの?剣を花に入れるんだろう?入るのか、あんな小さい所に。剣って、その時には大きくなって硬くなるらしいが、どれほどの大きさと硬さなのか。ガラリアは、トイレの紙で拭く時やお風呂で洗う時以外に触ったことのない、自分の花に、初めてオナニーで触った。お風呂で洗う時ですら、何かいけないみたいな感覚で、そこだけは急いで、あまり触らないように洗っていたガラリアだった。パンティーの上から、すうっと、上部から下部へなぞってみたら。

「キャァッ!」

死ぬ。これは、死ぬぞ私。気持ちよすぎ。自分で触っただけで悲鳴が出たぞ。だいたいが、自分の花はどういう構造になっていたっけか?しげしげと眺めたことがない。ガラリアは、おもむろに起き上がり、蝋燭を灯し、ベッド横の棚の上にある、手鏡を取ろうとして、その隣に置いてある母の肖像画を、くるっと後ろ向きにした。見ないで下さい…これから私はとてつもなく恥ずかしいことをしようとしています…筆者は、ガラリアとは真逆の意味で書いてて恥ずかしいが、仕方ないですなァ。

 パンティーを脱いで、ガラリアはためらいながら、両足を開いて、手鏡で自分の花を、初めて見た。見る前には、恐ろしく恥ずかしい行為と思っていたが、見てみたら、理科の観察をする気分になった。

「なんだこれは。」

どこが<花>なんだ。こんな形の花はないぞ。花というより、ボンレスの顔みたいだ。ふたつの肉が両側に盛り上がっていて、縦に溝が走っている。溝の上端に、小さなふくらみがある。ここはなにかな?と思ってそうっと触ったら、

「キャー!」

なに?これ?どういうこと?すごい気持ちいいんだけど。このふくらみは、おしっこの出る所よりずっと上で、今まで何かの用途に使ったことはない。ガラリアの指は下へ移動していく。ここの辺りが、おしっこが出る部分。そして、この下が、生理の穴。ここに大きくなった剣が入る?そんなスペースがあるのか?ガラリアは、生理の穴が隠れていて見えないので、外側の果肉を2本の指で開いてみた。すると、内側にも、2本、薄い果肉があることがわかった。16歳まで、大陰唇と小陰唇があることを知らなかった。気づかないくらい、彼女の小陰唇は未発達で薄かった。どこ?どこに入れるのか?と内側の果肉も開いてみた。もう、そんなふうにしている時点で触れているのが快感でしょうがない。

「えっ?ここ?これ?」

閉ざされていた果肉の間に、小さな小さな閉じた穴があった。こんな小さいのに、どうやったら剣(大きさ不明)が入るのだ?その時には、女の花は、濡れて開くらしいが、濡れるのはよくわかるけど、今、指でやっとこれだけしか開かないここが、どうなるんだ一体。

 あぁ、とひと息ついて、ガラリアは手鏡を棚に戻し、蝋燭を消してまた布団に入った。

アトラス…と自分を抱こうとしている人の名を改めて呼んだ。

私は貴方が好きだ。好きだけど、私は、抱かれたら、もっと激しく貴方を求めてしまうようになるだろう。そうなんだ。怖いのは、一人の孤独に慣れてきた自分が、愛し愛される人を持つことによって、孤独に耐えられなくなることなのだ。恋人を持ち、処女を捨てれば、私は貴方なしでは生きられなくなる。

わかった…何かを失う、とは、ひとりぼっちではなくなる、ということなのだ。それは、喜ばしい幸福であると同時に、他者の存在によって自己の実存を確かめるという、常に不安で、息苦しい生き方に踏み出すという意味だ。

ガラリアは、今、自分が人生の岐路に立っていることを理解し、深い眠りについた。

夜がどんなに暗くても、朝(あした)は必ずやってくる。




 騎士団長ミズル・ズロムは、今日はボーッとしている者が多いな、なんぞ悪い病気でも流行っているのか、と思い、会食しているアトラスを見ていた。さっきから、豪勢な料理を前にして、少しもフォークが動かず、赤ワインのグラスだけをくるくる回し、ハァ、と時々ため息をつきながら、ミズルの問いかけに、そうですな、などと言うだけだ。

「アトラス殿。いかがなされたか。今宵は、いささかお元気がないようですが。」

「…いや、そうですな。ご心配には、及びません。」

「我がドレイク軍は、貴公のお国の精鋭には及ばずとも、近頃は、着々と若い者が育っておりまして。」

「そうですか 」

「…(聞いとらんな、こやつ)…それがしの副官には、若干18歳のバーン・バニングスを任命しまして。」

「おおバーン殿か!彼は、さだめし、有能でありましょうな!」

バーンの名を出したら、途端に食いついてきたので、ミズルから見ればまだ若いアトラスは、若者同士で気が合うのだろう、くらいに思い、話し続けた。

「あれは、父親が前任の騎士団長の家柄ですが、名に恥じない実力を持っておると判断いたしました。バーンの下に就く有能な者が出ましたら、それがしは、参謀として助成し、将来はバーンに騎士団長になってほしいと考えております。」

「それは、ご英断ですな。軍の中枢に団長と副官がおり、更にミズル殿が付いておられれば、ますます、軍規も引き締まりましょう。彼には、良き副官が育つと思いますよ。」

と、アトラスは、想い人について話す相手がおらず、誰かに喋りたくてしょうがなかったので、彼女のことを話したいと思った。

「うむ、バーンの副官が務まる者は、難しいと、思われる。いかんせん、裕福な育ちでありますから、下の者への配慮が、今ひとつ、ですな。それがしに言わしますと。アトラス殿のような、寛容さが足りぬ。バーンの側近になれるような者は…」

「おりましょうぞ!貴公の教え子と聞きましたが、」

と、アトラスは頭の中がガラリアでいっぱいなので、堰を切ったように、喋り出した。

「ガラリア・ニャムヒー殿は、仕官されたばかりだが、将来有望と見ました。聡明でありますし、バーン殿とは、仲がよろしいでしょう。」

ミズルは、子供の頃から見守ってきたガラリアのことを、キラキラした眼差しで饒舌に語る青年が、彼女に並々ならぬ興味を示していることが、すぐわかった。そしてそのアトラスに、ミズル自身が興味を持った。

「ほう。ガラリアですか…彼女と話をされた?」

「ええ、昨日の閲兵式で、わたしの話に感激したと言いましてね、昨夜バーン殿も一緒に長く話したのですが、若いのに教養は深いし、鋭敏に物事を悟りますし、なにより、」

なによりもう、かわいくてかわいくてしょうがないのだぁーと言いそうになって、アトラスはハッと口篭もって、

「ええ、なにより、そのバーン殿とは長く親しくしてきているようですから、上手くやっていけるのでは、と思うのですが。」

後年、その2人がちっとも上手くいかなくなるとは、この時点では、ミズルにも予想できなかった。誰の目にも、2人は親しい友人に見えていた。そう、幼いまま「友人」でいられたなら、2人は、後に、互いに傷付け合い、苦しむことはなかっただろう。

 ミズルは、夢中になってガラリアを褒めちぎる眼前の若い男を見て、悪い病気の正体がわかった。アトラスはガラリアを恋し、バーンはそれで煩悶していたのか。そうか…

この青年ならば、ガラリアには、ふさわしかろう。安心して任せられる。ただ気になるのは、クの国の内政である。ミズルも、その事は知っていたが、口にせず、ガラリアについて語り続けるアトラスを、父親のような、暖かい目で見つめていた。




 翌朝、ガラリアはアトラスの姿を探したが、彼は城内のどこにもいないようだった。ク王室の親衛隊長アトラスは、配下の兵を数名引き連れて来ていたが、その兵らもいないのだ。どうしたのだろう、と慌てて、朝礼が終ると、ミズルに尋ねた。

「ミズル殿、」

正規軍に入ったら、先生ではなく上官なので、今はこう呼ぶのが慣例であった。

「あの、アトラス殿は、いずこへ?お供の兵士も、おられぬようで、まさかもう、帰られたのですかっ?!」

涙目で訴えるガラリアを見て、ミズルは笑いをかみ殺しながら、

「アトラス殿は、城下を見物に行かれた。昼すぎには戻られる。」

「そうですか!」

途端に笑顔になり、パタパタと去って行くガラリアの後ろ姿を見ながら、ミズルは、そうか、あれが、もう、恋をする年頃になったか。どうか…アメリアのような、不幸な結婚はしないでほしいと、切に願った。

 アトラスは、昨日ガラリアに拒絶されたが、ミズルと彼女の話ができて、少し落ち着き、約束していた誕生日の贈り物を買おうと、城下の商店街に来て、沿道から店を眺めていた。供の兵が、城内では話し辛かったことを口にした。

「隊長、お気づきですか?ドレイク閣下のご内室、ルーザ様のことですが」

「ふむ、ルーザ様は昔から見知りだ。我が国の名家の令嬢だったからな。」

「そうです。ルーザ様は、あのビショット様とも、お見知り。見知りだけならいいが!」

アトラスは片方の眉をひそめ、兵を横目で睨み、

「口がすぎようぞ。ルーザ様は、かつてアの国の一兵卒であったドレイク閣下と駆け落ちされるほど、愛し合っておられたのだ。」

「しかし隊長。ビショット様と、間者を使い、なにやら手紙を交わしているという情報があるではないですか。」

アトラスは、店のガラス窓に映る自分の物憂げな顔を見ながら、ため息をつくと、ガラスが曇り、顔の下半分が見えなくなった。

「その件は、今夜探りを入れてみる。今夜の会食は、閣下と、ルーザ様が娘御と供にご出席されるからな。その方は、先にラース・ワウに戻り、城内でルーザ様の周辺で手引きをしている者がいないか、怪しまれぬよう探れ。他の者は、城の周辺にそれらしき様子がないか、見てまいれ。」

 そう言うと、彼は1人、曇ったガラスの店に入り、恋しい女性のために、何がふさわしいか、何を喜んでくれるかと、女物の並ぶ小間物屋の品々を眺めた。




 昼食後、ガラリアはアトラスはまだ戻らないのか、と落ち着きなくウロウロしていた。ただ、会ったとしても、昨日あんなふうに別れたきりなので、顔を見てどうしたらいいかと思い悩んだ。朝礼以来、バーンの姿がどこにも無いことなど、眼中になかったので気が付かないでいた。ああ、モヤモヤする。遠乗りでもしよう、と、ピンク色の平服のまま馬屋に行き、自分の専用馬である赤毛に乗ろうとした時、背後からアトラスに声をかけられた。

「ガラリア…わたしはあなたを探してばかりだ」

「アトラス…」

その顔を見ると、熱いものがこみ上げて、それ以上何も言えなかった。彼の方から、明るい口調で、

「遠乗りか。わたしが並走してもいいか?」

と言ってくれたので、

「うん。」

とだけ答えられた。アトラスは居並ぶ馬たちを見て、

「どの馬を借りようかな。」

一番いい馬はバーン専用の栗毛である。ところがその馬はいなかったので、他の黒毛に鞍を付け、またがった。薄茶色の彼の平服が、黒馬によく合って美しい。ガラリアは(あの栗毛はいないな)と馬のことは思ったが、それに乗ってどこかへ行っている人のことはチラとも思い出さなかった。

 2頭の馬は、城外へ出て、午後の日差しが反射して青く光る湖のほとりまで走った。走る間、馬上の2人は何も語らなかったが、ガラリアが前に出れば振り返り、アトラスを見る。アトラスが先を走れば、振り返り、ガラリアを見つめた。馬が疲れた頃、2人は黙って止まり、アトラスが先に下りて手綱を木に結んだ。ガラリアもその木に結んだ。

 少し離れて2人は湖畔を歩いた。先に話し掛けたのはアトラスだった。

「ガラリア、昨日…」

「いいんだ。」

湖の水面を見たままで、ガラリアは即答した。憂いを含んだ瞳と、対照的に硬く結んだ唇、その横顔に、また彼女は、一晩会わない内に、自分の中で葛藤し、少し成長したことが伺われた。この女性はどうしてこんなに、どんどん魅力的になっていくのだろうか。アトラスは感動した。なんだか、自分の方が、置いていかれるような気さえしたアトラスは、彼らしくなく、焦り気味に言った。

「わたしが、いけなかったよ。急過ぎたね。あなたの誕生日の朝には、帰国せねばならぬと思ったら、」

「いいんだって言ってるじゃないか。くどいぞ!」

「やっぱり怒ってる。」

「怒ってるんじゃない!それと、」

怒ってないと言いながらガラリアは、顔は怒っている上、彼女特有の喧嘩ごし口調になっていた。

「その、あなたって言うの、やめないかっ」

「なぜだい?」

「他人行儀で、嫌いだ。」

おいおい一昨日の夜はその二人称に感動したんじゃなかったのか私は。とガラリアは自分に突っ込みを入れながら、他人じゃなかったら何だ、と考えながら喋っている。この、思いつきですぐ口にしてしまうクセは、彼女は今後何年経ってもなかなか治らないのだった。

「じゃあ、なんと呼べばいい?ガラリアのことを。」

そう言われてから考える。プンプン怒っていた顔が一瞬まじめに考え込む顔になり、ハタと思いつき、今度は怪訝な目つきでおずおずと言う。

「…君、とか。」

「じゃあそうするよ。ふ、ふふっ」

と彼女の口調と、コロコロ変わる表情に思わず噴き出してしまったしまったアトラスに、

「何がおかしい!」

自分が好かれているのに、笑われると、からかわれた気持ちになって腹が立つ。このクセも、ずっと治らない彼女であった。

「君があんまり、かわいいからだよ」

と言われたら、今度は頬がポッと赤くなり、でもまた怒った顔になって、ふん!とあっちを向いてしまう。かわいい。やっぱりかわいい。アトラスは愛情深く見つめたが、ガラリアは、言い負かされるのが嫌で、何か言い返そうとした。

「すぐ、そうやって!」

「なんだい?」

「そういう…ことばっかり…」

上目使いで彼をじっと見ると、素直になれない自分が見えた。見えたが、態度を決めかねた。昨日、自分から好きって言えた。抱かれたらどうなるか、も考えた。それで?明日行ってしまうこの人に、私はどうしたらいいのだ?初めての恋人に、してしまっていいのか?選択権はまだ自分に残されている。今なら、まだ止められる。この人をふって、また、ひとりぼっちになる。ふる?何故、ふる必要がある?私はこの人が好きなのに。彼も私が好きなのに。

 2人の髪を、湖畔の風がたなびかせた。常春のアの国では、年中、色とりどりの花々が咲き乱れる。今日、岸辺には白い小さな花が満開で、薄緑色地に純白の模様のシーツを敷き詰めたようだ。そこに立つ青い髪の少女は、じっと黒髪の男性を見つめた。彼が何か言おうとしている。私も、何か言いたいのだが、女性から、今思っていることを言っては、ふしだらかも。彼に嫌われるかも、と戸惑った。アトラスが静かに語り始めた。

「明日は朝早くに出立だ…明晩にはケミ城に着かねばならぬから」

「そうか…」

「今度いつ会えるだろう」

「うん…そうだな」

<注:ケミ城=クの国王の居城>

隣国とは言え、馬を飛ばしても、国境まで半日以上かかる距離だ。恋人同士には、今2人の間に咲く小さな花々の垣根ですら、遠い隔たりを感じさせるのに。今後、逢瀬は難しい。ガラリアは入隊仕立ての身、アトラスは内憂に忙しい。アトラスは、国境付近にある別荘を整備して、逢瀬に使おうと考えたが、それより先に、肝心なのはガラリアが会いに来てくれるか、である。アトラスは彼女がそういう行為に及ぶ事自体に抵抗しているのならば、自分が真剣であることをなおさら伝えなくてはと思った。

「わたしは、正式に君を、恋人にしたいと思っている。」

「…わかっている」

「正式に、というのは、騎士道にのっとって申し込むということだ。」

「私も騎兵だからな。それは、わかっているさ。」

「君にご家族があれば、ご挨拶をする。」

アトラスは既にガラリアの生まれ育ちについて、昨夜ミズルから聞いていた。ただ、アメリア亡き後ミズルが保護者であったことは、ガラリア自身にも内密だったので、彼女の両親はよく知っていた、という事しか、ミズルは言わなかった。その上で、ミズルは若い2人同士に任せた。もうあの娘は一人前である。アトラスはミズルを彼女の恩師であり上官だと思っていた。

 ガラリアは、自分の出生については、彼に知られるのは仕方がないとわかっていた。ところが、それから、彼は、たいへん意外なことを言ったのだ。

「だからバーン殿には昨日きちんとお断りしておいたよ。」

「なにっ?!」

ばぁん?すっかり忘れていた。そういえば朝礼以来、姿を見てなかったかな。

「何の関係がある?!あれと私が?」

アトラスは、少し、しまった、まずいことを言ったと思った。が、後悔はせず、失言をむしろ有効に使うことに徹した。<事に及んで後悔せず>とは地上の剣豪・宮本武蔵の言葉である。少し笑みをうかべて、さわやかにアトラスは言い放った。

「君は彼を、好きだった、だろう?」

彼が君を、好きなのだ、とは言わない。君が彼を、好き「だった」と敢えて過去形にした。ガラリアは、自分自身でさえ、昨日初めて自覚した初恋を、なぜこの人は見抜くのか、と驚天動地だった。しかし、彼女のよく変化する、感情剥き出しの表情を観察さえしていれば、ガラリアが彼を想い続けてきたことなど、ハタから見てもすぐわかるのである。ガラリアが後に出会う人々、彼女を愛する人々は、皆、すぐそれを感じとるのだ。勿論、ミズルは何年も前からお見通しである。

「そんなっ…こと、ないっ…なんで…」

わかってないのはガラリア自身と、当の本人、バーン・バニングスだけであった。この、際立った鈍感ぶり、天然ボケっぷりでは、2人は正に兄妹のようだった。

「うん、まあ、バーン殿と君は幼馴染みだし、彼はお兄様のような者であろう?彼には、わたしがガラリアを好きだから告白すると、ちゃんと礼節を踏まえた。彼も承知したのだよ。」

バーンが承知した?!では、では…彼は私のことは…やはり、そうか…わかってはいたけど、アトラスにこう言われたら…ガラリアはショックを受けた。私は彼に憧れて恋してきたけど、バーンは私のことなんか…私のことなんか!そういう風には想ってくれないのだ!

この時のガラリアの悲しさ。諦め。そしてアトラスにスパッと「君は彼を好き」と言われてなおはっきりした自分の切なさ。初恋は報われないのだ。ではどうする、私は?今、バーンじゃなくてアトラスに、自分も心惹かれている男性に求められている。では、もう、迷う必要なんかないではないか…。

この人の愛に応えれば、私はもう悩まずに済む。バーンを好きだったけれども、彼は私を好いてはくれない。そして今、自分を好きだと言ってくれる人ができた。では、この人と付き合えば、バーンへの気持ちは忘れられる。この思考経路こそ、ガラリアを今後何年も支配し続ける、精神的自己防衛になるのであった。彼女は失恋の痛手を癒すために、別人を欲した。

ガラリアはわざとすました風に、しゃがんで、白い花を一輪手にとりながら言った。

「ふぅん、そうか。バーンになんて、いちいち断らなくてもよかったのに。」

「一応、ね。君を紹介してもらった人だしね…なによりわたしは、」

アトラスは話が自分にとって上手い方に進んでいることを悟って押しに出た。

「誰であっても、誰にも、君を奪わせはしないのだ。ガラリア!」

と彼女のそばにしゃがみ、ガラリアの手にある花に指をかけた。そして、白い花びらを一枚ちぎって、湖の方へ放った。そして、目を大きく見開いている眼前の恋人を見つめて、

「手を握っても、いいか?」

誰にも私を奪わせない。この人はそこまで私を愛してくれている。私も、出会ってからずっとこの人に気持ちを奪われている。迷わなくていい。私はこの人に抱かれて「女」になりたい!

「うん。」

2人はしゃがんだまま、両手を握り合った。握り合う2人の手の真ん中に、白い花が一輪。花弁は一枚ない。そして2人は、ゆっくりと花の絨毯に腰を下ろした。ガラリアは、昨日の図書室の時より、落ち着いている自分に気がついた。彼の両手を握る自分の手にも、力が入った。それは、男女にとってのサインだ。アトラスは手を放して、彼女の肩に両手をまわし、抱き寄せた。ガラリアは黙ったまま彼の胸板に顔をうずめ、寄り添った。暖かい…アトラスは青い髪をなでて彼女の額にキスした。

「あ」

声を出して彼の目を見た。見つめ合って、アトラスの言葉を待った。

「好きだよ…」

「…私も、好き…」

アトラスはガラリアの頬をゆっくりなでて、指を顎に、そして下唇に触れた。ガラリアは、これから唇を奪われるんだな、とわかり、その衝撃に期待し、開いていた目を閉じた。

 次の瞬間、起こったこと。ガラリアにはそれが口と口のキスだと、最初わからなかった。

(え?な、に…?顔の中心あたりが、濡れてクチュクチュ変形し動いている?)

そしてそれが初めてのディープキスだとわかった時、彼の唇が自分の唇に強くあてがわれて、彼の舌が自分の口中に侵入し、自分の舌と絡め合っているとわかった時、脳天から足の指先まで突き抜ける熱い熱い快感に、世の中にこれほど気持ちのいい行為があったなどとは知らなかった自分に、そして知った今の自分に、激しく感動し打ち震え、全身のこわばりがストーンと抜けて、「花」から蜜があふれ出た。手にしていた白い「花」は、とうに落としていた。

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